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芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか~読書記録357~

2010年、文芸評論家の市川真人氏により、書かれた考察本。



『1Q84』にもその名が登場する日本でもっとも有名な新人文学賞・芥川賞が、今や世界的作家となった村上春樹に授賞しなかったのはなぜなのか。一九七九年『風の歌を聴け』、八〇年『一九七三年のピンボール』で候補になったものの、その評価は「外国翻訳小説の読み過ぎ」など散々な有様。群像新人文学賞を春樹に与えた吉行淳之介も、芥川賞では「もう一作読まないと、心細い」と弱腰の姿勢を見せている。いったい選考会で何があったのか。そもそも芥川賞とは何なのか。気鋭の文芸評論家が描き出す日本の文学の内実と未来。

太宰治と村上春樹の共通点。それは欲しかった芥川賞を逃したということだ。太宰治の場合、選考委員でもある川端康成に強烈に批評されたようだ。
太宰治は、その事をずっと恨んでおり何度もの自殺未遂、最後も自殺で亡くなった。

著者は村上春樹の作品はアメリカ的と言っている。内容の事である。
私は、内容より文体がアメリカ的だなと感じる。
井上靖、大江健三郎ならこんな風には表現しないなと思う。
「僕は言った」
「レイコさんは言った」
などの、主語述語の英語的表現が多いのだ。
村上春樹の翻訳を読む時にも「表現が村上春樹だな。他の訳者ならこんな風には訳さないん」と思っていた。
日本語で書く場合、読み手が察して欲しい、というか、わかって当然のようなものが多いから、歴代の作家たちとは違ったのかもしれない。

私の個人的な見解だが、村上春樹は割とあっさりと振り切り、3作目のダンス・ダンス・ダンス以降は長編小説に。自分が本当に書きたい物を書き始めた気がするのだ。
IQ84もそうであるし、地下鉄サリン事件関係者への関係ないにインタビューした作品も、自分の書きたいものを書いているという気がした。
芥川賞の場合、選考基準があり、それに合わせて書くのだろうか。
しかし、話題性重視というのもあるようだ。
例えば、石原慎太郎氏、田中康夫氏。現役一橋大学生。で注目を集めた。

簡単に言ってしまうと、村上春樹が芥川賞を取れなくても彼の本は売れるし、固定ファンはいる。
選考委員と本を買う側の読む眼が違うということなのだろうか。

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