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あれから1週間。テレビで放送された、『ネクタイ町工場。どん底からの逆転物語』は、むしろ”これから”。

2022年4月17日(日)の22:00~放送の、フジテレビ「Mr.サンデー」で、株式会社笏本縫製のこれまでの歩みが再現ドラマを含めて紹介されました。最初に電話がかかってきた時には、”え?これドッキリか?”と疑いましたが、ガチでした。連絡を受け、丸1かけて取材をし、追加インタビューを受け、再現ドラマを撮影、放送の1時間前までディレクターさんと打ち合わせをして、放送までにかかった時間、たったの4日。

そして、放送終了後。一時サーバーダウンするほどアクセスが集中し、予想を大きく超える反響をいただきました。みんなでコツコツと作ってきたオリジナルシリーズのネクタイの在庫が、わずか2時間で完売。予約販売に切り替える状態となりました。(テンパっています。)

忙しいのは忙しいのですが、それでも、”今、このタイミングの熱量で記録を書き残しておきたい。”番組内でも紹介されたことと重複するかもしれませんが、この貴重な体験をブログにまとめておきます。もしよろしければ、最後までお読みいただけますと幸いです。

今回の話は、すべてこのツイートからはじまりました。

140文字では収まらなかったので、続きを。

これは、2021年の4月の出会いでした。あまりに感動をしたので、お客様にお許しをいただいてTwitterで投稿をさせてもらいました。その結果、たくさんの”いいね”や”リツイート”をいただきまして、感動を共有することができました。お客様からの反響だけでなく、同じようなモノヅクリに携わっている町工場の職人さんたちからも、

「これがモノヅクリの原点だ」
「すべてが報われたような気がする」
「全職人が泣く」

全国の職人さんからの反響の声

たくさんのお声をいただきました。コツコツと積み重ねてきたことが、一気に報われたような、そんな気持ちになりました。

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さらに話を進めていくには、1つずつ過去を紐解いていく必要があると思いますので、掘り下げて書いていきます。

絶対に家業は継がないと決めていた僕。

ウチは、岡山県津山市にある自宅の一室からはじまった縫製工場です。私自身、小さいころからずっと縫製の現場にいて、ダンボール箱の中に布団を敷いているのがお気入りのベッド。子守歌はミシンの音でした。

ベビーベッドが段ボールだった幼少期

私も元々は家業を継ぎ気は全くなく、女手1つで縫製工場を経営しながら家族を養ってくれていた母で、ホント毎日忙しそうで、返ってくるのはいつも夜中。一緒にご飯を食べた記憶も多くはないです。子供ながらにお金に困っているのは感じていたし、もちろん贅沢なんて出来なかったので、3つずつ年の離れた妹とも、絶対に家業を継がないでおこうと話をしていました。

数少ない親子の写真。母の影響でみんは剣道をしていました。

高校を卒業してからは美容師をしていました。しかしある日、母の体調が悪くなり、ピンチヒッターのように家業を手伝うようになりました。当時は本業の美容師の仕事が終わった後に、荷物を運んだり、値札をつけたるするような簡単な作業を夜中までやっていました。そんな中で改めて家業の凄さと厳しさを肌で感じたんです。

自分の生まれ育った背景には家業の存在があると感じたんです。しかし「私の代で会社は畳む。だから継がないで。」と母から頼まれました。借金もある。未来も明るくはない。きっと背負わせたくなかったんだと思います。ただ、そのときの悔しそうな母の表情をみました。ずっと僕たちのために戦ってきてくれた母。その目は、まだ生きていました。

「だったら僕もたたかう。ここで終わらせてたまるか」という気持ちになり、継ぐ決意をしたんです。親の心子知らずでもこの決断を正解にするのが僕の役割だと思っています。だからこそ掲げた理念が『お客様に喜びを。作り手にめいっぱいの幸せを』なんです。

創業当時の祖母がミシンを踏んでいる唯一の写真

ブランド立ち上げの経緯。

単純に、受け継いできた家業の技術を知ってもらって、「職人の仕事ってすごいんだぞ」という事が伝えたかったからです。そのためにはお客様と繋がるための『何か』が必要で、それが僕らにとっては「ブランド」でした。いわゆる小さな町工場の挑戦だったんですが、やはりブランドを作るということになると、業界にライバルが生まれることにもなります。受注がメインのお仕事だったので、“競合”とみなされてしまったら、今までのお仕事がなくなるんじゃないか?という声もあって、とても悩みました。

