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アイデア方向音痴





『0から1をつくるということは、とても難しいことです。けれど、必死にもがき苦しめば、0.1くらいは生み出せるものです。あとは、それを10回繰り返せばいい。
「ないものをつくる」ということは、もっとも尊いことです。一生かけて向き合う価値のあることだと思います。』
『僕がコントや演劇のために考えていること』
著・小林賢太郎


敬愛するクリエーター・小林賢太郎氏の言葉。初めて聞いた時、感動すると同時にハッとさせられて、目から鱗どころか人魚が出そうだった。あれほど胸を打つ作品を大量に生み出している小林賢太郎さんでも、作り出すのにはもがき苦しんでいる、という当たり前の事実。才能溢れる人々に対して、勝手に「この人たちは作り出すことに全く苦悩しないんだろうな」と思い込んでいた自分の浅はかさ。嗚呼、なんて愚かなのだ。愕然とした。


それでもやっぱり、アイデアという言葉に対する恐怖感は拭えない。


アイデアを出す。アイデアってなんだ? 発想ってなんだ? 思いつくってなんだ?
小林賢太郎氏は、「アイデアは思いついたり閃いたりするものではなく、辿り着くもの」だという。この言葉には少しだけ心が救われたような気がした。それなら閃きに乏しい自分にも出来るのかもしれないと思えたから。けれども、辿り着き方が分かったわけではない。辿り着くものだとしたらそこに行くまでの道筋があるはずだ。私にはそれが分からない。アイデアの方向音痴なのだ。どっちの方向に足を踏み出せばいいのかがさっぱり分からないからお手上げだ。これでは辿り着くなどという次元ではなく、出発すらできないのだから。

……などと理屈っぽい言い訳をぐだぐだと並べていないで、思いついたものを何でもいいから口にしてみればいいじゃないか。あぁ思い出しただけで本当に「しにたく」なってしまう、アイデアを出せなかったあのときそのとき。考えただけで本当に頭痛がしてくる。

アイデアを出せない理由は他にもある。
それは、自分のアイデアを素晴らしいものとして評価されたいと思ってるからだ。

空っぽの脳内から絞りに絞って叩きまくって苦しんだ末に編み出したアイデアを、どうしても「いいもの」として評価されたいのだ。
そしてまた、それが他の誰にも思いついてないような斬新かつ新鮮なアイデアでありたいとも願っている。聞いた人をあっと言わせるような、その発想はなかったと思わせるような、そんなアイデアを出してやりたいという欲望が渦巻いてしまっているのだ。そういうチンケな承認欲求のせいで、馬鹿な私はまた「アイデアが思いつかない」などと大声で喚き、他人のアイデアを羨んでは嘆いている。


なんだっけ、あの李徴が虎になっちまったやつ。臆病な自尊心と尊大な羞恥心だ。多分それ。李徴病なんて言われることもあるやつ。私の中にもそれがあって、アイデアと向き合う度に私は虎になりかける。


「○○駅 コンビニ」って調べたらたくさん赤点が場所を指してくれるみたいに、「アイデア 小説」とか入れたらその付近に印がついてくれたらいいのに。


まあ、でもそれはアイデアに辿り着いたとは言えない気がするけど、ね。
アイデアって難しい。創作って難しい。

でもだからきっと、創作はやめられない。

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