見出し画像

猫も老人も、役立たずでけっこう~読書記録365~

猫も老人も、役立たずでけっこう 養老孟司 2018年

食う寝る遊ぶ、ときどき邪魔。それでいいじゃないですか。――NHKの人気番組「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」から生まれた、養老センセイと愛猫まるの老老コンビが贈る痛快エッセイ!
まるは、私の生きることの "ものさし"である ---養老孟司

愛猫まる15歳と暮らす養老センセイ80歳。
いつもネコろんでいる"まる" の目を通して、人間社会を眺めてみると、私たちの世界はどう見えるのか!?
"生老病死"を痛快に語る、悩み多き現代人必読のエッセイ。
本書は、NHKの人気番組「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」から生まれた、養老センセイによる痛快エッセイ。
NHK「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」は、"もの書く人のかたわらには、いつも猫がいた。"をコンセプトに、美しい映像で作家と猫の日常を綴る、映像エッセイ/ドキュメントです。
猫と作家の関係ほど、その作家の本質を雄弁に語るものはありません。その関係性から、私たちは、今まで知らなかった作家の意外な顔や、それぞれの作家が紡ぐ作品世界の本質を垣間見ることができるのです。
「まるは、私の生きることの"ものさし"である」と、養老センセイは愛猫まるについて語ります。
はたして、いつもネコろんでいる"まる"の目を通して、人間社会を眺めてみると、私たちの世界はどう見えるのか!?
悩み多き現代人必読の一冊!


養老孟司先生というと、東大医学を出た解剖学者の偉い先生といイメージがあるが、これはもう愛猫とののんびり、ほんわかしたエッセイだ。

自分の住む世界の価値観に、人は暗黙のうちに合わせられてしまう。常識や慣習、考え方、ものの見方、人の世に暮らせば、知らぬ間にそういうものが我が身にも染みついているんです。それは、世間のものさしですよね。だから時々、ものさしを取り替えたくなる。まるをものさしにすることで、自分のものさしがリセットされるんです。
人間誰しも、人に迷惑をかけるのなんて当然なんです。人っていうのは、いるだけで迷惑なものなんですよ。それを互いに許容するのが大人であり、社会でしょう。
猫は自分の死を悟ると、人前から姿を消すというのはよく聞きますよね。そういう、死期を悟るという感覚は、人間にも動物にもあるのでしょう。
人間は、必死になってすごいシステムを構築しているけれど、どうせ歳とったらみんな死ぬんです。だったら、何でもほどほどでいいでしょう。
(本書より)

養老孟司先生はカトリックの栄光学園中学・高校出身だ。本書に所々、キリスト教的な話も出て来るが、それは中高時代に学んだ事なのではないだろうかと思っている。養老孟司先生が学んだ頃の栄光学園は宗教の時間があった。現在はない。沢山あった本、CDなどは、何年か前に付属の大船教会に寄付されているのを現場で目撃している。

信仰というのを考えると、論理的に言うと、それは一種の自己否定の逆ですね。信じるという行為と神様という存在はほぼイコールなんですよ。つまり神様というのは正体不明だから、それを信じるということは、要するに「信じているということ」を信じている。それはもっといえば、自分が正しいと言っているのと同じことでしょう。
現実はひとつであることを神様が保証する。「全てを知っている神様」を事実と呼ぶ。これを唯一客観的事実というんですが、それがあると思っているのは一神教の信者です。
(本書より)

これは、キリスト教の概念をある程度知っている人間には、ウンウン。とわかる話でもある。唯一神信仰だ。
この点が、私の知っている栄光学園出身者と違う点だなと尊敬してしまった。


仏教がなぜ信頼できるか、書かれている。
確か、養老孟司先生は、松尾芭蕉の「おくのほそ道」での最北端。秋田県象潟のお寺の前の住職と知り合いだったと思う。


とにかく、死なない人はいないんだし、人間は万能じゃないのだ。猫のように生きてみたいと思うのだった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?