お料理瞑想−子供を師匠に−

子供のころ、好き嫌いに敏感だったり、食べず嫌いがはげしかったりしませんでしたか?私は、変なこだわりをいっぱい持っていました。でも、その経験こそ、50歳になる私にとっての素晴らしい教科書となっています(о´∀`о)

喘息が酷かったせいなのか、理由はわかりません。でも、食べないものが多かったことをよく覚えています。

鶏肉以外は、ほぼ食べない
祖母の味噌以外は受け付けない(どんなに少量でも混ぜたらわかる)
祖父(酪農家)の牛乳だけが好き(給食のときは仕方なくのむ)
お米よりも粉物が好き
オヤツはトマト
生魚は一切食べない
蕎麦やナッツはアレルギーで控え目に(嫌いではない)
茄子やピーマンなど子供が嫌う野菜はもれなく嫌い
ケーキなどの甘い物もそんなに興味ない
などなど

兄弟はハンバーグやステーキ、うなぎ、お寿司などを食べたがる。私は全然食べたくないから、ひとりで違うものを食べる。親を困らせてましたね〜。

でも、子供の頃の味覚や本能で、身体が拒否する感覚はとっても大切。大人になるにつれて、雑になっていく感じにドキッとした時期もありました。色々な国のものを食べるようになったり、家族以外と外食が増えたり。一人暮らしで荒れた食生活。衰えていく感覚。失われていくもの。得られるもの。

そして、また、歳を重ねることで感じる様々な変化。楽しいことも沢山ありますが、あの鋭さや無意識で取捨選択していく感じを取り戻そうとしています♬

そんなことを思いながらのお料理瞑想。

時々、子供たちと一緒にお料理したり、食事をしたりすると『ハッ』とすることの連発です。

見た目へのこだわり
匂いや味に対する鋭さ
本能で瞬時に判断する能力
他の子が食べれば、食べるという毒味?みたいな行動
自分ルールな食べ方(オレオはクッキー、クリームだけ、クッキーと分解食べとか)
絶対触れない野菜や果物があったりする
かき混ぜるだけで、なぜか気持ち悪いとにげる
あと一口、たった一口。を、絶対食べない
美味しくないは、美味しくない
美味しいときは無口・早食い・おかわり
などなど

そして、何より貴重なのが『なんで?なんで?なんで?』の嵐(*≧∀≦*)

切り方ひとつとっても、沢山の種類がありますよね。これ、私は説明ほぼできません(^_^;)

名前くらいはわかっても、その意図を理解して使い分けられるほどの知識はない。なんとなくスープのときはこう。炒めるならこう。この味つけならこう。他の具材と揃えたり、わざと変えたり。全部『なんとなく』。

もちろん食べてみた経験で決めてることが多いのですが、改めて聞かれると『え〜、なんでだろう?なんとなく?』としか言いようがありません。

どんな形にするか?見た目や食感、喉越し、目的にあわせて、一緒になる具材とのバランス。野菜や果物にも流れがある。それを理解し、どうしたいのかを決めて、目的にむかって皮を剥き、切ったりちぎったり。

布に織り目があるように、野菜や果物にも流れがある。その流れを切るのか、生かすのか。出来上がりが想像できていなければ、食べる時をイメージできていなければ、迷ってしまいそう。こうして考えると、切り方ひとつで最高にアートな一品ができあがりそう♡

無邪気な子供たちの発想は、ときに大人たちを困らせる。けれど、これほど純粋で個性的で、ユーモアな視点は、見るものすべてが新しい時期限定なのかもしれません。いつまでも、あの頃のようにありたいと思いつつ、自由な子供たちを立派な師匠にして精進したいです♬

お料理はアート♡瞑想もアート♡無意識に委ねたり、意識的に導いたり。お料理も瞑想も日常化すると決して派手なものではないけれど、毎日を彩る素敵なツールです♬
(*´꒳`*)

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