11月11日の忘れない日
世間的には、11月11日はポッキーやプリッツの日だと思う。
私もそう思っていたさ。
オカンが亡くなるまでは。
11月11日はオカンの命日である。
あれから丸3年が経った。
去年には三回忌も終わってしまったし、
しばらくは法事もないのだと思う。
法事という理由で大分の実家へ帰るということを、
しばらくずっと続けてはいたけれど、
なかなか今年はどうして実家に帰れない。
理由は物理的な理由を挙げればキリがないのだけど、
やはり、オカンのいた空間、
あの実家の空間に、
オカンの影を探してしまいそうで、
少し、いや、思ったよりも、
あの実家の中であった、光り輝くような、
眩しいような記憶が溢れ出て、
それがきっと幸せで私がずっとずっと、
畳に仰向けで涙を流し続けるだろうとそんな予想が軽々とできた。
私がNYに行った時、母のぬいぐるみを一緒に連れてきた。
この白いクマさんはヨーロッパのどこかの国のおみやげ屋さんで、
オカンがそのクマさんと目があって、一目惚れで買ってきたそうな。
闘病中、このシロクマはずっとずっとオカンのそばにいてくれた。
病院の暗いベッドの中で、抗がん剤の副作用に苦しみながら、
このシロクマはずっとオカンの心を支えていてくれた。
このシロクマと一緒に眠っていた母は、
あどけない、少女のようだった。
シロクマくん、君はとても勇敢だったよ。
オカンの騎士だった。ありがとう。
オカンはミュージカルが大好きだった。
いつも私を連れて行ってくれたのは、ブロードウェイミュージカルの、
来日版(字幕日本語つき)
そんなオカンはニューヨークでブロードウェイのミュージカルを見ることは叶わなかった。
私の長期のアニメレギュラーが終わり、
ミニ留学&リフレッシュも兼ねて、
母(シロクマ)をニューヨークへ一緒に連れて行くことにした。
君が座るべきだった席と、
君が見るべきだった景色を見せてあげたんだ
オカンへ
私、私がアニーに出た時のお母さんの年齢になりました。
この年齢でいきなり子役の世界へ飛び込んで色々とやって行くことは、
プレッシャーもあるし、ステージママたちの付き合いもあったり、
色々と大変だっったでしょう。
それに私が転向した学校でPTAに呼び出され、
私が何の芸能仕事をするのかちゃんと報告を上げろと吊るし上げられたりとか、
私が普通の女の子の生活を選んでいれば、
オカンもこんな思いを済んだんだろうなと思うと、
よくぞ耐えてくださったなという思いが強いです。
私に素晴らしい経験をさせてくれてありがとう。
だけど、あなたの呪いにかけられた「いい子」という仮面は、
そろそろ脱ぎ捨ててもよろしいでしょうか?
少しずつですが、あなたの為に生きてきた今までを、
今後は私の為に、私と周りの大好きな人が幸せになれるように、
もうちょっと我儘になっていいでしょうか。
私はあなたから愛が欲しいと、小さい頃から思っていました。
私からのラブレターは「舞台にでる」「声優の仕事をする」など、
あなたが喜びそうな物を、手に入れるのは難しいけど、手に入れてあなたに届けました。
あなたの前で「芸能のお仕事をする」があなたを喜ばせる唯一できることだったの。
でもね、私が子供を産んだ時に、
オカンは私が一番欲しかった愛をくれた。
今までで見たことないくらい、嬉しそうな笑顔だった。
それは嬉しくて、嬉しくて、悲しいほどショックだったことです。
そんな感情は消えることはないけれど、
もちろん愛情だって共存します。
またきっと次の11月11日に。
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