屁ッセイタイトル2のコピー__10_

企画においてダジャレとは「諸刃の剣」である。

人間と言う会社の根っこにあるパワーは「発想」だ。

かつて花岡さんと山根さんが遊び半分で作っていたWEBサイトの時代から、株式会社人間になった今にまでそれは一切変わっていない。人間は素晴らしい「発想」を形にすることで突き抜けている会社だ。

「間取りのマドラーを作ろう!」
「ゴミ袋を被って妖怪になろう!」
「隠毛のちぢれを音の波形にして音楽にしよう!」

そんな発想があったからこそ今の人間がある。
そんな発想ができる「人間」がいたから、とも言える。

実際、今の人間でも「発想」や「アイデア」と言うものはとても重宝されていて、案件がやって来た時には会議段階で様々なアイデアが飛び出すし、社内でのブレストも、企画の持ち寄りも行われる。

今日も企画の持ち寄り会が行われた。
とある案件に対して社内で立候補した企画者がそれぞれのアイデアを簡単な資料にまとめて持ち寄るのだ。

ご存知ない方もいると思うが、私は企画を出すことが得意だ。
「出すこと」だ、そこが重要。

人間の面接でも100本の企画を提出し、そので奴隷採用された。
(質は聞くんじゃない)

今でもたまに思いついた企画をツイートしている。

ご覧の通り反応がない。
質はアレなのだ。

ただ、出すことは苦じゃないし、出るものは出る。
だから、迷わず今回の持ち込み会にも参加した。

参加者は全部で5名。
だいたい1人3〜4企画を持ち寄り、5分のプレゼン時間が与えられる。

私は8つ持ち込んだ。
下手な鉄砲なんとやら、である。

「なんでそんなに思いつくの?」
とよく聞かれる。

ダジャレだ。

私は思い付く企画のほとんどをダジャレから生産している。
100本企画を作った時も、一番推しだった企画は「ジュセイランド」と言う「受精卵」にたどり着くまでの精子が体験できるテーマパークだった。つまるところダジャレなのだ。

今回の企画も振り返ると5/8がダジャレだった。

そして全員の発表が終わって総評とコメントになった時、私はふとこうコメントした。

「〜さんの企画は2つもダジャレできるのに勿体無いですよね」

全員がぽかんとしているので思い付いていたダジャレを披露すると「ああ」と小さな感嘆の声が上がり、私は山根さんより「ダジャレ職人」と言う称号をいただいた。

しかし、私の企画は結果的に採用されなかった。
審査員の山根さん、花岡さんからは「実際にやるとなった場合の盛り上がりに欠ける」とコメントいただいた。

この時、私はダジャレの恐ろしい罠に気づいた。
ダジャレは「思考停止」を生んでしまうのだ。

例えば先ほどの「ジュセイランド」然り、ダジャレから発想しているので名前はキャッチーだし、突拍子もない斬新さがある。

それもそのはず、言葉から連想しているのだから語感は良いし、抽象度の高いレイヤーで飛躍することができる。
「受精卵」と「テーマパーク」が繋がるためには、受精卵を見てもテーマパークに足を運んでも思いつかないが、名前からなら連想できるだろう。

これはダジャレのメリットだ。
キャッチーさ、そして発想の飛躍。

しかし、デメリットとして「思考停止を生む」と言うのがある。

ダジャレは思い付いた時に言葉として綺麗に繋がっているので、脳のシナプスがカチャリと綺麗に結合する感覚がある。それはとても気持ちが良く、甘美な感覚だ。

だからこそ、それだけで「素晴らしい企画だ」と企画に下駄をはかせてしまうことになるのだ。それで思考停止に陥る。

発想として飛躍が大きいと、実現可能性は低くなる。
受精卵の仕組みと、テーマパーク業界の仕組みは違うのだから当然だ。

にも関わらず、最初の語感だけで満足してしまっては企画を具体化した時に無理が生じてくるし、実際やってみると地味、みたいなことにだってなるのだ。

だからこそ重要なのは自覚することである。
ダジャレ発想は企画の内容に下駄をはかせる、と。

ダジャレだからこそ、具体化して考えなければならない。
ダジャレだからこそ、真剣にイメージしなければならない。

ダジャレは諸刃の剣なのだ
私はその下駄を脱がねばならない。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。