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今日もまた「〇〇であるべき」をやめるADHD/ASD

ハロハロー

毎日関東は風がつよ〜い
まだまだ春は遠いなーーー

東京から栃木へ、出張兼ねた帰省中。
もちろん寒い!

明日は1ヶ月に一度のお仕事。
約2年前まで死ぬほど本気で頑張っていた物販の代理店事業の代理店メンバーさんのサポート。

コロナになって、持病が悪化して、発達凸凹の二次障害の鬱になり、そこから抜け出して今は何だかニュートラル。

若干鎮静気味。
絵を描くときは程よい集中力。

仕事過集中の時は、家族から変人扱いされ、
発達検査したら?と言われ逆ギレ 笑

そんな時を経て、さて今の私でホントにサポートになるのかな?ということはさておき、、、

まあ、今まで事故後復帰して5年死ぬ気で頑張ってきたことだから、今までの経験でどなたかのお役に立つならば、の気持ちで取り組んでおります。

今、本当に仕事自体が変化する世の中になってきて、どんな仕事をしているか、何をするか?ではなく、
ひとりひとりがどんな人であるのか?
どうありたいと願っているのか?
に重きが置かれるようになってきてる気がする。

これからますます、〇〇であるべき、という
評価・判断・批判は特定された目的の中では使えても、日常で使ったり目指すことは、すごく人を苦めて創造力の発現を阻害すると感じている。

前置き長くなりましたね、はい。

さて、毎日どんな「〇〇であるべき」という自分が自分や他人に課したルールに気づいていけるか、

べき所持の発見

これ面白いからやってみてーーー 笑

で、、、

何が大事でその「べき」を所持してるのか?

ホントにそれ「べき」?と、何度も探ってみると、自分にも周りにも優しくなれる気がする。

ホントのホントは「べき」だからやっていたり、批判してるわけじゃないと気づく。

みんなみんな、自分の大切にしている人間の普遍的価値観を大切にしている。

そんな風に俯瞰して見れたとき、自分の中のホントの自分が顔を出して、いわゆる「魂を生きる」を体験していく。

私はまだ完全には魂を生きていないのはわかる。

ある価値観を守るために蓋をしている自分がいるのがわかる。

ミルフィーユのように一気に剥がれるのか、
瘡蓋のように一気に剥がすのか、
それも選べるから面白い。

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