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趣味:恋愛


恋愛って人生の必修科目なのだろうか。


 例えば、初めましての人と何気なく会話を広げようとしたとき。往年の友人と盛り上がってきたとき。もっと仲良くなりたい人と話したいとき。そんなとき、「恋人の有無」や「恋愛経験」、「好みのタイプ」などといった所謂【恋愛絡み】の話題を用いる人はかなり多数いる。確かに万能な話題であるなとは思う。人の好みは千差万別だから話題は無限に広がるし、相手の意外な一面を知れたり、普段は言わないことを聞けたりして仲が深まることだってあるだろう。わかる。自分にだってそういう経験がある。聞きたくなる時もあるし話したくなる時もある。



ただ、ただちょっとだけ引っかかってしまう部分がある。


それは、「それって別に恋愛の話じゃなくてもよくないか?」という疑問。



……なんかこれだと違うな。言いたいニュアンスが上手く伝わってない気がする。


私が疑問に思っているのは、
「なぜ恋愛の話だけが万国共通に楽しめる話題として蔓延しているのか」ということ。
うん、こっちの方がしっくりくる。


恋愛の話題に上手く乗れない人もいる、っていう認識を持っている人が少ない気がする。恋バナ=盛り上がる話題の鉄板ネタ、という式が確立されている。自分が個人的に好きなゲームだったり芸能人だったり旅行だったり、そういう自分の趣味全開の話を、相手も同じ温度で盛り上がれることを前提にして話題に挙げることはしないのに、こと恋愛に絡んだ話になると、そのハードルが、ガクンと下がる。何故なのか。


「そりゃあ趣味は人それぞれだし、相手が興味なかったり嫌いだったりしたら上手く盛り上がれないからでしょ。その点、恋愛は大体の人が経験してるし、共通の話題として相応しいんだよ」


……いやまあそれはそう。そうなんだけど、それが当たり前に受け入れられてるのが自分にとっては「なんで?」なのだ。盛り上がれるか否かが分からない、というのは恋愛話にも当てはまることなんじゃないか?


テレビを見る習慣のない相手に「好きな芸能人は誰?」と聞いたところでお互いイマイチ盛り上がれないことは感覚として伝わるだろう。「多くの人は興味を抱いてるっぽいけど、自分は日常的に話をするまでの興味はない」みたいな話題を、さも当然のように振られて乗り切れずちょっと困った、みたいな経験って、誰しも一度くらいはあるんじゃないか? ほら、鬼滅見たことない人に対して差別的な言動をするっていう意味で「鬼滅の刃ハラスメント」とかいう言葉が生まれたよね。ハラスメントってどんどん何でもアリの便利な言葉になってるよな。それによって被害者が声を挙げやすくなるんだったらいいけど。でも分かりやすく端的に表現することって別の弊害を伴うよな。


話が逸れた。とにかくその「ハラスメント」とかいう言葉の汎用性の高さに甘えて表現するのならば、世間は「恋愛ハラスメント」に溢れていると思う。さっきも言ったけど、恋愛に興味のない人だっている、という前提が、とにかく頭にない。それが自分にとってはキツい。恋愛興味無いの?それはまだ良い出会いがないだけだって、とか言われがち。私の人生の何を知っているんだ。


かくいう自分も昔は全然そんなことはなく、繰り広げられる恋バナに対して特に違和感もなく受け入れていた。何なら一緒に盛り上がっていた記憶すらある。でもいつからか、そういう話を楽しめなくなってしまった。誰と誰が付き合い始めて、でもその前は誰々さんと付き合ってて、あの女優と俳優の熱愛が出て。そういった浮ついた話に興味をそそられなくなった。それどころか、むしろ嫌悪感さえ抱く時もある。芸能人の熱愛なんて特にそうで、何の権利があってそれを話題にしている?その人のプライバシーは無視なのか?と憤りを強く感じてしまう。


とはいっても別に、恋愛の話を毛嫌いしているわけでは決してない。恋愛経験は人生を豊かにしてくれるだろうし、人を愛し人に愛されるということは非常に尊いものだ。互いの価値観を擦り合わせることで新たな世界を知ることだってあるだろう。結婚、ということになったら人生は大きく変わるだろうし、家族が増えることで交友関係だって広がる。恋愛は人生において重要な事柄であることは分かっている。この世から消えろ!とまでは思ってない。


ただ、恋愛だけが妙に高尚なものとして尊まれていないか? というだけの話なのだ。恋愛が尊いとされるように、その他の趣味だって等しく尊い。どんな趣味だってそれはその人の人生を豊かにしてくれるし、大切なもの・失いたくないものを増やしてくれる。それは時に人生を変えるし、自らの視野と交友関係を広げることにも繋がるだろう。だったら他の趣味と扱い一緒でよくないか?趣味は何ですか?読書です、野球観戦です、登山です、ゲームです、恋愛です。終わり。それでいいじゃん。なんで恋愛だけ別枠にするの……。


そう思ってるくせに、恋人の有無だけで惨めな気分にさせられる自分に辟易する。友人から恋人の話をされると、自分だけが置いてかれたような気持ちになってしまう。結局は自分も恋愛至上主義な社会に染まってしまっているのだと思う。ましてや人生において一度も恋人がいた事のない奴の言葉なんて、世間からしたらただのモテない僻みにしか聞こえないんだろうな。ああ、無念。

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