正解なんてないんだよとかいう世の中の詭弁──『正欲』読了


※『正欲 』(朝井リョウ著)の内容ネタバレを含みます。



食欲・性欲・睡眠欲。


これが人間の三大欲求がであるのは皆さんご存知だと思うんですけど、正直これどう思います?納得してますか?

私は、三大欲求の中に性欲が含まれていることにずっと違和感を抱いている。というか納得してない。シンプルに何で?って思う。排泄欲とかの方が良くない?承認欲求とかさ。まあね、人間という種族における存続っていう面で考えたらそりゃあ性欲は必要不可欠ってことは理解できるんだけど、なんか腑に落ちない。だってそんな深い次元で性欲のこと考えてる人いないでしょ実際。そのくせ性欲の是非になるとそういう規模のデカい話引き合いに出すのはちょっとずるい気がする。

だって性欲って、最悪なくても死なないじゃん。食べないと死ぬし寝ないと死ぬけど、セックスしなくても死なないもん。いやまあそしたら人間は滅びるけどね。しかもその行為が愛する人との最愛の行為として世に蔓延っているのが本当に納得できない。どんな愛情も最終的にぜーんぶセックスに収束するじゃないですか。愛を表現する方法ってもっとないの?全くなんだって神様は人間を増やす方法と愛を確かめる方法を一緒くたにしちゃったんですか?

ていうかそもそも性欲ってなんなんだ?性交欲の略ってことでいいのかな。それとも性的興奮欲の略?性欲は人間の本能だからなんてありふれた言葉で片付けないでさ、本当にそう思ってるんだったら自分の本能について、もっとちゃんと向き合って考えて話してみようよ……。




と、こんなふうに三大欲求について、とりわけ“性欲”について誰かと真剣に話し合ったことのある人達、となったら意外と少ないんじゃなかろうか。お腹すいたとか眠いとか経験人数とかそういった類ではなく、もっと深い芯の、欲望の話を。

……と考えていたんだけど、実は私の想像力が乏しいだけで、もしかしたら案外みんな普通に話し合ってることなのかもしれない、とも思い始めた。修学旅行の夜、サークルの集まり、会社の飲み会。そういった場で話題の中心を占めるのは大抵が恋愛の話。そしてきっとその中身は盛り上がるにつれセンシティブになっていくものなんだろうな。私にそういう経験があまりないだけで。電子書籍の漫画ランキングの上位を占めているのは不倫かセックスレスかの内容が推測されるタイトルのものが多く、やたらと一部分の文字がカタカナ表記されているのが目に入る。その度、世の中にはこんなにもその手の話題に需要があるのかと毎回驚く。私がその手の漫画に興味が無いだけなんだなきっと。

ということはつまり私は、ただ自分がそれについて人と話したことがなく、話題に上手くついていけたことがないだけという可能性が俄然高まってきたな……?

ここまで思い至ったとき、ついさっきまで他愛もないことを話していたのに、私が先を外した途端に恋人の話題をされていたのを感じ取ったときの空気を思い出した。あの子とその子が付き合っていたことを自分だけが知らなかった時。自分のいないところで異性の美醜について盛り上がっているのを感じ取った時。そしてその聞きたくもない下世話な話題にすら自分の名前は挙がっていないと悟った時。





あ、今わたし除外されてる。




そう感じた瞬間を少し思い返しただけでも、腹の底が濡れた砂袋みたいにずしりと重たくなる。たかが恋話で除外されただけでもこんな気持ちになるのだから、物語の中の彼らはそれまでの人生で一体どれだけこれよりも強い感覚を味わってきたのだろう。彼らにとっての除外は“今”などという過ぎ去る瞬間ではなく、存在と人生そのものだったというわけなんだから。




『たとえば、街を歩くとします。』

『正欲』本文より





冒頭11ページに渡る、物語全ての根幹を担うかのような文章を読むだけでも、この本に出会えた意味があったと思えた。紡がれる言葉尻がいちいち刺さって、いちいち私の心を救ってきた。「明日、目が覚めたら死んでいたい」なんて思ったこともないような人たちのために形成された世の中に辟易しているのは、私だけではないのだと。その胸中をここまで鮮やかにくっきりと粒立てて文章に表せる人が存在するのだと知れたことが、深い喜びを感じさせた。

