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バールのようなものの正体

誰もが行き交う道の真ん中で立ち止まっている人を見ると、
少し不快に思う一方で、すごく羨ましくも思う。

あ、この人はそういうの気にしない人なんだと。

僕は、うまく車線変更できない初心者マークがついた車のように
その人の前で一旦立ち止まり、
人々の間隙を縫うように、後ろの車、いや、後ろの人に少し頭を下げてから人波へ混ざっていく。

そして、思う。

こういう人たちは得している。
徳はないが、得がある。

その分、損をしているのは僕のような人間だ。

歩きスマホをしている人は、
誰にもぶつからずに進めていると思っている。

避けてもらっていることにも気づかずに、
その人は進む。

初めて歩いたその日から、
自然にできていたであろう、

地球上の動物が当たり前にやっているであろう、
警戒心の薄れたあの鳩でさえやっている、

前を見て歩くという基本動作を
どこかに忘れてきたかのように、
一切前を見ることなくどんどん進む。

傘を横向きに持って前を歩くおじさんは、
手をブンブン振って元気に歩いている。

手に傘を持っていることを忘れているのか、
もしくは、自分のことをネクストバッターズサークルから打席へ向かう
大谷翔平だとでも思っているのか。

周りの人、特に子供が、傘の先端に突き刺さることのないよう、
誰にお願いされたわけでもないのに、
僕が密かにボランティア警備員をやっていることにも気づかず、
バットを、いや、傘を横向きに持った手をブンブン振って歩く。


ただ、歩きスマホ野郎も、傘振りオッサンも気づいてないだけで、
それは僕のような人間が、避けてあげたり、
傘の先端から目を離さずに警戒したりしているのだ。

ただ、これらの人たちは気づかない。
この先も絶対に気づくことはない。

だから、羨ましい。
すごく羨ましい。


でもなりたいとは思わない。


ある言葉を借りるとするなら、
今村夏子の「ピクニック」を読んでも何も感じない人間にならなくてよかったと、

感受性が豊かなフリをすることで
自尊心を満たそうとする、感受性が乏しい自分。

僕は今日も気づかない人たちを避けながら生活する。

世界中のマイナスを一身に受けているかのような、
悲劇のヒロインさながら、
自己中心的な他者を自分が支配しているかのような、
自己中心的な厨二脳。

得はないが、徳がある。

そう言い聞かせて
今日も人波に飲まれていくだけだ。

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