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印僑(在外インド人)の三形態

海外に移住し、血縁または地縁によるネットワークを作り、経済的に大きな影響力を持つようになったインド系移民を、日本語で「印僑」と呼ぶことがあります。中国系移民を「華僑」と呼ぶのと同様です。華僑は5千万人、印僑は3千万人規模との推計もあり、世界に根を張っています。
Queenのフレディ・マーキュリーの両親はインド人(パールシー)なことはよく知られていると思います。

またGoogle CEOのサンダー・ピチャイ、マイクロソフトCEOのサティア・ナデラ等、世界トップ企業の経営者も多く輩出しており、今後ますます影響力が高まることが予想されます。

ではどのような経緯で海外に移住するようになったのでしょうか?大別して三カテゴリーに分類されます。

タイプ1:米国・英国・カナダ

特に近年、IT 技術者など高い能力を持ったインド人材が米国や英国を初めとした英語圏に移民するケースが多々ありませす。それを可能とするのはインド人が持つ国際競争力の高さです。背景の 1 つは高い英語力、もう 1 つの背景は高い理数系能力だと言われています。マイクロソフトCEOのサティア・ナデラなどはまさにこのタイプ。

タイプ2:中東(サウジアラビアや UAE)

1970 年代に 2 度発生したオイルショック、そして原油価格が高騰した 2000年代中盤から後半には、インド人労働者がサウジアラビアや UAEなどの中東諸国へ出稼ぎに向かったそうです。

タイプ3:スリランカや南アフリカ・モーリシャス(2世・3世)

1834 年に英国で奴隷制が廃止されました。それまで英国が植民地で経営していたプランテーションの労働力は主にアフリカ大陸出身の奴隷でした。しかし、奴隷制廃止を受けて奴隷に代わる安価な労働力が必要となったため、インドから南アフリカやモーリシャス、トリニダード・トバゴ、フィジーなどへ多くの人々が移住し、サトウキビの栽培、鉱石の採掘、鉄道建設等の労働に従事しました。

一方、1910 年頃からはカンガニ(kangani)制の下、スリランカ、ミャンマー、マレーシアなどのコーヒー・紅茶・ゴム農園で、多数のインド人が働くケースが増えてきました。カンガニ制とは現場監督と採用担当者を兼ねたカンガニと呼ばれる者が地縁・血縁・友人関係を頼りに労働者を集め、彼らの仕事および生活の面倒を見る制度でした(1938年に廃止)。

終わり

フレディ・マーキュリーは上記の3つのカテゴリーとはまた別です。ペルシャ系インド人の両親はイギリス領だったザンジバル(現在はタンザニアの一部)に仕事の関係で移り住み、そこで生まれたのがフレディ。イギリスから独立したばかりのザンジバルは内情が不安定で、民族間の対立が深まっていました。1964年1月には革命と暴動が発生。5,000から12,000人にも上る多くの人が命を落としたこの混乱の最中、フレディの家族は無事脱出に成功し、イギリスに渡ったそうです。

#フレディ・マーキュリー , #サティア・ナデラ , #インド , #歴史 , #印僑 , #在外インド人

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