と同時に、彼らに突き放されているような感覚にもなった。結局のところ私は彼らからしたらマジョリティで、一般的で、普通で、『多様性』の中に含まれることを許されそうな域にいながら、自分だってもっとオープンに受け入れられたいんです、などとほざいているおめでたい存在でしかない。分かった気になって手を広げてくるな、お前はこっち側じゃないくせに、と責め立てられているような気にすらなってきた。仮にそう言われたとしても、その通りすぎてぐうの音も出ない。私が今までしてきた身の上話だって結局は、“対人間”に限られた話でしかない。たぶん今の私は大也から見た八重子みたいな存在なんだろうな。私も八重子が大也抱いていたみたいな感情を人に対して持ってたことあるし。きっと私のこんな意見は粘っこくてうざったい。






六月二十一日の夜、寝室。夏月と佳道の会話や行動を見ていたら、堪らなくなった。私は彼らを心から美しいと思った。これまで読んできたセックスシーン(今回は擬似だけど)の中で、ここまで素敵だと思ったことはない。正直どんなに官能的に描かれた場面であっても、少し冷めた気持ちになる自分がいた。でもこれは違う。死ぬほど心焦がれた。あれ、私もやってみたい。

夏月と佳道の二人の生活が、わたしは心底羨ましい。私も誰かと手を組みたい。愛し合うとかそういうんじゃなくて、家族とか恋人とか夫婦とかそんないつ作られたかも分からないような言葉で定義付けられた関係じゃなくて、もっと淡白で、事務的で、危うくて、でもお互いのいちばん根幹にあるものや、脳味噌の中身や、自らを貫く背骨のように確立された価値観を言葉を多く交わさずとも共有していて、互いが唯一の存在であるような。

『人間の重さって、安心するんだね』

『正欲』桐生夏月の台詞より



重さ。人間の重さ。触れ合うからこそ得ることが出来る人の温かみ。そこから得ることが出来る安心感は、性欲に関係なく誰しもあるものなんだなと思った。

わたしは一人でいいと強がってみても、無性に誰かと話したくて触れ合いたくなるときがある。端的に言うと人肌恋しい。でもこの欲望をなんと呼んだらいいのか分からなくて口に出すのが恥ずかしいのだけど、私にとってこれは性欲とは違う欲望なんだ。でもこれを満たすには、性欲みたいな分かりやすい表現を用いないと人に伝えることは難しい。もっとほかの表現ってないのかなあ。

ていうか、性欲に対して『汚らわしい』『隠すべき』みたいな印象抱いてる人多いイメージ(私も含む)なんだけど、性欲の定義ってもっと浅くてよくない?例えば単に触れたいとか傍にいたいとか、そういうの淡いやつも性欲として考えてくれてもいいんじゃないですかね。そしたら性欲に対する汚らわしそうなイメージって軽減すると思うんだけどな。まあ、そう考えられるようになったのは友人と性欲について議論し合った時に相手がそう言ってたおかげなんですけれども。そういった考えを導入できた今でも尚、性欲という言葉を使うことに対してまだ抵抗がある。











『睡眠欲は裏切らない』
『食欲は、裏切らないからです』
『物欲には裏切られないから』

『正欲』本文より


私にとって裏切らない欲とはなんだろう。
というか逆に欲望が裏切るってなんだ?
たしかに食欲は裏切らないとかよく聞くけども、じゃあ裏切る欲望ってなんなんだ?この物語における彼らにとってそれは性欲で、そしてこの場合の裏切るとは恐らく『誰からも理解されないくせに無くなってくれない衝動』のような意味だろうか。

考えてみよう。まず食欲。裏切らない欲望の代表みたいな顔をしているけど、正直人によりすぎないか?いっぱい食べる人、ちょっとでいい人、濃いのが好き薄いのが好き、偏食、食のこだわり、食べるより作る行為が好き、その逆、などなど。