SHAKUNONEの想い

それでも、「お客様に喜びを、作り手にもめいっぱいの幸せを」とという想いを続けていくためには、絶対にここで行動しないといけないと考えていました。会社でも何度も話し合い、意見をぶつけていく中で、僕自身まだ不安がいっぱいで、踏み切れませんでした。この時、妻にも相談をしました。「会社で大きな挑戦をするかもしれないから、今まで以上に苦労をさせることもあるかもしれないし、もしものときには離婚を…。」と話したとき、すこし食い気味に、「そんな覚悟で結婚してないわ」と逆に叱られました。「やるって決めたらやるんじゃけん、思いっきりやりな!」という言葉は、僕の背中を押してくれました。どうやら、覚悟ができていなかったのは僕の方だったようです。この言葉をキッカケに、ブランドの立ち上げに踏み切れたんです。

鳴かず飛ばず。凹んでいた時にスタッフに言われた言葉。

最初は鳴かず飛ばずでした。1カ月に1本も出ないこともあったり、無名のブランドはイラナイと言われてしまったり。まわりから、「田舎の下請け工場からブランドをやったって、上手くいくはずない。どうせ無理だ」と言われたこともありました。実績もついてこず、やっぱり上手くなんていかないのかと、諦めそうにもなりました。そんなとき、スタッフに言われたのが、「ほかの誰もできないんだから、続けてほしい。絶対に伝わるから。」という言葉でした。最初は不安の声もあった中、時がたつにつれてみんなが期待をしてくれるようになっていたんです。この言葉がなかったら、たぶん諦めていたと思います。

背水の陣で挑戦したクラウドファンディング

今でこそよく聞くようになったクラウドファンディング。それが浸透し始めた2017年。思い切ってこれに賭けて挑戦しました。そこで、自分たちの代表商品となるロゴネクタイと言うものが生まれました。1カ月で1本売れるかどうかというところから、いきなり30日間で100万円の目標を立ててのちょうせんでしたが、多くの方に支えていただき、目標を大きく上回る172万円もの支援を募ることができました。これをきっかけに、大手の百貨店さんから声がかかりはじめ、イベントの開催ができるようにもなったんです。

不安いっぱいではじめたクラウドファンディング。30日の挑戦の結果。

訪れたコロナ禍。

なんとか認知度も広がりはじめ、さあこれからだというタイミングにやってきたコロナ。受注量は激減し、下請けのお仕事は前年よりも8割減

一寸先は闇。そんな中で迎えた2020年の春。突如訪れたマスク不足。「職人さんたちと、その家族分のマスクを自分たちで作ろう!」と賄いマスクを作りはじめ、思わぬところから噂が広まり、地域の方々にマスクを届けることになり、一時的に仕事が生まれました。しかし、これもずっとは続きません。本業の受注はみるみる落ち込み、2021年の春には、また職人さんたちにやってもらう仕事がないかもしれないという状況にまで陥りました。

そんな中で出会った、視力に障害を抱えられたお客様

今回のMr.サンデーでの取材のキッカケにもなったお話です。いつも電話が鳴り、ネクタイの注文をくださるお客様。ネットで自由に買える時代に、なんでわざわざ電話なんんだろう?と思っていました。

何度か電話でやりとりをする中で、「次にイベントの予定はありますか?」と尋ねられました。ちょうど、阪急メンズ大阪で期間限定の出店が予定されていたので、イベントの日程と、私自身が店頭に伺う日を案内しました。

それすらも忘れていた2021年4月。予定通り店頭に立っていました。すると、まっすぐこちらに向かってくる男性に気づいたんです。その人は、女性に支えられながら「あっちですよ」と案内されていました。手には白杖。「こんにちは。」とあいさつされ、声で電話注文の男性だと気づきました。そしてこの時、電話での注文の理由が”目が見えないから”だったことに気づき、体が一気に熱くなったんです。

失礼を承知で聞きました。
「なんでウチのネクタイを選んでくださっているんですか?」

すると、
「今はもう、デザインも色も誰かに説明をしてもらわないとわからないけど、生地や縫製の良さは人一倍わかるんです。だからアナタ達のネクタイをえらんでます。目が見えていた時からネクタイが好きなんです」と、答えてくださいました。

普段はフォーカスを当てられない私たちの仕事。これからも決して目立って褒められる仕事ではないのかもしれません。それでも、ネクタイの手触り、つけ心地など、私たちが長年、誰にも褒められなくてもこだわり続けてきたことを気に入ってくれて選んでく出さっていたことを理解した瞬間、私は泣くのを必死に涙をこらえました。自分たちが信じて続けてきた「ものづくり」を認めてもらえた喜びと、すべてが報われたような、そんな気持ちがあふれました。

この出来事が、たくさんの奇跡を呼びました

本note冒頭でも紹介しましたが、許可をいただいてTwitterで紹介をしたことからすべてが始まりました。

このツイートにたくさんのいいねをもらいました。これを目にされた新聞社の方が、記事にしてくださったんです。これが、2022年の2月。パラリンピックが終わってから記事が出る予定だったのですが、ウクライナとロシアの戦争の影響を受けて、公開が4月1になりました。

