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夜明けまえ

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

ボクはサッカーの日本代表の試合は、スタジアムでも数試合、テレビでは数えきれないくらい観ましたが、今日はその中でも思い出深い試合を1つ話したいと思います。

1998年フランス大会の最終予選が行われていた1997年は、まだ日本はワールドカップに出場したことがなかった時代でした。

当時ボクは大学3年で文化系のサークルの部長をしていました。

その日はちょうど、大学の学園祭で、我が部も出店を出すことになり、たしかおでん屋をやっていたと思います。

ボクはサッカーを観るのは大好きで、日本代表の1993年の「ドーハの悲劇」の最終予選も全試合テレビで観ましたし、1996年アトランタ五輪の「マイアミの奇跡」ももちろん観ていました。

この時、かたやグループ1位で、ワールドカップ出場を決め、余裕綽々の韓国、かたや成績不振で監督交代し、グループ2位のプレーオフ進出を目指す日本と、対照的なライバル国の試合でした。

同年9月に国立でも対戦した両国ですが、山口素弘の芸術的なループシュートで先制したものの、後半2ゴールを奪われ、日本は屈辱的な逆転負けを喫していました。

おでん屋もやらなっきゃいけないし、大事な日韓戦も観たい。仲間とどうしようか話して、「じゃあ部室のテレビを持ち出して、店でみればいいじゃん」ということで、外に持ち出し、テーブルの上にドンと置きました。

普通に考えれば、既にワールドカップ出場を決めている韓国は、モチベーションも下がり、消化試合のようなものですが、当時の日本に対する敵視ぶりは異常で、しかもホームのソウルでの試合、手を抜いてくるはずがありません。

そんな中、キックオフ。

試合開始して数分で、相馬からのセンタリングを呂比須が倒れながらパスし、受けた名波が左足を振り抜き、ゴール!

「マジか⁈」 アウェーでまさかの韓国相手に先制。サークルの仲間たちと大騒ぎ。

でも前回は国立で逆転負けを喫しているから、そう簡単に勝たせてくれないはず。

試合は日本も攻め、韓国も攻め一進一退の攻防。中田もキレのいいシュートを放つ。

そうこうしているうちに、テレビを観て、なにやら盛り上がっている我々が目立っていたのか、徐々に他の人々がおでん屋に集まってきました。

そんな中、相馬の折り返しを合わせた呂比須が追加点のゴール!

「これはひょっとしたら行けるかもしれない!」

今では当たり前ですが、当時日本に存在しなかったスポーツバーのような感じで、いつの間にか集まった知らない人たちとも仲間のような雰囲気に

2-0で日本がリードしたまま前半終了。

みんなサッカーみたいらしく、どっかからイスを持ってきて、街頭テレビのような感じになりました。

そして、後半開始。韓国には後にJリーグでプレーするチェヨンスやユサンチョルなどがいました。

そして猛攻をしかけます。スピードを生かした攻めに、日本は守備に追われて、北澤に代えて、平野を投入。

ゴールにはならないものの、カズも強烈なシュートを放つ。

後半20分以降韓国は勢いがなくなり、そのまま日本が逃げ切り試合終了。

見事に2-0で勝利!

おでん屋に集まった人たちは喜んで抱き合ったりしていたかと思うかもしれませんが、残り時間が少なくなってきたころに、いなくなってしまいました。まだ応援する文化ができてない時代だったような気がします。

その後、日本代表はカザフスタンに勝利し、グループ2位を決め、プレーオフ進出。イランを下してワールドカップ初出場を決める「ジョホールバルの歓喜」へとつながるのです。

そしておでん屋も無事終了。思いつきのテレビ持参で、思いもよらぬミニパブリックビューイングでした。

思いだすと、しょーもなくて、もっと頑張ればよかったと思う大学時代の、ほんの一コマですが、楽しくて仕方なかったし、当時は日本にとって恐怖の韓国に勝った試合を観れた喜びは、とても印象に残っています。

ちなみに、ワールドカップ予選の最終予選で日韓が激突したのは、この試合以降いまだにないのです。

【試合データ】

1997年11月1日(土) ソウル蚕室総合運動場   観衆:70,000

日本2-0韓国

得点者

名波浩(1)

呂比須ワグナー(37)


それではまた。



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