体型の原因は食欲に起因することも多くあると思うが、人々は標準的な体型しか良しとしない。肥満は自己管理の怠り、痩せすぎは不健康。そういった意味では食欲にも正解のボーダーラインがうっすらとあるような。

でもこれってただ単に食事量の話だ。なんかちょっと違う気がする。例えば、自分では想像もできないような物を食べるのが好き、という人が居たら。人肉、昆虫、毒、草、花、石や砂、絵の具、布、など。そういうものを食べるのが好き、と言う人に出会ったら私はどう思うんだろう。うーん、想像ができない。まだまだ私の脳味噌はガチガチだな。


では睡眠欲。これはどうだ。一日にかけて過ごす時間が朝昼夜と大雑把に三分割され、その真ん中が主な活動時間であると定められている時点で、世の中の睡眠時間というものは大体決められてしまっているような気がする。社会はロングスリーパーや夜行性の人向けには構築されていない。そのくせ24時間対応のような、夜勤・早朝勤務があって初めて回るようなサービスはどんどん増えていく。おかしなものだ。普通から外れたスケジュールをこなしてくれている人達のおかげで、自分たちは朝起きて昼活動して夜寝ることができて、深夜にでもすぐ欲しいものが手に入るような生活が送れている事実を普段から気にしている人が果たしてどれだけいるのか。

朝起きられない人、早朝近くまで夜更かしする人、すぐ寝てしまう人は怠けているとされ、短い睡眠時間でも懸命に動く人は何故か賞賛されがち。休日にひたすら寝て過ごすことに対する冷ややかな視線ったらありゃしない。一日中寝て過ごすことが最大の喜びである人もいるだろうに、「せっかくの休みなのに」という凝り固まったモッタイナイ精神の器はそんな人たちを決して受け入れない。休みの日に美味しいもの食べて食欲満たしたり、欲しかったもの買って物欲満たしたり、好きな人とデートしてホテル行って性欲満たしたりするのと一体何が違うってんだ。


しまった、自分が食欲と睡眠欲とが旺盛なせいでつい話がどんどん逸れる。これだって結局は睡眠欲というより睡眠量の話だ。これ以上はルートから外れすぎるからやめよう。話を本の内容に戻す。






『“恋愛感情によって結ばれた男女二人組”を最小単位としてこの世界が構築されていることへの巨大な不安』

『正欲』神戸八重子のモノローグより


自分がずっと抱えてきた靄をこうもハッキリと的確に表されると、嬉しさや共感を超えてもはや悔しさまである。なまじ境遇とがいちばん自分と似通っているせいで、八重子の言葉は私の体の中心をぼこぼこ沸騰させてくる。六月二十二日、初夏のむわっとし始めた大気が道路を熱し、八重子と大也の二人を蒸しあげたように、私の中の感情が顔から昇り上がっていくような気がする。


『いっそLGBTQに生まれていればよかった、と一瞬でも思った自分に驚いた』

『性欲とか恋愛とか結婚とかそういうの全部関わらずに生きていけるならそれでいいって思いたい。だけど人を好きになっちゃうの。男の人もお兄ちゃんもめちゃくちゃ気持ち悪いのに、それでも私は男の人を好きになっちゃうの!』

『異性愛者だって誰だってみんな歯ぁ食い縛って、色んな欲望を満たせない自分とどうにか折り合いつけて生きてんの!』

『正欲』神戸八重子の台詞より


この本は一貫してすごくリアリティが高いから、現実の世界に即したような時間の流れや時事的な話題が巧みに組み込まれているおかげで、かなり世界観に入り込みやすい。同時にひどく冷や汗をかく。だってこれとかそれとか絶対あれがモデルでしょ。こんなに対して言及していいの?炎上しない?大丈夫?
特に八重子が叫んだこの言葉たちに私は焦った。そんなこと、ここまではっきりと文章にしていいのか。異性愛者がいっそ同性愛者になりたかったなんて、異性が怖くて苦手なくせに異性が好きだなんて、異性愛者だって苦しいんだって、そんなの、絶対に口にしてはいけないと思ってきたのに。