公開後すぐに反響をいただいて、たくさんの応援のメッセージをいただいたのですが、それから2週間後の4月14日。会社の電話が鳴りました。
「もしもし。Mr.サンデーのディレクターをしております〇〇と申します。」

最初は、新手のドッキリかと思いました。
D:「明日、取材に行ってもいいですか?」
私:「どこから来られるんですか?」
D:「東京からです。」
私:「え?ZOOMとかじゃなくてですか?」
D:「はい。カメラマンと一緒に行かせていただきたいです。」
私:「放送はいつですか?」
D:「次の日曜日の予定です。」
私:「3日後のですか?」
D:「です。3日後のです。」
私:「ガチなんですね…。」
D:「ガチですよ。」

まさかの出来事。こんな形で全国放送の番組に出るなんて思ってもいませんでした。4月15日(金)。AM10:00頃に、東京から3名のスタッフさんがお越しくださいました。早速、取材が始まりました。今までに何度か取材をいただいたことはあったので、緊張はあまりしなかったのですが、あきらかに質問の内容が具体的で、(え?そんな細かい所まで聞くの?)と思うくらい、なかなか前に進まないインタビューでした。ただ、ディレクターさんの話を聞いて納得しました。「このインタビューを、そのまま再現ドラマにしようと思っているので、細かい情景描写のところまで聞いているんです。」なるほど。

当初は、3時間ほどで終わる予定だった取材でしたが、終わってみれば7時間。ぶっ通し。慣れていないとはいえ、さすがに疲れました。
帰り際に、「追加の質問もあるとおもうので、また電話とメールで質問します」と言われたので、「いつでもどうぞ!割と夜更かししてるので、何時でも!」と答えて別れました。

その日の夜から、放送が始まる2時間前くらいまで、
「重要な資料や商品、個人情報が写り込んではないですか?」
「お名前の間違いはないですか?」
「表現方法は正しいですか?」
「事実と違っているところはないですか?」etc…
最後の調整は続きました。

放送のとき。

余裕ぶってはいましたが、内心めちゃくちゃ緊張していました。
まだ数時間あるのに先代(母)から、「緊張してきた」と連絡がはいったり、Twitterでは「録画完了」とコメントがはいったりと、少しずつ慌ただしくなってきました。

そして、22:45ころ。ついに放送が始まったわけです。

2022年4月17日放送 Mr.サンデーのスクリーンショット

放送時間、なんと16分。スタジオで宮根さんに感想をもらったり、CMも挟んで、信じられないくらい長尺で紹介をしてもらいました。キッカケをくださったお客様(VTR内 風見様)も出演してくださいました。

放送中は、一つの映画を観ているような感覚で、あれ、超共感するぞ…と、他人事のように感じていましたが、それはそうです。自分のことですから。
時間が進んでいくについて、携帯が鳴り始めました。

「感動してる」(仲間たち)
「テレビでてる?」(業界の人)
「これ、おまえじゃん」(同級生)

あっという間に終盤。
自分達の歩みを映像にまとめてくださったことで、改めて怖かったけど家業を継いだ時に覚悟を決めたこと、苦しかったことや悔しかったこと、そして、嬉しかったり感動したことを思い出していました。泣いた。

2022年4月17日放送 Mr.サンデー再現VTR内

放送終了後。思わぬことが…。

ブッ。ブッ。ブッ。ブブブブブブブブ。
携帯の通知が鳴り止みまなくなりました。何事かと思ってメールの受信箱をみてみたら、注文の嵐。ビックリしました。慌ててオンラインショップの管理画面に入ろうとしたら、(…入れない。)
アクセスが集中して、サーバーが落ちてしまっていたようです。さらに、お問い合わせラッシュ。ゆっくりと感動している暇もなく、焦ってアタフタし始めました。

まずは現状を把握しようと考え、Googleアナリティクスを開いて、何件のアクセスが来ているのかを確認しました。

焦って撮影したGoogleアナリティクスのスクショ。


ここから、ほぼ寝る時間もなく、刻々と変わる状況を把握するので精一杯でした。泣いてた先代の涙も引っ込んで、発送の準備を進めていきました。

結果、放送終了から約1時間ほどで過去最高本数の注文が入り、2時間後にはオリジナルロゴが在庫が完売。12時間後には1~2本ずつしか作っていなかったコレクションが完売。24時間経たず、商品を絞って完全予約受付に切り替えての対応。今まででは考えられないほどのお客様に選んでいただくキッカケになりました。

会社の電話も鳴りっぱなし。
お客様から注文の相談や、イベント出店の打診や、テレビ見ましたとの感想。今、自分が何をしているのかもわからなくなるほどになって、込み上げてくる嬉しさと共に、クラクラしてきました。

