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「これ一本」で何になる

会社を辞めてから「会社員としての自分」が消えて無くなり、「シャニカマとしての自分」がその汚い首をもたげてくるようになりました。
今では「自分」という四畳半一間の小さなアパートで、幕内力士ばりにまるまる肥えた「シャニカマとしての自分」がふんぞり返っていて、何をするにしてもヤツを跨いで行かねばならない。ヤツが悠々自適にのさばっている。

そんな感じです。

すると、昔の自分はそんなこと無かったはずなのに、何をするにしても斜に構えている自分がいるんです。ごく自然に。リモコンも、お菓子も、飲み物も、ヤツが取ってくれるから、自然とヤツが台頭してくる。

その結果、何も心底信用しなくなりました。

人からのアドバイスを聞いても
「ああ、そういう人いるよね、誰かの受け売り?」
「人類数百万年の歴史で、数十年しか生きてない野郎が偉そうに」
「正義は我にありって顔ね(半沢直樹の羽根専務ぽく)」
てな具合で、真に受けなくなっている。

人からのアドバイスはね、まあ流してりゃいいんですよ。
生活に支障はきたしませんから。


でも最近は「商品」も信じられなくなってきました。

私は野菜ジュースが大好きで、保育園の頃からプールの帰りは毎回母親に野菜ジュースを買ってもらっていたことを覚えています。
あのざらざらとした食感と、ドロドロとした喉越し、「清涼」とは言えない程度に感じさせる甘さ。なんだかゴクゴクプハー!じゃなくていいときにちょうどイイんです。

買うのは三種類
・「野菜生活」
・「野菜一日これ一本」
・「1日分の野菜」

そして先日ふと陳列棚の彼らと目があった際に、なんだか「こいつら、信用ならねえな」と思いました。

「今日もいい天気でございますねぇ」
「よ!ダンナ!今日も一本言っときますか!」
「どもども、今日も全部入ってますぜ」

胡散臭い。
クリーピーで観たときの香川照之を彷彿とさせる裏表感。


特に胡散臭いのが「野菜一日これ一本」です。
こいつのラベルって、衆愚に漬け込もうという魂胆が丸出しじゃないですか。

「野菜一日これ一本」

これって何も言ってないの分かります?
勝手に人間の脳内で「野菜(は)一日これ一本(で十分)」って変換して解釈するから、それを飲んだら大丈夫って思えます。

でも、そんなこと一言も言ってないんです。

例えば助詞を1つ変えて「野菜(の)一日これ一本(で十分)」だとしましょう。
それは野菜たちが送る1日の生活がそのドリンクに濃縮されているということです。「野菜たちの1日」って何かというと、それは土から微量な水分と養分を吸い上げて、太陽の光を浴びて成長するというものです。

じゃあそんなドリンクって何かというと、
・水
・養分
・太陽光
が入ったもの。

「濁った水」ですね。
つまり「野菜一日これ一本」は「濁った水」でも問題ないんです。

でも流石にそれだとバレちゃうから、「野菜(は)」と受け取れるぐらいの許容範囲で味付けしておくと。ひどい話です。まるで信用なりません。

ただそんなこと言ってると何も買えなくなるんで、最近は「お前らの道楽に付き合ってやるよ、全部まるっとお見通しだけどな」という具合でレジに連れて行きます。

斜に構えるのも、楽じゃないんです。
みなさん、良い1日を。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。