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少欲とは欲望をたくさん抱いてはいけないという意味ではありません。夢や希望を叶えて幸せや喜びを十分に味わってください。肉体は「私」という意識の容れ物であり、物資的な体験というのは肉体を通じてしか味わえないものです。 ですが、心や思考が欲望に囚われてしまうと喜びのエネルギーはとても低い波長となり、私を苦しめることになります。 周波数の高い喜びというのはどんなものなのか知るためには、低い周波数の喜びを体験して徐々に上に高めていくことが必要です。 至福に満たされる喜び
幸せになりたいと誰もが願っていますが、幸せの価値観は人それぞれかなり異なります。自分が手にしていない幸せを持っている人を見れば、私たちの心は憧れたり羨ましく思ったりと感情のエネルギーを動かして相手へと意識をフォーカスします。 そうして、自分に向けるべき創造のエネルギーを自分の外側の事象へと垂れ流してしまい、自分の人生の幸せを創造するために使えなくしてしまいます。 意識を外側に向けて物事を考えても、私たちの人生は本当には良くなりません。あなたが心から人生を変えて幸せになり
近代化は私たちの暮らしをとても便利で快適にしてくれました。生活に労力を必要としなくなり、個人の自由が認められ、好きなことを楽しめます。沢山の時間と自由を私たちは手にしたのに私たちの心はいつも不満でいっぱいです。将来やお金の心配をしてエネルギーをすり減らします。お金がたくさんあればあるほど、今度はそのお金を失わないように気を配ります。 欲望はいつもあなたの不満から生まれていることに気づいてください。 心が満たされない人が財宝を手にしても、不満は果てしなくあなたを次の
「いつも神様が見守っていますよ」とお伝えすることがあります。 これは「見守られているから大丈夫」という意味と「あなたの全ての発言と行動を見ていますよ」という意味の二つが込められています。 私たちの心が弱くて自信が持てないとき、不安や恐怖で弱い自分をなんとか守りたい時、思わず神様にすがってしまうということは誰にでもあると思います。 ですが、神様は私たちが困った時に助けてくれる便利な存在ではなく、私たちがいつかは辿り着くゴールにいて、その道筋の途中にいるの一人一人の成長を見守
もし、あなたが将来について不安を強く感じることが多く、不幸な未来や不運な未来に対して備えることを考えて生きているとしたら、未来はそのようになります。 なぜなら私たちは常にあるべき未来を想定して生きているからです。 また、「足りない」という感覚も「足りない状況」を作り出します。 不足の思考や感覚は「足りない」場面を人生に何度も作り出してくれます。 私たちがそれを望まなくても、思考は現実化するので、否応なしに「お金が足りない」、「時間が足りない」、「愛が足りない」といった不足
先日、品川区にある小さなお堂での蔵王権現様と脳天大神様の縁日の読経に参加する機会がありました。 元々いらっしゃったご住職が戦後に吉野の金峯山寺で修行し、それ以降ここは金峯山寺東京別院になったそうです。 今、いらっしゃるのは吉野から参られた覚雄さん。 袈裟を着て出てこられたのですが、その姿がマスクもしていたので烏天狗そっくりで、「人間は修行すると天狗になれるのか!」と本気で思うくらいのお姿でした。 最後に阿弥陀如来への感謝の読経があったのですが、その前に信仰に関して大切なお話