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現代の保守

民放で言う所の法についてが議論される中、実は、民放自体、旧いものではないかと私は思っている。
明治時代の考えがそのまま残っているようにたまに思うのだ。

橋本先生には返信したが、私が前から思っているのは、櫻井よしこ、杉田水脈、千葉麗子らの「自称保守」と言っている方たちの思想は、殆どが明治維新後のものではないかということだ。
男では、海乱鬼などかな。

 結婚後の名字についても、議論は最近上げられるのだが、「日本はこうだ」と保守の主張は正しいのかと思っている。
北条政子も、日野富子も、源や足利にはなっていない。

細川ガラシャ夫人は、当時の日本では「明智たま」だったはず。
キリシタンであったから、明治以降のカトリック外国人が「細川ガラシャ」と呼び、当たり前の呼び名になったのではないか?

明治になって出された「神仏分離令」なども、現在の保守にとっては、喜ばしい事かもしれないと勝手に思っている。

靖国神社参拝することが、愛国者の証しなのだろう。
徳川家康は、神社もお寺も大事に、江戸の民衆の信仰心を自由にしたのだ。
そういえば、この愛国者がお寺に参拝する写真は観た事がないな。

個人的には、お寺の中に鳥居があるのは良いことだと思っている。
「身延山に鳥居がある」と反感して、新しく宗派を作ったメンバーにいるのだが、そういう極端というか、強すぎる意志が、やがてはカルトを生み出すのではないか?と思ったりする。

明治政府は神道の国教化政策を行うため、明治元年(1868)3月から、神社から仏教的な要素を排除しようとした。 これが「神仏分離」政策だ。


本当に明治政府の思想が保守そのものなのだろうか?時代、時代により、人なんか変わるものだ。
もっと柔軟でもいいのではないだろうか。

今、お寺の一部では「檀家だけ境内に」とか、教会でも「教会員だけ礼拝堂に」など言う所が多いが、これだけ交通手段も普及し、ネットも全世界に普及する中、それは時代遅れだろう。

この方の考えに大いに同意するのだった。


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