【認知症介護】介護があったから、自分の人生が愛で満たす生き方になれた。
こんにちは!大髙ユキです。
東京では桜吹雪が美しさを増しています。
新居に桜の木があり、さくらんぼの木かもそれないかもと。
そんなこんなで、小さな喜びを見いだしなが、自分自身の意識の変化に驚き、強くなっている自分にプラスして、生きるのが楽になっていていることと驚きます。今日はそんなことを書きました。
自宅介護をして一年半ぐらいになります。介護は奥深いのと、自分の信じている価値観が人生にもろに反映されて、介護にもモロに反映されていくんだと実感しています。
最近、ちょっと嬉しいことがあり、自分自身の意識もまた変化して強くなりました。嬉しいこととは、半年前からお願いしていた、母のデイサービスの曜日の変更が4月から受け入れられました。
ダンスのレッスンに行きたくて夫がいる時にしかレッスンにいけなかった。でも先月のイベントでの練習でダンスとの向き合い方を行動しはじめたら、意志と行動の一致で願いが叶ったのです。
介護をしていて実感していることは、介護する側が自分の人生を本気で生きていくことをすると、介護される側も元気になっていき、介護する側も嬉しくなって優しく介護ができる。
優しい介護のアップデートは、自分の人生の生き方をアップデートしたからだろうと感じる。
意志と行動が現実を変える。
それは【愛】ある行動だからだと感じてならない。愛には責任があり、途中で投げ出すのではなく、全うする意志があるから全うするまで行動し続ける。全うしていくと、めんどくさいことが多々起きるのだが、全うした時に自分の意識がアップデートされているから、人生そのものの捉え方が変わり、もっと出来る!という自信にもなっていき、生きることが楽しくなっていく。それが自分の人生で大切にしたいコトと介護が連動していると、全うした時に気づく。それまではもがくんだけどね。
愛とは全体を幸せに進化成長させる。そのために強さを求められる試練のようなものがくる。
自分が心から生きたい生き方をしているのか、と自問自答し内観していくと答えは出てくる。介護でのテクニックの前に、どう生きたいのかという人生の軸があるから、介護のテクニックが活かされる。なぜなら尊厳を称え合う生き方をしているからである。
それが愛というもの。
全うせずに途中で投げ出す人達を見ていると、可能性よりも目に見えることにしがみつき、テクニックでなんとかしようとしている。そして不安に目を向けることも、本来の自分に目を向けることも避けていて、不安を拭えるために奪えることを探して生きている。奪えることとは、目に見えること、結果がわかることしかしないから、現実が変わらない。自分自身の意識の変化もない。常に不安の中に生きていくしかない。
自分の人生と本気で向き合うとは、責任が伴う。だから愛とは何か、ということがわかり、可能性が実現していくのだ。自分に尊厳を称えることができるから、相手にも尊厳を称えることができる。それは自分自身の可能性を自分で信じたからこそ、人生を真摯に向き合い生きていくことをしたからだろう。だから愛ある生き方になっていき、愛が広がるので、現実が変わる。
自分がどのような意識で生きてるのか、明確にわかることで意識の変化ができる。コンフォートゾーンから抜け出すってことね。
まだ一年半の介護だが体験を通して言えることは、自分自身の人生を生きていくことを、自分が真剣に向き合う覚悟があるのかと問われている日々だということ。介護は奥深い。
わたしがそのような意識に変化できたのほ、DNAアクティベーションのおかげである。なぜならDNAにパワーチャージもするから、生まれる前に決めたブループリントが自分の奥底から目覚めていくのが感じられる。それを感じたら、あとは自分で行動するしかない。行動するから現実が変わるのだから。
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