見出し画像

瞑想って何?/04.イーシュワラの理解③

(前回のおさらい)
五感が届かないエリアがある、イーシュワラという源が見える、
そんな見方は謙虚かつ知的な見方。
イーシュワラを思う為にどうすればよいか。
イーシュワラは全世界に行き渡っていて、大きすぎてとても想えない。

もしあなたが海に触れたいのであればどうしますか?
船で世界中の海を旅して、全ての海に触れて回りますか?
それとも近所の海岸に行って、寄せては返す波に触れますか?
どちらでも海に触れることができます。

太陽であれ、星であれ、海であれ、波であれ、どんなものであっても
イーシュワラを呼び起こす為の祭壇となります。
どの祭壇を使うかはあなたの好み次第です。
どんな祭壇を通じても「イーシュワラを呼び起こす」ことは共通です。
ラーマでも、クリシュナでも、ガネーシャでも、シヴァでも、道端で見つけた石っころでもいいのです。

インドにはたくさんの神々がいて、偶像崇拝をしているのでしょうか?
いいえ、偶像崇拝というものは存在せず、あるのは崇拝だけです。
イーシュワラの色々な側面に対して特定の名前を付けて、人のような絵をイメージして、イーシュワラに思いを馳せているのです。偶像(物理的な形)に対して思いを馳せているのではありません。

瞑想の話に戻します。
というか、ここまでの話は瞑想の話から離れていません。
この世界は「質」だらけ。質のないものなんて認識できません。
その質一つ一つに名前をつけてデーヴァターと呼び、そのデーヴァターを通じてイーシュワラを理解しようとする作業です。
※デーヴァター:日本語で近い訳としては、「法則、象徴、神」。

花を見て、
花が花らしく咲いているのを見て、
その後ろにある法則、力、知識が見えたとき、
それがイーシュワラです。

地面に立って、
足が大地に引き寄せられている法則を見て、
重力という法則が見えたとき、
それがイーシュワラです。

料理を作って、
それを口に運んだ時に舌がおいしいと感じる法則を見て、
味覚という法則が見えたとき、
それがイーシュワラです。

雨が降った後に
七色の輪っかを空に見て、
光と水と、私の視覚が作る虹という法則が見えたとき、
それがイーシュワラです。

そんな風に世界を見たとき、
イーシュワラが世界のありとあらゆる場所で活躍しているのが見えます。

イーシュワラが見えないなんて言えますか?
質があるもの、全てイーシュワラです。
そのイーシュワラの、何か一つの質を、思ってみましょう。
それが瞑想です。
(次回へ続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?