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東京2020スタッフ体験記【備忘録】

五輪ボランティアに7日間参加しました。ドーピング検査スタッフの中でも、対象選手をいち早く会場内でつかまえて競技終了後即検査室に連行するという役割。
検査は抜き打ちなので、大会期間中はいつでもどこでも選手を捕まえられるよう、競技エリアは元より選手更衣室・記者会見場、運営本部など、ほぼ全競技会場全エリアに立入可能という恐らくバッハ会長よりも強いオールマイティパスを手に入れ、7日間、色んな競技の選手とふれあいました。以下、エピソード。

連日着回したユニフォーム

体操(有明体操競技場)

近未来的な新しい建物

 初めてメダリストと英語でトーク。問題は競技場から検査室までの間にTVインタビュー・記者取材ブースがあって、とにかく動線が複雑。私の役割は、とにかく対象選手を絶対に見失ってはいけない上に、自分自身がカメラに映るとこの選手がドーピング対象だとバレてしまうため見切れるのは禁忌。各国のTVカメラの背後から選手を追いかけたりしました。
 一人、担当した選手が会場に見当たらず、競技エリアの他、会場の全トイレ、全更衣室、客席、全スタッフ控室、隅々までぜーんぶ走って捜索したりもしました(結果、その選手は予選落ちして、予想より早く選手村に帰ってた(笑))
 あと、某国の選手が「検査前に一服したい」と言って一緒に臨時喫煙ブースに行く羽目になったのも良い思い出。

BMXレーシング(有明アーバンスポーツ)

駅からも見えるレーシングコース

 ここでも担当選手はメダリスト。選手たちは自転車に乗ったまま競技エリアから各国の控え室に移動するので、高速移動する自転車にとにかく必死で追いかけて呼び止めるのが大変。E.T.のラストシーンで子供たちを追いかける警官の気持ちがわかりました。
対象選手の中には、ラテン系の国の方がいて、コーチもその他スタッフも英語が分からず、結局選手自身に帯同チームに通訳してもらいました。
 「スケジュールはドーピング検査よりもプレス対応を優先する」という五輪ルールがあるため、競技終了→各国TV局インタビュー→公式記者会見→検査室という、足掛け2時間くらい選手を尾行することになりました。
 思い出深かったのは、各メダリストには表彰式とプレス会見上に確実にスケジュール通りに到着させることが役割の「メダルゲッター」という人がいて、私の担当選手についたメダルゲッターはアフロヘアの黒人さん。こっちは最初に声かけした際に通告書類というものに選手に一筆サインをお願いしたいのだけど、アフロさんはプレススケジュール優先で、そんな時間を取ってくれません。拙い英語で話かけ、「just 1minuits!」「No!」「30seconds!」「No!」という熾烈な交渉が続いているところに、別のスタッフがアフロさんに話しかけて「会見15分押しです」「了解です」と。
 え?今この人「了解です」って言った?
 胸から下がるIDパスを見ると「所属電通」の文字が。
「Can you speak Japanese?」と聞いてみたら
「…まあ、ほどほど」と申し訳なさそうな顔をするアフロさん。
「喋れんじゃねーか!早く言えよ!」と思わず突っ込んでグータッチしてしまいました。

BMXフリースタイル(有明アーバンスポーツパーク)

初めて間近で観戦!

 BMXの選手は国境を越えてとにかく仲良し。競技後、会場の外で選手を捕まえることになっていたのですが、なかなか選手が出てこない。競技エリアスタッフに無線で連絡したら、出番の終わった選手は競技エリアから客席に直接移動して他の選手を応援してるとのこと。我々はすぐに会場内に入り、インカムで「Aエリア、対象見つかりません!」と報告し合うスパイ活動のようなことをしてました。
 印象的だったのは、某国家ぐるみのドーピング疑惑で今回も国代表ではなく、「某国出身の選手団」という括りで参加していた選手。
 「ドーピング対象に選ばれました」と告知すると、やれやれとした顔を浮かべつつ、「これはみんな受けるのかい?それとも僕があの国出身だから?」と質問。答えに窮すると「ジョークだよ。ここにくるまでに山ほどドーピング受けてるからね」と笑ってくれた。「バナナはドーピングに引っかかるかい?」と遠足のおやつを聞く子どものように、検査室に行く直前にバナナをモリモリ食べてたのが印象的。

射撃(陸上自衛隊朝霞訓練場)

