お料理瞑想−さじ加減を身につける−

ココロから伝えたいこと。を意識すると、わ〜っと書きたいことが湧き出てくるときと、そうでないときがありますね。それも良き良き( ´ ▽ ` )

先日、母校である日本アーユルヴェーダ・スクールにて『〜毎日のセルフケア〜ディナチャリヤ・フェス』が開催されました。受付とオイルうがい「ガンドゥーシャ」のコーナーのお手伝いで参加してきました♬

2日間を通して、沢山の方々とアーユルヴェーダを真ん中にお話させていただきました。受付にいれば各コーナーで聞きそびれたことや体験した感想などについて。オイルうがい「ガンドゥーシャ」では実際に体験して頂くので、その前後での感想や質問について。十人十色の感覚。それを共有させていただいたり、私なりにお答えさせていただいたり。楽しいひとときでした。

まさに自分を調整する『さじ加減』を大切にしたいなぁ〜と感じました♬

オイルを口にふくんで保持。吐き出したらぬるめのお湯でうがい。ガンドゥーシャの基本的なやり方はとてもシンプルです。

やり方をお伝えするなかで、気になるワードがでました。
それは『〜は、間違ってますか?正しいですか?』というもの。

私がはじめてアーユルヴェーダという言葉に出会ったのは20年以上前。学生の頃でした。その頃はヨーガもまだまだ怪しいという印象か、もしくはハリウッド女優の間で流行みたいなエクササイズとしてアメリカから入ってきたものという感じ。インドの〜となると怪しい(笑)そんな時代でした。

最近ではすっかり様子が変わり予防医学として認められてきましたね。効果自体は認められるけどエビデンスが無いという理由で、効くのか効かないのかお茶を濁した表現しか使えないのがモドカシイところです。

ともかく、まだまだ「正しい方法」「正しい知識」が伝わっていないことも多く、すくなくともそれは大間違いだよ〜ということが無くなると良いね。そんな理由からはじまったディナチャリヤ・フェス。

正しいを伝えるのは数学と違って悩みが多くなるのがアーユルヴェーダ。そもそもロボットではないので、人間はみんな違う。その違いに寄り添い、日々の生活を調整していけることが魅力のひとつ。最低限の正しいを伝えつつ、残りは一人一人の体調とか環境とかメンタルとか色々なことを考慮して、そのとき、その瞬間の「正しい」を見つけていく。正しいというよりかは「心地よい」ほうが言葉としてはしっくりきます。

子供のころ、母親や祖母にならう料理には正しい分量というものを書いたものはありませんでした。どんなものにもレシピはなく口伝。難しいものはなかったし、何度か作れば覚えられる程度。それでも、微調整には苦労しました。

大体これくらい。あとの匙加減は味見しながら。

食べて、味を覚えつつ、作ることで身体が覚えていく。レシピがなくても、家庭で習った料理はいまでも作れます。でも、正しいレシピを教えてと言われたら無理。そんなもの存在しない。

こうしたら、こうなる。

基本的なことがわかっていれば、さじ加減は決して難しいことではありませんよね。塩を入れればしょっぱい。砂糖を入れれば甘い。単純なこと。でも、正しく作ろうと意識すると色々な不都合が・・・。

例えば、母の味でお馴染みの“肉じゃが”を作るとしますね。レシピ通りに食材を揃えて調理。さぁ、試食。あれれ?なんか違う。醤油も砂糖もミリンもしっかり計ったのに。このようなとき、何が起きているかわかりますよね?

野菜にも、お肉にも、魚介にも味がある。でも、それは一定ではない。

日本はキチンとした国。同じメーカーの塩は、まぁ、厳密にいえば違うけど、かなり正確に一定の味を提供してくれます。醤油や味噌も。大手のメーカーは「今年の大豆は出来が悪いから、醤油も味噌もイマイチですみませ〜ん」とは言いませんね。(その点、ワインは正直ですよね!)塩やミリンといった定番の調味料など、日本製の品質管理は不自然なほど高い基準で保たれています。ジャパンクオリティ万歳です。日本どこにいってもお馴染みのメーカーのものが手に入るので、同じ材料が揃う。でも、予想以上に甘味の強いジャガイモだったら?やけに甘い玉葱だったら?人参は?お肉は?手前味噌も浸透しつつあるので、手前醤油とかも当たり前になったら!レシピというものは、いつか崩壊しちゃうのかもしれませんね。そもそも基準を作ったことが不自然なのだと思いつつ。。。

正確にレシピ通り作る。大切なことのひとつですが、それは基本のキ。お料理上手な人は、ちょっとした違いを調整できるひと。レシピを守りつつも、縛られないこと。大事なポイントさえ理解しておいて、あとのさじ加減は自分で。それが自然だよねって思うのです。

お料理瞑想を実践してみると自分にとっての心地よさが見えてきます。正しいやり方をちゃんと実践するのではなく、自分だけの心地よいを創造していく方法を身につけるという感じ。「さじ加減」の達人という感じでしょうか。

私にとってのアーユルヴェーダやお料理瞑想はそんな感じ。

正しいオイルうがいの方法。基本はもちろんあります。効果もしっかりと古典書に書かれている。でも、書いてないことも多い。それは、人によって違うよね〜。季節によっても違うよね〜。時間、体型、感覚、大きさなどなど色々違うよね〜。と、違うことをどうやって解決するかは別の角度から理解していくことになります。きゃー複雑!って、最初は思いますが、そうでもないのもアーユルヴェーダの不思議。ご興味ある方にはぜひ沼って欲しい♡

というわけで?私の場合は「間違ってますか?」という問いかけには「間違ってはいないかもしれませんね〜。でも、それ、嫌じゃないですか?」とか。そんな感じの答え方になっちゃいます。どういう意味かというと〜って、いつも話が長くなって、時間がなくなって、最後はくちゃっと終わる。

時間には正確に?私には一番難しいことかもしれません(*´Д`*)

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