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集団の中の役割、リーダーシップが苦手なADHD/ASD


ハロハロー。

この記事は私がnote著者で尊敬している
神の子イーブンさんの記事にインスパイアされて書いています。
イーブンさんの記事はこちら
集団について書いてます。

いやぁー、集団て、励まし合うのかぁ、って驚いたのです。

確かにそうなのかもしれない。

人数が多い場合は仲間同士で。

特にリーダーにはそれが求められたりして。

リーダーの場合は背中を見せるとか、叱咤激励する、とかを求められます。

いや、私、それ苦手かもしれない、と思ったのです。

やってみて気づきました。
リーダー的なこと。

集団、あるいはチームは大抵同じとか、共通する目的や目標に向かっていることが多いですよね。

やりたくない、やらない人に頑張らせる意味がわからないので、頑張って、とか言えない。

ただ、なんで取り組まないのか?

そこには少し興味あります。

やると言ってやらないことが不思議なんです。

出来ないからなの?
やりたくないの?
何かあったの?

目的が決まった集団にいて、やらないということは、それなりの理由があるはず。

好奇心がわきます。

そこは興味があるんです。

別にやらない選択をしたっていいわけだし、
そこは自由だから。

よく、やらない理由とやる理由は一緒って聞いたこともあります。

「お金がない」
だからやらない
だからやる

「家族が今大変で」
だからやらない
だからやる

でもここだけ見ていくと、やらない人は結局言い訳なんだよ、となんだか暴力的なジャッジを聞くこともあります。

私はもっと深掘りが好きなので、というか、
言い訳!と言われて一時的に何くそーと頑張ったとしても、「何故やりたいのか」「何が大事だからやらないのか、またはやりたいのか」こことつながってないと、やってもやらなくても後悔したり気分悪くなるのを知ってます。

適当にその場のノリや励ましで頑張って、
できちゃって、自信になることもあるのかもしれない。

それがその人の能力を拡大することもあるかもしれない。

でも私は何度もこの衝動性に人の励ましも加わって突っ走ってはぶっ倒れてきたので、
自分が何が大事だからこの集団で役割を果たしたかったり目的に向かっていくか、という
この「大事」を手放さないようにしている。

この「何が大事なのか?」はニーズという
人類普遍のもの。
老若男女、宗教国籍を問わない価値観。
安心安全とか、健やかさ、とか、色々あります。
NVC JapanのHPより
非暴力コミュニケーションの感情とニーズの情報がわかりやすいですので載せておきます。

https://nvc-japan.net/data/Feeling&Needs+intention.pdf

私はリーダーシップが苦手と書きましたが、
リーダーでした経験でのトラウマに刺激され、
居心地悪くて安心できないのです。

安心が必要だし、理解やコミュニケーションが大事だったけどそこが満たされなかったから、満たす練習をしています。

あとひとつ!

集団が目的遂行だけを目指している場合は、
出来なかったときになんだか集団にいる意味がなくなりますね?

だけど、この集団が個人の成長を目的としているならば失敗とかないですし、何があっても受容や励ましが生きてくるなーと感じます。

私はこれからはこの後者の集団に出来るだけ存在したいなー。

ひとりひとりが尊重される世界。

そう決めたからそうなりますね 笑。



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