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私は西になりたい。

空前の西加奈子ブームが到来しております。

彼女が作中でフォーカスする対象の細かさや、意外性、リッチな語彙と表現方法など、読んでいて惚れぼれします。あと関西人なので、西さんの綺麗な関西弁がスッと入ってきて感情移入しやすい。あと美人、顔が好き。あと笑いのツボがイカれてる、さんまのまんまでめちゃめちゃ面白かった。などなど。

とにかく好きなんです。

昨日ようやく「漁港の肉子ちゃん」を読み終えたのですが、彼女の小説を読んでいて『清々しい』と思える理由が分かりました。
それは「邪推マウント」です。

他の作家さんを全然読んでないので、西さん特有かは分かりかねますが、とにかく主人公が他の人の行動や言動の裏を読みまくるんです。「肉子ちゃん」では小学生の女の子である主人公が、クラスメイトや田舎の大人たちの裏を推察しまくります。
もちろん私みたいに全てを斜に構えて見ているわけじゃないのですが、気が遠くなるほど「見透かしている」んです。

例えば「肉子ちゃん」の中で主人公と友達だったマリアちゃんという女の子が主人公を仲間外れにするシーンがあります。しかしその後マリアちゃんは失脚して、クラスでも一人ぼっちになります。争いごととか面倒な関係が嫌いな主人公は、何度もマリアちゃんに声をかけようか悩むけどかけない。この感情は何か。
その時の主人公は、正直「ざまあみろ」と思ってしまっている自分がいるんだ、とちゃんと自らの感情を認識します。

見透かしているんです、人も自分も。


いや、こんな小学生います??

少なくとも、私は昔から人の感情とかに疎いので、クラス内政治とか、特に女子のいざこざとかがよく分かりませんでした。
どう思われているか、何を言えばどう思われるか、なんてさっぱり。

ただ、そんな私も最近シャニカマしていると
「その質問してくるってことは、聞き返して欲しいんか?」
「頼って欲しそうやなあ、イキリたいんやろなあ」
「うわ、それ質問してるように見せて知識ひけらかしてるやん」
などなど、段々と「邪推」が出来るようになってきました。

もちろん、自分で「邪推だ」ということも分かっているので口にはしません。なので真実かどうかも分かりませんし、間違っていることもあるでしょう。
でも、めっちゃ清々しいんです。気分がいい。ラピュタを操作して軍隊を蹴散らすムスカのような気分です。外には出さないので、脳内ムスカです。脳内で「ゴミのようだ」と言い放ち、脳内で「ここで暮らすのだ」と宣言し、脳内で3分待ってやったりします。

これって「心理学」を学ぶ人の心境に近いのかもしれません。よくいじめられっ子がボクシングをして強くなるパターンを耳にしますが、心理学もウザいやつに対して「ああ、こいつこういうの心境なんやろな」と見透かして上に立とうとしているんでしょう。

ただボクシングと異なるのは外に出すか否か、の部分です。西さんの小説はその手の邪推を一切外に出さないで、勝手に邪推したりぐるぐる思考している。それがまた気持ちいい。
見透かすのは、誰にもバレずに出来ますからね。

ちなみに私が西加奈子さんを読み始めたのが去年末なんですが、同じタイミングで東野圭吾さんも読んだんです。東野さんは誕生日が同じだからという理由で。
でもハマらなかったんですよ、多分心理描写とか見透かしより、事件のトリックとか推理に重点が置かれていたからでしょうか。あんまり清々しさがなかったんですよね。


東より西。
もっともっと人の心を見透かしたい。そしてほくそ笑みたい。

ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ。

今日からついに「サラバ」を読み始めます。
楽しみ〜〜。

それでは日曜日楽しんでくださいませ。
ごきげんよう。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。