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意識を下げてみます。

先日、公園の砂場で子供達が「ちんこ」を作っていました。

もちろん子供の作るものですからクオリティは大したことありません。
砂場からニョキッと生えたいびつなキノコです。

しかし、絶妙に亀頭らしき部分が彫られており、デコボコした表面がくっきりと筋張った筋繊維を彷彿させるので、脳裏に焼き付いてしまいました。どれだけ歩いても、電車に乗っても、家に着いても、その「ちんこ」が頭から離れません。

私は「あのオブジェには崇高な芸術的意図があるのではないか?」と考えていました。

「死」が訪れると生命は土に帰る。
つまり、あの砂場は「死(タナトス)」を表す。

男根は性の象徴。
つまり、あのちんこは「性(エロス)」を表す。

あれは「エロス」と「タナトス」の対比構造になっていたのか?

仏教的に言えば、枯山水からも読み取れるように、あの砂場という空間は「空」であり、何も「無い」ということを表す。
逆にちんこは「欲望」の象徴であり、人間が「ある」と信じて疑わない「色」を表している。

つまり「色即是空」を表現しているのか?
そんなことを悶々と考えていたのです。

ふと我に返ると、どうも自分が異常に思えてきました。

私だって昔は砂場でちんこもうんこも作ったじゃないか。
あの少年たちのようにゲラゲラ笑って、それで終わりだったじゃないか。
私の、一体何が変わってしまったんだ。

「そうだ、意識が高いんだ」

まさに悟りの境地といっても過言ではありません。
断じて、過言ではありません。

意識が高いとは、要するに「上昇志向」が強いということ。
今の自分を成長させることが最重要事項であり、視座を高く持ち、理想を掲げ、そのために努力を惜しまず、常に前向きで「良い人間」であろうとする。

思えば私は学生時代もオープンキャンパスに精を出し、ITベンチャーに入社し、自己啓発本を買い漁り、オンラインサロンにも2つ加入しました。(3ヶ月で飽きましt...)

だから、私は砂場のちんこに「芸術性」を見出そうとしたのです。
何かを学び取ろう、自分の糧にしよう、そう思ったから。

これは由々しき事態です。

このままではちんこで爆笑できません。
うんこや母のデベソで抱腹絶倒し、至福の時間を謳歌できません。

だったらどうするか。
「意識を低下させよう」です。

そこで自分の意識を低下させるため、また自分の意識の高さに疑問を持ち始めた人のため、とある教室を開講することにしました。

それが「意識低下教室」です。

目には目を。
歯に歯を。
学習には、学習を。

ということで、学習していく過程で高まった意識を、あえて「意識が低いこと」を学習していく中で低下させてみようと思うわけです。

というわけで、早速YouTube上で開講しました。


やってみた感想は「一生こんなクソくだらないことを考えてたい」です。
とても幸せです。負け惜しみじゃございません。

そんな悟りを開いた共有と、番宣でした。
それではみなさん、くだらないGWを。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。