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小山明子のしあわせ日和~読書記録76~

2010年発行。女優にして、大島渚監督の妻である小山明子さんのエッセイ。

1996年、大島渚監督が63歳で倒れ、それからは介護の日々。
その中で、ご自身も鬱になられ、そこから立ち直り、前向きに生きておられる姿が描かれている。

2013年、大島渚監督が亡くなられたので、存命中の時期に書かれた書である。

1996年、ロンドンで大島渚監督が脳出血で倒れ、歩くこともできなくなってしまう。2001年に、十二指腸潰瘍穿孔で生死の堺をさまよい、要介護認定は最も重い5に。腸の手術で紙おむつ生活となった当初は、監督自身、荒れていた。

日野原重明「人はいくつになっても、生き方を変えることができます」
小山明子さんが10歳の時に亡くなれらたお母様がクリスチャンで、よくカトリックの希望の祈りを唱えていた。

辛い時、大変な時は、生きていれば誰にもあります。でも逃げずに、それらと正面から向き合えば、人はいくつになっても変われるし、成長できる。
女優だけやっていた頃よりも、ずっと人間としての幅が広がったし、心もしなやかになってきた。

小山明子さんが変わったのは、上智大学名誉教授で、イエズス会司祭のデーケン神父の言葉でだそうだ。
「過去にしがみつくのではなく、手放す心」「自分が置かれている状況をしっかりと見据えて、その中から楽しみ、喜びを見つけていく」
過去を振り返れば、カンヌ国際映画祭に日本人としては何度も行かれた、名監督・大島渚。
けれども、その過去を手放すということ。




丹羽文雄先生がアルツハイマー認知症になり、介護をされていた娘さんが、親を残して先に亡くなった、という出来事もあった。
人は、いつ「死」を迎えるのかわからないのだ。


小山さんは、息子さん達には、「自分の介護はしないで欲しい」「もしも、そういう状態になったら、施設に入れて」と頼んでいるそうだ。元気なうちに、ハッキリと自分の意志を伝えること。これを実践されておられる。

監督の糖尿病食を作り、管理するうえでの、栄養士からの指導でのストレス。それが小山さんの鬱にもなったのだという。

そして、無理な食事制限をするのは辞めたそうだ。好きな物を少し。
長生きするために色々我慢する。なんのための人生か?

これは、昨年末の私に言いたいのだが、内海聡医師信者らに騙され、多くの物を我慢し、お金も失った。そして、それまで平静に過ごしていた心が、落ち込んだり、荒れ果てたり。気づくと、「ぶっ殺す!」と、叫んでいた。
やはり、無理はいけないのだ。
日本茶が好きなら飲めばいいし。電子レンジで病気にはならない。日本の水は、そのまま使える。
そう、糖質制限なども、ストレスになるほどの抑え込みはよくない。
なんの為の人生なのか?楽しむ為だろう。

人は皆。自分以外の誰かを幸せにするために生きている。たった1人でもいいし、犬でも猫でもいい。この犬や猫は私がいなければ生きていけない。そうして自分がいることで何かの役に立っていると思えば、粗末な命なんて一つもない。~瀬戸内寂聴さんの言葉~


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