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月読尊ってどんな神様? 天照太御神、素戔嗚尊と並んで「三貴神」と呼ばれるものの、全くと…

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月読尊ってどんな神様? 天照太御神、素戔嗚尊と並んで「三貴神」と呼ばれるものの、全くといっていいほどその姿が見えない謎の神様。「どんな神様なんだろう?」そこから始まった私の妄想を綴っていきます。ただ、私は研究者ではないので、自分勝手な解釈でお話を進めていきます。<(_ _)>

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訪問してくださっている方々へ

私の記事をご覧くださってありがとうございます。 さらに「スキ」してくださったり、「フォロー」までしていただけること、とても感謝しております。 ただ、申し訳ないことに、なかなか皆様の記事を拝読させていただくことができておりません。 スキやフォローをいただけた方の所へは、ご訪問させていただき、最新の記事などを拝読させていただいております。ただ、先にもお伝えしましたように、現状、なかなかお邪魔させていただくことができていません。 「せっかく、読んだのに。何のリアクションもな

    • 植物から学ぶこと

      マザーツリーやミクロの森という本を読んで。 木や草花は、それぞれの特徴を活かして成長し、子孫を残す。 それは春が来たから吹き、夏が来たから成長し、秋になって種を残し、冬は眠りにつく、といった単純なものではない。 それぞれに違った生存戦略があり、成長の時期、成長の方法などもみんな違う。そして、決してそこから外れることはない。 人はどうだろう? 同じ時期に同じことを学び、同じ時期に多くの人と違う成長をするものは好奇の目で見られる。 植物たちの生活を知ると、人の世界の窮屈さ

      • 類は友を

        最近テレビを見ていると、めったに見ないのだけれど、職場の休憩中に眺めることがある、 そんなとき目につくのが外人のトラブル。駐車場で妙な止め方をして、自分が動かせなくなると、他の人の車を動かせと文句を言う。それが受け入れられないと、舌打ちをして不機嫌になる。 外人ってほんと困った人が多い。でも、よくよく考えてみると、こんなことの起こっている原因、そう、根本的な原因は私に、あなたにあるのだと。 私が、あなたが、いつも考え、行動しているのと同じような人が集まってくる。うん、類

        • おやすみ、かわいい人たち、眠る時間よ

          今、地球は、私達にこう語りかけているのかも。 多くの災害や戦争が起こる時代。今まで作り上げてきたものを、人自らの手で破壊していく。 多くの命がこの地を旅立ち、浄化され、正しい知識を得て生まれ変わってくる。そんな地にふさわしい地球に立ち戻るため。 人が自由に動け、自由に考えられるのは、大地や海の言葉を聞き、必要な手助けをし、美しい地球を更に素晴らしいものにするため。 多くの命を育み、健康に育て、長く繁栄をつなぐため。 「もう、これ以上、生き急がないで。もっとゆっくりと

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          生きる意味

          サラマンダーは失った部分を再生できる。 かつて人も同じことができたはず。 自力ではなくともそういう術を知っていて、施術できたのであろう。 それは人に対してだけでなく、植物や動物にも。枯れた木や傷んだ者たちを癒やし、元気にしていた。 本来、人の役割とはそういうものだった。そして、その対価として自然から守られ、食べ物をもらい、生かされていた。 地球は命を育む星。育まれた命がほかの星に移り住んでいく。精神性が高いのではなく、純粋。 神様の願いを実現するためには、さらに多く

          個と殻

          個を持つということは、殻を持つということ。 この殻だけれども、鶏の卵を想像するといい。卵の殻には無数の穴が開いていて、雛が孵るまでの間、卵の中の炭酸ガスを外に排出し、外の空気を卵の中に取り入れている。 人の殻も同じように、外界と遮断するように感じる個の殻にもいくつもの小さな穴が開いていて、宇宙との交信ができるようになっている。だからインスピーレーションなんかがやってくるんだ。 でも、自分が、自分が、というように個が強くなっていったらどうなるか? 強い個は、分厚い殻に囲

          不思議、不思議、不思議な体験

          今朝、通勤の途中、私の横を追い抜いていく人が。 先でゆるく左に道が曲がるのだが、その人が見えなくなったと思ったら、ちょっと先の横断歩道を渡っている。 私の時間感覚では、その人がそんな短時間で横断歩道にたどり着けるわけがない。 だからなんとも不思議な感覚に陥った。 あの人のいる空間の時間が早く進んだのか? 私のいる空間の時間の進みが遅くなったのか? はたまた私の勘違いか? 駅に私が着いたとき、いつもと変わらない時間だった。わずか十数秒の感覚のズレだから、違いなんてわか

