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オザケンのライブで、歌の時間超越性を感じた話

東京ガーデンシアターで、2年延期になった小沢健二のライブを見た。

2年前に開催予定だったライブツアーを改めて開催。観客は中止になった日から2年後の同じ月の同じ週の同じ曜日に、同じ会場の同じ席で2年前のチケットを使って見られるライブ。小沢健二と観客が2年越しの約束を果たすライブだ。

私はそのライブで披露されたある曲に衝撃を受けた話をしたい。

2019年、小沢健二は1枚のアルバムを出す。「So kakkoii 宇宙」というアルバム。リードトラックは1曲目の「彗星」という曲だ。まずは歌詞を読んで欲しい。

なんなら歌も是非ご一聴を。

1990年代から活躍してきた小沢健二が、30年間を振り返って万感の想いを歌詞に込めた歌だ。

しかし、世界は2020年にcovid-19によって激変を遂げる。ライブが中止になるどころか、世界は多くのものを失い、そしてウイルスに立ち向かうために新しい価値観に基づいた社会を作り直すことになったのは、この2年で皆が感じてることではないかと思う。

小沢健二は、2022年のライブでこの「彗星」を2回歌った。

1回目は原曲通り。そして2回目はカーテンコールとして「時は2022年〜」と歌い出し、歌詞をリニューアルして、この2年間で変わってしまった思いを込めて歌い上げた。

アーティストの表現手法として、色褪せない作品を作ることは可能だ。絵画・文芸・映画、どんな作品でも時代を問わず愛される作品はある。
逆に、その時代を切り取った作品というのもある。敢えて当時の世相を切り取るような作品にすることで、その時代に起きたこと、その時人々が感じたことをリアルに、あるいは比喩的に残すということも芸術はできる。

ただ、そういう時代のトレンドを盛り込んだ芸術は、その価値を次の世代に語り継ぐときに、作品をアップデートする必要が出てくる。例えば文学。漢詩は、元の詩と共に、後の時代の人間が補足解説をすることで解釈の理解が増して、むしろその増補改訂版がスタンダードになることがある。

あるいは、映画作品であれば、リブート・リメイクとして元の作品を再解釈して現代にも通じるように改変することが必要だ。たとえばシン・ゴジラ。この作品は、戦後、核兵器という脅威を怪獣として比喩したゴジラという作品を、未曾有の自然災害という脅威に置き換えてリブートした作品だ。

でも、歌は少し事情が違う。曲と詩という明確に分かれた二つの要素があるから、曲は同じでも、詩だけを変えてアップデートすることが可能だ。
音色という時代を超えて通底する魅力を兼ね備えたまま、都度都度、時代の切り取り方を変えた詩を載せて歌うことができる。歌は、作品の色褪せない魅力と、その時代にしか残せないリアルさ、両方を兼ね備えることができる。

ライブで2回披露することで、この歌の魅力はぐっと増したように思う。それは、会場に来た観客が、この様変わりした2年間を共に戦い生き残ってきたからこそ、歌詞の違いをはっきりと、生々しく共感することができたのだ。

オザケンという作家性と音楽センスを兼ね備えたアーティストだからこそできたパフォーマンスだと、改めて感じるライブだった。その他コロナ禍の、いやポストコロナの舞台演出としても、かなり良くできたライブだと思うが、その話はまた次の機会にしようと思う。

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