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読書感想文 #22 『後藤新平 大震災と帝都復興』
みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
お昼にコンビニに行った以外、外にでなかったので、どんな天気だったのかわかっていません。
今日の読書感想文は、 こちらについてです。
後藤新平 大震災と帝都復興
越澤明 著
後藤新平ってご存知ですか? ボクは知りませんでした。
実はこの方、とんでもなくて、教科書に載ったりやお札になっていいレベルの偉人だと思います。
東日本大震災の直後にも、かつて関東大震災の復興の実績で話題になったそうです。
あの歴史小説の司馬遼太郎さんが後藤について書いていれば、坂本龍馬と同じくらいになったかもしれません。司馬さんは日露戦争までしか書いていないので、それ以降の時代の本格作品はありません。
目次
序章 再評価されるべき後藤新平 1章 生い立ち 2章 地方の医師から内務省衛生局長に 3章 台湾総督府の民政長官 4章 満鉄の都市経営 5章 東京の都市問題 6章 関東大震災と帝都復興計画 7章 帝都復興事業の遺産
岩手県奥州市水沢地区の出身で、異例の出世を果たします。 県立病院の医師から外務大臣、満鉄総裁、内務大臣、東京市長などを歴任。
日本統治下にあった台湾の民政局長に抜擢されます。
マラリアが流行し衛生は最悪、産業もなく、アヘン戦争の影響で、酷いところでした。
優秀な人材を集めて、オールスターで台湾を統治しました。東大で衛生工学を教えていたバルトンと上下水道整備したり、道路等の都市計画実行も。新渡戸稲造を台湾へ連れてきて糖業などの農業振興策を作らせました。人を活用する天才と呼ばれたそうです。
日本より10年以上前に台湾で国勢調査を実施しました。 当時建てられた台湾総督府は現在も台湾総統府として存在します。
その後も満鉄(南満州鉄道)総裁時もロシアと交渉し、大連や長春の都市経営で功績を残しました。
いずれも、当時の日本に存在しない、欧米人も認める素晴らしい街を作ってしまったのです。
台湾人が日本に長く統治されていながら、韓国のように反日感情を持たないのは、このような抜群の都市経営をしたからではないでしょうか。
海外に行くとわかるのですが、日本の道路に比べて、台湾や中国等、道路幅が広かったりするのは、都市計画にのっとって街がつくられたからでしょう。しかし日本はそれをしなかったのです。以下のように。
関東大震災復興計画。復旧ではなく復興を
後藤はその日、一人で東京復興の基本方針を練り上げた...①遷都を否定する。②復興費を30億円かける③欧米の最新の都市計画を適用する④都市計画のために地主に断固たる態度をかける
様々な反対に合い、大幅に縮小されてしまいます。後藤の案を「大風呂敷」といい、嫉妬から案を潰すというのは、昔も今も人間のやる愚の骨頂です。
・昭和天皇 「後藤の言う通りにすれば、戦争の被害は少なかった。」
昭和天皇にとって関東大震災と帝都復興事業は元首代理に就任して初の大きな出来事であり、それだけに強い印象をもっていたことは、まず間違いない。一九八三年に次のような発言をしている...「震災のいろいろな体験をしておりますが、一言だけいっておきたいことは、復興にあたって後藤新平が非常に膨大な復興計画をたてたが...もし、それが実行されていたらば、おそらくこの戦災が申し少し軽く、東京あたりは戦災が非常に軽かったんじゃないかなと思って、今さら後藤新平のあの時の計画が実行されなかったことを非常に残念に思っています。」
昭和天皇が個人の名前を出して、言うとおりにしておけば、戦争の東京の被害は大幅に避けられたとおっしゃっているのです。こんなことがありますか。
弁舌と行動力、鼻眼鏡をかけた独特の風貌、人を射抜くような鋭い眼光、遠回りした上でのサクセスストーリーなどで人気とカリスマ性を備えていた。
こんな人が今の苦難の時代にいてくれたら、どんだけ助かることやらと思います。
それでは、また。
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