出荷の準備

やはり、テレビの影響は大きいのだと実感をしつつも、とはいえ放送直後と翌日くらいで落ち着くだろうと考えていました。でも、実際は週末の金曜日(4/22)まで変わらず続きました。生地の手配もお仕立ても発送の準備も追いつかず、下記のお知らせをSNSで発信させていただきました。

お客様へのお知らせ

同様の内容を、すでに注文してくださっているお客様にもメールしたところ、「大丈夫!納得いくものを作ってください!」「わかってるから、大丈夫!」「楽しみを膨らませながら待ってます!」など、たくさんの嬉しい返信をいただきました。

あのお客様に、お礼の連絡をしたところ…

すべてのキッカケになったお客様(再現ドラマ内 風見様)に、電話でお礼の連絡を入れました。取材の時間を作っていただいたり、わざわざネクタイを結んで出演してくださったり、ホントに感謝でいっぱい。
「放送、どうでしたか?」と感想を聞いたところ、「まだみてへんねん!ヘルパーさんからは、超よかったと聞いてるから、また楽しみにみるわ!」とのこと。続けて、「この時代に、嫌がらせみたいな連絡きてない?」と心配すらしてくれる優しさ。この反響の状況もお伝えをしたところ、むしろ僕たちよりも喜んでくださっていました。

「なにかお礼をさせてもらいたいです」とお伝えをしたところ、「お礼はまたカッコイイネクタイを作ってくれて、イベントで大阪に来るときに連絡してくれたらいいんだよ。」とおっしゃられました。思いました。(この方はただ、神様なんだ)

努力は必ずしも報われないのかもしれないけれど。

よく、「努力は必ず報われる」と言われます。もちろんそう信じたいですし、そう思わなければ前には進んでいけません。ただ諦めなかったからといって夢が叶うわけないんです。大人になるにつれて痛いほどわかってきますし、たぶんみんな気付いています。悔しいけど、 自分の平凡さが心底イヤになって、たくさんの人が挫けていきます。それでも引けない時がくるんです。そのときは大ぉきく深呼吸をして『諦めなかった人だけが夢を叶える』と声にだして、もう1日だけ続けてみるようにしています。その積み重ねが、いろんな素敵な出会いや経験を呼び込んでくれたし、こういった大きな一歩に繋がっているんだと思います。

大量生産はしない。時間がかかっても大切に仕立てる。

SHAKUNONのネクタイは、一本ずつ職人の手に頼って仕立てています。同じデザインのもの作り続ける方が簡単です。効率重視で生産することもできます。もしかしたら、「古くさい」と言われるやり方なのかもしれません。しかし、どれだけ時間がかかっても、新しいデザインに挑戦し、手仕事でしか出せない風合いにこだわり続けています。一部定番のデザインもありますが、「いつでも新しい発見をしてほしい」「特別な一本を届け続けたい」という想いを大切にしています。

職人であり続けられるために。

私たちの仕事は「作る」ことです。単純にネクタイを作っていくことにはこだわり続けていきます。それに加えて、考えることをやめず、新しいことにもどんどん挑戦していきます。
私たちの職人の仕事は、あたりまえがあたりまえであり続けられるように、あたりまえのことを徹底的に大切にすることだと考えています。

・良品が良品であり続けられること。
・お客様に喜んでもらえる技術がちゃんと続いていること。
・職人が笑顔で仕事をしていられる環境。

モノを作るだけが職人ではなく、それを未来に繋いでいくことも職人の仕事です。器用ではないので、失敗することもあれば、挫けることもあります。テンパってご迷惑をかけることもあるかもしれません(絶対あります)。

それでも、「ウチの家業はすごいんだ」と思って、この仕事に飛び込んだ時の気持ちを忘れず、夢の途中を走り抜けていきたいと思っております。
これを書いている、2022年4月23日時点では、まだお仕立ても発送も追いついていません。なので、まずは今を精一杯やりきって、さらに成長できるように取り組んでいきたいと考えています。

夢は、日本一のネクタイブランドを作ること。そして、世界で戦えるブランドを作ることです。できることは決して多くはありませんが、唯一の得意でぶっちぎる覚悟です。

たくさんの方からお力をいただいて、『小さな町工場からはできない』という思い込みが変わりました。

皆様からの引き続きの応援をいただけますと幸いです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。



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ふるさと納税をはじめました

すこしずつブランドを育てていくなかで、「この地域だからこそ生まれたブランドなんだ。」という想いが強くなり、お世話になってきた地域の皆様に少しでも恩返しをとの想いから、この度、ふるさと納税の返礼品事業者として参加させていただくこととなりました。

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