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【建築物考】#15 東京都庁舎

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

今日はものすごい雨の1日でした。地域によっては警報が出たり、新幹線も運行をストップするほどでした。

さて、かなり久しぶりにこのコーナーをやります。

今回建築物に関して取り上げるのは、東京都庁舎です。現在都知事選真っ只中ですので。

1988年3月着工、1990年12月完成。

地上48階、地下3階
243.4m

建築:丹下健三・都市・建築設計所、構造:ムトーアソシエイツ、設備:建築設備設計研究所

当時の建設界の大方は、新都庁舎は鈴木の選挙確認団体の会長を2期引き受けていた丹下健三が特命で設計するであろうと本人でさえが予想したが、新宿移転に反対する都議に知事が配慮する形で公正な指名コンペに方針転換される。1985年11月に丹下の師である前川國男や弟子の磯崎新の設計事務所を含む9社が指名され、108日後の締切の後に1ヶ月かけて審査が行われた。磯崎の案は道路上に建ぺい率オーバーの中層建築を構築することから条例改正が必須であり、他はそれまでの超高層オフィスビル群の延長で象徴性に欠けていたことから、最終的に丹下の記念碑的な設計案が選ばれた

wikipedia

コンペの結果、丸の内の旧都庁舎に続き、丹下健三の設計が採用された。丹下は1970大阪万博の総合プロデューサーで銀屋根を設計したり、東京五輪1964時の国立代々木競技場(世界遺産候補)を設計するなど、建築界の第一人者である。
旧都庁舎では岡本太郎の制作したモニュメントを当時としては珍しくホール内に展示したりして、物議を醸したりした。


高さ約240メートル、幅110メートルというエレベーションの圧迫感を和らげるために上部を八芒星型の双塔とし、タワーの四隅に非常階段やダクトなどの収まるシャフトを配した平面図を立ち上げた結果、パリのノートルダム大聖堂に近似したプロポーションとなった。更に4つのシャフトを巨大な4本柱のスーパーストラクチャーへ発展させ、自由で連続的なフロアの獲得に成功している。第一本庁舎のデザインとは対照的に、議事堂前の円形広場はバチカンのサン・ピエトロ広場から直接インスピレーションを得ている

wikipedia

超高層ビルのため、考え混んで設計され、かなり洋風な建物だとわかります。

2006年2月、建設からわずか16年にして、雨漏りがひどく、その補修に1000億円近くかかることが記事にされる。特別にデザインして作られており、既存の補修方法では対応が難しいのが、補修費用の高騰に拍車を乗けているとのこと

特別にデザインしたビルはこうなってしまいます。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、ビルの外壁にヒビが入るなどの被害が出た。

この巨大建造物が倒壊しなかったのはまだ良かった。

2015年(平成27年)11月15日、パリ同時多発テロ事件への哀悼として『トリコロールの3色』に3日間ライトアップした。
2022年(令和4年)2月28日にはロシアによるウクライナへの侵攻をめぐりウクライナへの連帯を示すとして、第一本庁舎がウクライナ国旗を表す青色と黄色にライトアップされた

巨大建造物ゆえに、ライトアップやプロジェクションマッピングなどにも使われるようになり、多額の税金が使われるなどで問題視されたりしています。

展望室は、第一本庁舎45階(地上202m)にあり、「南展望室」と「北展望室」に分かれている。両展望室へはそれぞれ1階から直通エレベーターがあり55秒で到着する(出口は2階または1階)。入室料はいずれも無料だが、開室時間・休室日は異なる。バーや喫茶店や土産店も併設されている。

近年のようなインバウンド外国人観光客の少なかった90年代でも台湾や韓国人観光客など多くいました。無料で東京を一望できるのは、ありがたい観光地であったのでしょう。また、以前は新宿駅から15分くらい歩かねばならなかったのが、地下鉄大江戸線の都庁前駅ができ、アクセスはかなり良くなっています。

バブル期に莫大な費用で建てられ、日本らしさというよりも洋式であり、いろいろ不満を言う人もいますが、30年以上も機能し、利用され、西新宿のシンボルになっているのはすごいことでしょう。

もう10年くらい後には建て替えの話がでてくるかもしれません。バブルではない、成長期から衰退期に入った日本がどこにどのように造るのか。気になります。

それではまた。

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