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日本人は死んだらどこへ行くのか~読書記録341~

2017年、神職の資格を持つ宗教学者の鎌田東二先生による書。

私たちは死んだらどこへ行くのか――。
これは誰もが必ず直面する問いであろう。この問いは、大いなる不安を伴うものであり、ときに絶望ですらあり、さらに深い孤独を感じさせるものでもある。 ほとんどの宗教が「死後」の問題を中心に据えているのも、それゆえだ。たしかに、「死んだらどこへ行くのか」についての固い信念があれば、「安心」を手にすることができるかもしれない。だが、その信念を持つことは現代日本人の多くにとって、そう容易なことではない。
現代に生きる日本人として、自分自身にとっての答えを見つけるために、古来、日本人が死についてどのように考えてきたかを知ることから始めよう――。
宮沢賢治、遠藤周作、三島由紀夫、柳田國男、折口信夫、新海誠、本居宣長、平田篤胤らの議論から、日本神話、怨霊思想、和歌の生命力、アニミズム的発想、自分史的観点までをふまえつつ、「死」と「日本人」の関係を結び直し、現代の「安心」を求める意欲作。

宗教学者の先生は、実際の宗教家(お寺や教会の偉い人や役員など)と違い、現代日本の現実をよくわかっているなと思う書であった。
現在のパワースポットブーム。これは「無縁社会」と関係があると著者は述べている。日本人の死生観の変化はコミュニティの変化によるものなのか。。。納得する。

キリスト教徒が考えるような、「現実世界」と「天国世界」。そのような二極化した考え自体は日本には元々ない。「あの世」「この世」という言い方をするが、かなり曖昧なものである。
あの世、死んでからの世界については、釈迦の言われた「無記」わからない。これがある。

結論として、時代が移ろうとも、日本人の在り方は変わらない。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でのキリスト教徒と日本人の死生観の違い。ここでないと天国に行けないを銀河鉄道の夜では協調していた。
遠藤周作の「深い河」での大津神父が言う「西洋的なハッキリと二極化で考える事が出来ない」。これは日本人の考えだと思う。

死んだらどこに行くのか。それはわからない。それでもいいじゃないか。など思う次第である。

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