国旗掲揚は自衛隊員の皆さん

 こんなことでもないと絶対にいけない施設。ここはとにかく会場内のあちこちに組み立てられた仮設の部屋が綺麗で頑強な会場だった。恐らく自衛隊員が総出で組み上げたのだろう。そして、さまざまな施設から競技場への導線がほぼ一本道になっていて明快。とにかく堅実で統率のとれた会場だった。
 この競技の特性上、射撃競技が終わった後、選手たちはすぐ隣の部屋に移動して銃器を分解して安全を確保する必要があるのだが、我々検査スタッフはその銃をバラバラにしてる最中に声をかけなくてはならない。ただでさえ、コーチ達が中に入って来て祝福の抱擁などをしてくるなか、選手はせっせと銃を分解してる最中に、隙を見て選手に話に行かなきゃならなかったのでとても苦労した。

ホッケー(大井ホッケー競技場)

会場は綺麗だったんだけどなぁ

 割と綺麗な施設で、検査室も狭いながらにきちんとしていて広大な会場ながら快適だった。初の野外ナイトゲームでもあったので、男子ホッケーの荒々しい試合展開を観戦することができたことも嬉しかった。
 ところが、盲点だったのはホッケーは選手交代が試合中何度もできるということ。対象選手はベンチスタートか、などと思っていると2分後にはコートに出ており、5分後にはまたベンチに戻ってくる。みんな体格も似ているので試合終了時点でどこにいるか見失うこと必至でかなり慌てた。
 さらに悪条件だったのは、負けたチームのドーピング検査担当になったということ。その国のお国柄なのか、団体競技の特徴なのか、とにかくみんな負けたことにショックで控室になかなか戻らない。競技場に寝転んだり、ベンチで悪態をついたりで全然話しかける空気じゃない。なんとか隙を見つけて選手に「ドーピングなんですけど…」と怯えながら声をかけると、隣にいた私の倍くらいの身長差のあるコーチから「選手の心情を推し量れないのか?もう少し時間をくれてもいいだろうが!」と凄い剣幕で怒られた。大人になって烈火のごとく怒られるとまあまあ凹む。完全に怯えてしまい、もう一人いた体格のいい検査スタッフにサポートをもらいながら、なんとか検査室に連れていくことができたのは22時半くらいだったかな。

レスリング(幕張メッセ)

施設は良かったのよ、施設は

 私はこれまでのドーピング検査員の経験から「アスリートは試合直後の感情の昂りはあれど、基本的には紳士」というイメージを持っていた。しかし、この競技で、その観念は見事打ち砕かれた。
 レスラー選手は本当に世界の荒くれ者達の集まりで、感情もコントロールできないし、とにかく言うことを聞いてくれない。中東系の国は偉い人たちを当たり前のように練習場に入れて談笑してるし、気合を入れるためかマスクを突き破るような勢いで雄叫びを上げる選手もいる。練習エリアで出場時間まで退屈なのか、スマホをいじりながらうつ伏せでゴロゴロしてる休日のおっさんみたいな選手もいた。とにかく会場はカオスかつフリーダム。
 私が担当したのは銀メダリストで、決勝に負けて表彰式に向けて着替えたいと更衣室まで帯同することになったのだが、負けた直後でもとても大人しく私の話を聞いて帯同を許してくれたはずだった。
 更衣室に着くなり、「少し感情を出してもいいか?」と言われ、嫌な予感もしつつひとまず許可すると、彼はいきなりベンチを頭上に持ち上げ壁に叩きつけると、壁を正拳で連打し始めた。会場に響く破壊音。1分に満たない行動だったと思うが、あの暴れている時の野獣の顔は忘れられない。あれは人の子ではない、祖国で野獣に育てられたのだと本気で思った。
 それでも銀メダリストとしてコーチ達は暖かく選手を迎えてくれ、私は何度も集合写真のカメラマン役を求められた。その国の偉い人も来ていたらしく、さまざまな角度から写真撮影を求められた。
 あ、幕張メッセはとてもいい会場だった。特筆すべきは調理室併設の食堂があるということ。これまで担当した全ての競技会場ではチルド弁当だったのだが、ここでは出来立ての社食が振る舞われて本当に美味しかった。

以上6競技を担当したが、どの会場でも濃い経験ができた。英語が拙くてもなんとかなるという自信も少しだけついた。一生で二度とない経験ができたことは本当に光栄に思う。
でももし今度同じような機会があるとしたら、レスリングとホッケーは勘弁願いたい。

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