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【建築物考】#7 川崎球場 (光の球場)


みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

今日の建築物は、はじめて野球場について話します。

長い間プロ野球等で愛された川崎球場についてです。今では形を変えて、アメフト等で使用する富士通スタジアム川崎となっています。

ボクが知っているのは1980年代から90年代ですが、その頃に何度か足を運んだことがあり、ここでプロ野球の試合を観ました。 当時の川崎球場といえば、不人気でガラガラ、暗い、汚い、狭いと、首都圏のプロ野球のメイン球場の中でも断トツに評判が悪くて、多くの人からバカにされるという、残念な球場でもありました。

産声

京浜工業地帯の一角を占める川崎市は、多くの企業が経営や製造の拠点を置いており、戦前から社会人野球が盛んな土地柄だった。1951年(昭和26年)、市内で新たな社会人野球向けの野球場を建設する機運が高まり、市と日本鋼管、東芝、味の素、日本コロムビア、昭和電工、いすゞ自動車などの主要企業が共同出資し「株式会社川崎スタジアム」が設立され、川崎市富士見の富士見公園内に川崎球場が竣工した

確かに、東芝、いすゞとか都市対抗野球ではおなじみですね。社会人野球向けに作られたとは知りませんでした。

大洋ホエールズ でも”野球は巨人”

1957年(昭和32年)から1977年(昭和52年)の21シーズンは大洋のみが川崎を本拠地とした。

1960年に唯一リーグ優勝、日本一になったようです。その後、横浜ベイスターズになり、同様に日本一になったのが、28年後の1998年。次の優勝はは2026年かな?

王は、ホームランバッターとして日本球界に君臨。右翼スタンドへの打球はしばしば上段の防球フェンスを越えて場外に飛び出していたため、後にフェンスが嵩上げされ「王ネット」と呼ばれた

ホームの大洋より、相手の巨人の王さんのエピソードが有名とは、なんともさみしいですね。まさに、「巨人、大鵬、卵焼き」の時代だったのでしょう。

川崎球場はこの当時、既に築四半世紀を超えて徐々に老朽化が著しくなりつつあった。大洋は施設や立地、集客力などの問題もあってかねてから川崎球場に限界を感じ、隣接する横浜市に本拠地を移転する構想を持っていた。

大洋は、1978年に横浜スタジアムへ移転してしまいます。

球場へのアクセスが川崎駅からバスというのは、ボクも使ってみて、確かに不便でした。

ロッテオリオンズ ”日陰の時代”


1978年(昭和53年)から1991年(平成3年)にかけての14シーズンは、ロッテが本拠地とした。....肝心の川崎球場はほとんど改修されることはなく、一塁側場外に室内練習場の新設、外野フェンスを5 - 7mに嵩上げ、照明を一部改修したのみで、施設そのものにほとんど手が入れられなかった。特にかつてのロッテの本拠地であり、しかも野球のメッカであった後楽園球場以上に設備が充実していた東京スタジアムと比較すれば大きく見劣るものであった。

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