屁ッセイタイトル2のコピー__15_

バカもハサミもあなどれない。

「奴隷であることは素晴らしい!」
「ビバ・思考停止!」

そんなことをブログのみならず友人との酒の席で話していると「強がっている」とか「ウケ狙い」というレッテルを貼られてしまう。これに対してアクティブ奴隷としては、非常に遺憾な思いだ。


「奴隷は合理的である。」


私は胸を張ってそう言い切れる。
そんな話をしよう。

今日は人間の仕事で近畿大学へ向かった。明日から始まるオープンキャンパスでの脱出ゲームを人間が企画・運営しており、今日はその設営作業をすうるために派遣された。

イベント名は「ゾンビだらけのサイエンスパニック」だ。
大学のOCでゾンビを構内に解き放ち、かなり完成度の高い謎解きを掛け合わせた新感覚脱出ゲーム。一大学のオープンキャンパスにしてはクオリティが高すぎる、身内目線を差し引いてもだ。

基本的には人間のデストロイヤーことトミモトさん主導の案件なので、花岡さんのメイン奴隷を勤めるシャニカマは深く関わっていないのだが、イベント直前は何かと忙しいので駆り出される。

「明日から奴隷はこっちが借りるよ」
まるで旦那の舎弟たちをまとめる極妻だ。

しかし今日になって事件は起きた。
花岡一派の武藤さんが抱える案件で急遽人手が必要になったのだ。

花岡「え、誰か奴隷おらんの?」
シャ「すみません、今日は近大です」
花岡「ああ、そうやんな…」

結局、忙しい武藤さんが止むを得ず自分で対応することになった。
人間としては貴重なDirの時間が奴隷でもできる作業に1時間ほど取られるので、かなりの痛手である。

つまりこういうことだ。

奴隷の時給が1000円だとしよう。
そして正社員の武藤さんが仮に2000円とした場合、今回発生した作業は結果的に2000円かかったことになる。奴隷がいたら1000円で済んだのに

逆に言えば、普段から奴隷がやっている1000円の仕事があるおかげで、武藤さんたちは別な場所で2000円の価値が出せるのだ。奴隷の価値はそこにある。

とにかく何でもやる。
他の人がどんなに嫌がる仕事でも。
どんなに理不尽で厳しい仕事でも。

奴隷を徹底して追求していくことで引き受けられる仕事の範囲はどんどん広がり、最終的には靴を舐めたり、床だって溶けるぐらい舐められるようになる。

どうしても床を舐めなきゃならない時、あなたならどうする?
いくら貰えるなら床をベロベロ舐められる?
1000円じゃやらないだろう。
10000円かもしれない。

その時、奴隷の価値は10000円ということになるのだ。

誰でも出来る仕事しかしていないように見える「奴隷」はアルバイトと同じように見えるかもしれない。しかし、ただのアルバイトは「何でも」はやらないだろう?
時給に見合った仕事しかしないのだ。

一方で奴隷は本当に「何でも」やる。
同じ時給1000円でも出している価値は雲泥の差なのだ。

この「何でもやる」を追求できる人間はそうそう居ない。
みんな自我があって、思考力があって、ものの分別が付くから。
賢いがゆえに出来ない仕事がたくさん眠っていて、それを出来るのは奴隷しか居ない。だから価値がある。

奴隷とは自分の市場価値を高める上でとても有効な差別化戦略と言えるだろう。

奴隷である合理性が理解いただけただろうか?
だったら今すぐに社畜でも家畜でも志願するべきだ。

考えるな、感じるな。
ただやれ。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。