未タイトルみたいなタイトル
最近ストレスが限界に達したので、
なにかを吐き出さないとやってられないと思い、
重い想いを書き殴ります。
なぜ、ストレスが限界に達したから書き殴るのかというと、昔から、正確にいうと小学生の頃から、
ストレスを感じると
ノートに文字を書きまくってました。
文章ではありません。
ただの文字を書いてました。
文字だけを書いていました。
特によく書いていたのは、
「あ」です。
他には「ゆ」。
たまに、「め」です。
なぜ、この3文字かというと、
ゲシュタルト崩壊を引き起こしやすいからです。
(以下、ゲシュホウとします。)
では、なぜゲシュホウを引き起こしたいのかというと、小学生の頃の僕は、ゲシュホウが大好きでした。
どれくらい好きだったのかというと、
もしゲシュホウが人間として存在しているのであれば、隣の席になりたいくらい好きでした。
隣の席になったら、
教科書を忘れたフリをして、
机をくっつけて教科書を見せてもらいながら
授業を受けたいくらいには好きでした。
消しゴムに「ゲシュホウ」と書いて
その消しゴムを誰にも貸さずに
最後まで使い切りたいくらいには好きでした。
ただ、ゲシュホウが消しゴムを忘れた時には、
すぐに貸せる用の消しゴムはちゃんと用意しておくくらい好きでした。
「あれ、これ新品だけどいいの?」
とゲシュホウから聞かれたとしても、
その新品の消しゴムを躊躇なく貸せるくらい好きでした。
小学生にとって新品の消しゴムというのは、
絶対に誰にも貸したくない代物です。
おろしたての消しゴムを貸してと言われた時の殺意、
そして、それを断ることができなかった
不甲斐ない自分を僕は今でも忘れません。
それくらい小学生にとって新品の消しゴムとは
何ものにも代え難い代物なのです。
長くなりましたが、つまり、
僕にとってのゲシュホウとは、
そういった存在だったのです。
しかし、別れは突然です。
記憶は定かではないのですが、
大人になってからでしょうか。
あんなに好きだったゲシュホウに
全くといっていいほど、
ときめかなくなったのです。
書いても書いても、無理でした。
僕は心が荒んだ大人になってしまって、
あの頃のゲシュホウにはもう会えないけれど、
会おうとしても、
もう一生会うことはできないけれど、
この文章を書くことで、
あの時の気持ちを思い出すことで、
少しだけ心が清められました。
明日から、また頑張れます。
ありがとう、ゲシュホウ。
またいつか会えるといいね。
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