だってわたし、好きになった人の裸が見たいだなんて思ったことがない。
この人とセックスしたいとか子供を作りたいとか、そんな風に思ったことがない。ただその人が好きで、なるべく沢山見ていたくて、話したくて、ただそれだけ。

だってわたし、好きになった人の裸が見たいだなんて思ったことがない。
この人とセックスしたいとか子供を作りたいとか、そんな風に思ったことがない。ただその人が好きで、なるべく沢山見ていたくて、話したくて、ただそれだけ。
こういう思いを口にしたことはあるけれど、大体は「純粋だね」「まだいい人に出会ってないだけだよ」と言われるから、そうだといいなとしか返せなくなる私がいる。

本当にそうなのかな。そう思える人に出会えたら私は変われるのかな。確かに私は経験値が低くて未熟なのかもしれない。だけど私は私なりに、これまで好きになった人たちへ愛を持っていたつもりなんだよ。それは、なかったことになってしまうんだろうか。私がこれまで相手を好きになった気持ち、その人を見かけられただけで嬉しくなる気持ち、その気持ちで悩み苦しんだ痛み、それでもその人に対して『好き』以外の感情が浮かばなくて、認めざるを得なくなった過程。私にしかない私だけの心の動きを、ただ『その人と性的なことはしたくない』という1点のみで全て無かったことになってしまって、その人との出会いごと存在ごと私の葛藤ごと、さっぱり消えてしまうのは、すごく悲しい。

みんなと一緒の感情じゃないと、これは好きとは違うものになっちゃうのかな。違うものとして名付けて紹介しないと否定されるかも。そう思ったら、おいそれと好きかもなんて口には出来なくて。それならいっそ、恋したらつい口にしたくなってしまうことなんてないような、誰にもに理解されないような性的嗜好を持っていればよかった、と思ってしまうことが稀にある。

でもこんな自分のことを、きちんと気持ち悪いと思ってるよ。おかしいし、意味が分からないし、たぶんこれは恋としては間違ってるんだろうなって、ちゃんと自覚してるんだ。だから、これでいいってことにしてくれないかな。






──それでいいんだよ。
正解なんてないんだから。


あなたのやりたいことをやればいい。あなたの感じたことが全てだから。周りとの違いなんて気にしないで。どうかあなたの思うままに。



と、世間は笑顔で囁いてくる。


いやいやいやいや、ふざけたこと言うのも大概にしてくれ。そんなの優しさでもなんともないです。
これまでの教育でとことん不正解を打ち潰してきたくせに。集団に溶け込むことを正解とし、正しいとされる行動をさせ、特異を認めてこなかったくせに。そして何より私はそういった集団の中でそこそこに評価されるような振る舞いをしてきたから、もうそれ以外のやり方が分からない。いい成績が取れるように、浮かないように、叱られないように行動してきた。それが正しかった。


なのに突然、もう正解なんてないんだよと手を離された。

どうしたらいいのか分からなくなった。正解がない?は?じゃあ何をしたらいいの?何をしたら社会から外れない?正解がないとか言っときながら、いやそれは流石に違うでしょっていう声はハッキリ聞こえてくる。なんなんだそれ。結局そっちの想定内での不正解しか認めるつもりがないんだろ。

しかもそれは恋愛や性欲に限った話ではない。非正規雇用で働いてますって言ったらいつか正社員になれたらいいねって言葉をかけられるし、いい歳して実家暮らしの人には何となく半人前みたいな視線を向けられるし、派手髪にしてたら一体どんな仕事してるんだろう、って邪推される。

それも個性だよね受け入れるよ、という言葉はこっちが外側であることを強調するだけだ。


『異性の性器に性的な関心があるのは、どうして有り得ることなんですか』

『異性の性器に性的な関心があるのは、どうして自然なことなんですか』

『正欲』桐生夏月の台詞より

結局のところ、これに尽きるのだ。ひどく素朴な疑問。啓喜に言わせれば『突拍子もない質問』。みんなが正解だとしているその欲望は、なんで有り得ることで、なんで自然なものなんですか。それが普通で、他のは気持ち悪いとされるのは何でですか。