          不思議、不思議、不思議な体験

          京都の今日

          今日、京都に行ってきた。 母の墓参り。 電車で行ったのだけど、伏見稲荷の駅から乗ってきたのは外人ばかり。 電車内もほとんど、90%くらい外人。 駅を降りて、お寺に向かうときも、すれ違ったり、横道から現れるのは外人。神社もお寺も外人だらけ。 もう、京都は日本ではなく、外人に食い尽くされてしまったのだと肌で感じた。 今日は体調が少し優れなかったので、墓参りは来週にしようかと思っていたのだけど、この現状を知るために行かされたのだ。 彼ら個人個人には悪意はないのだろうが、

          私の理想の世界

          本当の自分の求める世界は、互いに助けあい、愛しあい、支えあい、いつも笑顔でのんびりと過ごせ、それぞれの得意なことで人々の役に立ち、それだけで生活できること。 将来になんの不安もなく、今を生きれる世界。

          私の理想の世界

          外から見た日本

          外人にとって日本は神の残滓を感じることができる場所。 そして「旅の恥はかき捨て」ができるところ。 そして、残滓すら奪い去ってしまう人々。

          外から見た日本

          2025年のこと 2

          災害のあと、生まれ変わるとき、すべての人が地球に生まれ変わってくるのか? 当然、選別はある。 悪しき心に染まった人は、それにふさわしい星へ転生する。この地球に転生するのは半分もいない。 金持ちだから悪、貧しいから善、ではない。どのような状況、環境であっても、どのように生きたかがすべて。言葉でもなく、表面的な行動でもなく、どれだけ他利の行動ができたか。 その意味で私はこの星に転生する価値はないだろう。まだ、そこに至っていない。

          2025年のこと 2

          2025年のこと 1

          2025年、大きな災害が起こるという予言話があります。 未来のことだからなんとでも言えますが、私はこのお話、信じています。だって、今、周りを見て、どうしようもないくらいタガが外れているというか、どうにも元に戻せないような状況になってます。 地位のある人、お金のある人が好き勝手している。そうでない人たちも自分勝手に動いている。 こんな状況が続いたとき、かつて神様は人類を滅ぼし、ゼロからやりなおしたそう。一説には過去に4回あったとも。 今回はゼロにはならず、いくらかの人々

          2025年のこと 1

          大きな事件がおこる意味

          大きな事件は心を惑わせるためのもの。 自分が進むべき道を忘れ、立ち止まらせるためのもの。 どこかへ行こうと思っていたときに、急に天候が崩れ、気持ちが暗くなってしまうようなもの。目的地に行こうという目標ではなく、いかに天候の変化に対応するか、ということだけに目を向けて、機嫌が悪くなったり、「ついてない」 と気分が落ち込んだりするようなもの。 本来の楽しさを忘れ、眼の前のことに心奪われること。 そうやって進歩を遅らされてしまう。

          大きな事件がおこる意味

          調和

          私達、人を原子を超えて小さく見ていくと素粒子になります。私達の周りにあるもの、地球、そして宇宙を小さく見ていくと素粒子になります。 そう、私達は見え方は違っても同じものからできている。地球を痛めつけるということは、自分自身を痛めつけているのと同じ。 そう考えたとき、自分だけでなく、人だけでなく、周りの環境や地球に対して少なからず愛情が浮かんでくる。 毎日何も言わず、私達を照らし温めてくれる太陽。私達に必要な食物や動物を育ててくれる大地。すべて根っこは同じ。 ただ、見た

          嘘つきの笑顔

          私は嘘つき。 しんどいときでも、締め切りに追われているときでも、誰かに声をかけられると、笑顔で答えてしまう。 心の中では「こんな時に声をかけないで!」 なんて思っていても、つい笑顔で答えてしまう。 理由はいろいろ思いつくけど、今はもう深く考えない。これが私だから。損をしようが、誰かにバカにされようが、そんなこと知っちゃことない。 いつ終わるかわからないこの人生。ごちゃごちゃ考えるより、素の自分を受け入れて、ひらりひらりと生きるほうが楽しい。 予言によると、2025年

          嘘つきの笑顔

          誰も信じてくれない。でも、これでいいのだ!

          私の話って信じてくれない人が多い。だから悲しい思いをすることが多かった。 だから、仕事のことは文献を調べ、その部分を見せながら話すというようなことをしていた。 家庭でも、あの人がこう言っていたとか、動画を見せるとか、証拠を出しながら話すことが多い。 なぜ?  なぜ、私の話は信じられないのか? 色々理由を考えたけれど、最近はもう面倒くさくなって、「信じてもらえなくてもいいや」なんて強く思うようになった。 そう思えるようになると、すごく心が軽くなって。思ったことを思いの

          誰も信じてくれない。でも、これでいいのだ!