【建築物考】#11 小田原城
みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
楽しい週末はあっという間に過ぎてしまいますね。
建築物に関して、これまでお城やお寺等については言及してきませんでしたが、今回初めてしたいと思います。
ご紹介するのは、神奈川県にある小田原城です。お城の建物以外にも、関連するものもお伝えします。
戦国時代に北条氏が五代に渡り支配し、難攻不落の城と呼ばれていましたが、豊臣秀吉に攻められて落城しました。現在は、再建されたものではありますが、天守閣からは、相模湾や箱根の山を眺めることができ、観光や地元のお祭りでも利用される人気のお城となっています。
戦国時代から江戸時代にかけての城で、日本100名城の一つでもあります。
天守構造 複合式層塔型3重4階(1633年 築)
(1706年 再)
(1960年 RC造復興)
〇施設
・天守閣 平成27年7月から平成28年4月にかけ大改修があり、とてもきれいになりました。江戸時代、戦国時代の展示や、天守も再現され、展望デッキからの眺めも、景観を配慮した街になっており、とても良いです。
・常盤木門(ときわぎもん)
・銅門(あかがねもん)
・馬出門(うまだしもん)
・歴史見聞館 NINJA館
・こども遊園地 豆汽車等レトロな雰囲気の小さな遊び場
城址公園は、春は桜、つつじ、夏はあじさい、はす、冬は梅など、四季折々の花を楽しむことができます。
歴史
小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、現在の県立小田原高等学校付近の高台(八幡山)に築いた山城でした。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。
北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。
貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。
小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物は解体されました。大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。
その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門が、平成9年10月に銅門、平成21年3月には馬出門が完成しました。
一夜城
石垣山一夜城というものが山の上にあります。
この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。
今では石垣のみ残っています。敷地のすぐ脇にYoroizuka Farmがあります。鎧塚俊彦氏のプロデュースしたお店です。地元の食材を使い、おいしいスイーツを召し上がれます。車でしかいけない場所にあります(春や秋に期間限定でバスが走ることもあります)。
お祭り
城址公園二の丸広場では、毎年たくさんのお祭りが行われています。
北條五代祭り
毎年5月3日(祝)に開催される、小田原市最大の観光イベントです。総勢約1,700名にも及ぶパレードは、武者隊、鉄砲隊を中心に、市内学校の吹奏楽部・バトンチームなどの音楽隊や、小田原ばやし・神輿などのまち衆隊で編成され、市内を勇壮に練り歩きます。初代早雲役に「小田原ふるさと大使 合田雅吏さん」、四代氏政役に「俳優 高嶋政伸さん」が出演します。
過去にも小田原市出身の俳優の故阿藤快さんや、柳沢慎吾さんもパレードに参加していました。
ちょうちん祭り
小田原ちょうちん夏まつりは、歴史に名を残す「小田原ちょうちん」をシンボルとした夏の一大イベントです。今年も小田原城址公園二の丸広場とその周辺で開催します。お堀では地元小学生が作った約1,800個の小田原ちょうちんに、明かりが灯され、水面に幽美な光が映し出されます。
小田原市の小学生は必ずちょうちん作りを経験するそうです。
敷地の横にある小学校は、三の丸小学校という名で、白壁、瓦葺の武家屋敷を思わせる校舎になっています。
このほかにも、ニュースでも放送される桜まつり、全国から集結するおでん祭りとか、ダンスを競うえっさホイおどり等、様々な催し物があります。
城を使ったプロジェクションマッピングのイベント等も開催されたりしています。昨年は国際大会も開かれました。
象のウメ子
昭和25年に小田原動物園に来園し、日本最高齢のゾウとして60年もの長きにわたり親しまれてきたゾウのウメ子は、平成21年9月17日未明に老衰のため死亡しました。
平成21年10月17日(土)に開催された「ウメ子のお別れ会」の式典には、約5,000人が来場しました。
小田原城の敷地内に元々動物園があり、今は猿しかいませんが、昔は象のウメ子というのがいて人気がありました。
非常に狭いところだったので、観光に来た南アフリカ出身の英会話の先生がそれを見て、「なんて酷いことをするんだ!虐待だ!」と大激怒していたこともありました。
現在小田原市民交流センターという公共施設があるのですが、ウメ子にちなんで「UMECO」と名付けられています。
報徳二宮神社
城址公園内に、二宮尊徳(金次郎)翁を御祭神とした明治27年創建の報徳二宮神社もあります。
いかがでしたか。機会があれば訪れてみてくださいね。
それでは、また。
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