同性愛者がいるのは別にいいけど目の前にはいてほしくないって、そういう意見があることも私は知ってる。これ、異性愛に置き換えてみたら途端に発言権を失いそうだよね。でも私は若干そう思ってる節がないとは言いきれないよ。異性愛の人たちをなるべく目に入れたくないなんて口に出したら、とんでもないことになりそうだから言わないけど。

異性に、性器に、性交に興味がある。これが正しい欲望だとする社会の流れは、定期的にSEX特集が組まれる雑誌がある時点で明らかなわけで。性交って、嫌な言い方をすれば他人に欲望をぶつける行為で、他人を使って自分の欲望を満たす行為なのに、するのが当たり前で、適正年齢があって、それまでにしてないとおかしくて。それって本当に、本能的に決められたことで、好きな人相手だったら許されることで、抱くべき感情なの?でも、そうとされている大きな社会の流れにいると、これが分からない自分は浮いた存在なんだと気づいてしまうから、つい気持ちごと奥底へ潜りこんでしまう。




例えば「異性の性器に性的な関心がある」における『関心』の形が歪だったら。年齢がかけ離れていたり、次元を超えていたりしたら、それはそれで気持ち悪がるよね。じゃあ無機物や未成年だったら、ってしたとしても、理解できない意味が分からない変態だって思われてしまう。そんなものに性的興奮するなんて、って。まあ分かるよ。倫理的にタブーな感じ、するもんね。分かってしまうのがまた難しいところなんだけど。


だったらじゃあ、好きな人の性器は、そんなものではないんでしょうか。愛があれば乗り越えられるんでしょうか。それを乗り越えられないものは、愛じゃないんでしょうか。互いで性欲を満たしたいなんて微塵も思ってないけれど、互いに居なくならないで欲しいと心から願っていた夏月と佳道の関係は、愛では無いのでしょうか。






……でもね、わたしは正直、パーティの3人が小児愛者じゃなかったと判明した時、心のどこかで安心してしまいました。これだけつらつらと書いてきたくせに、です。
修の訃報が入ったとき、内心ほっとしました。これで安心だ、ざまぁみろと思いました。彼は何も私に、ましてや夏月にさえも直接的な危害は加えていないのに。
読み進めていく度に、啓喜がどんどん嫌になりました。初めは彼の考えに共感し、取り巻く環境に同情していたくせに。
大也にもっと話してほしいと思ってしまいました。彼はそんなの求めていないと散々書いてあったくせに。打ち明けられない苦悩を重々理解したつもりになったくせに。

恋愛至上主義な世の中に嫌気が差しているにも関わらず、友達に恋人ができる度に置いていかれた気持ちになります。これ見よがしに記念日をストーリーでお祝いする人々に嫉妬しています。自分に恋人は必要ない、自分は正しく人を愛せないし誰からも愛されないと分かっているくせに。



これも正しい感情なんですかね?



誰かに問わないと気が済まない。答え合わせをしないと安心できない。たとえ正解不正解なんてなかったとしても大多数の人と同じではありたい。点数をつけるものじゃなかったとしても「つけるとしたら」の点数が知りたい。そしてあわよくばそこで高得点を取りたい。認められたい。許されたい。間違いじゃないと言われたい。正しくありたい。

なんて醜く歪んだ正欲モンスターなのでしょうか。そんな自己陶酔に溺れた言葉すらも、あっていいものかと誰かに問いかける。




『あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人なんて、この世にいないということだ。』

『正欲』裏表紙あらすじより


『正欲』という表題。初見時は正しい欲と誤った欲のことで、誤った欲を持ってしまった人たちの物語なのだろうかと思っていたけど、解説を読むと、『正欲』は“正しくあろうとする欲”捉えることも出来るのだと気づいた。
だとしたら、私にとっての三大欲欲って“食欲・睡眠欲・正欲”かもしれない。正しいものを選びたい、正解でありたい、大丈夫だと言われたい。あるかどうかも知らない、誰が定めているのかも分からないような正しさを、私は呼吸するように求めている。


だって現に今も私は、この文章の正しい終わり方を探している。

そしてきっと正解には永遠に辿り着けないんだろうな。

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