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敗北を受け入れない醜さ

冬季五輪の真っ只中。普段は見る機会の少ない競技を少しずつ観戦している。

2/17は話題になっていたフィギュアスケート女子シングル。

話題の中心はワリエワ選手。15歳ながら『絶望』との異名を持ち、金メダルの最有力候補であった。禁止薬物が彼女の検体から検出されながらも出場は許可され、メディア、選手からも非難が飛び交っていた。

素人目にも分かるミスが響き、結果は四位。ドーピング問題により、どのような結果でもワリエワ選手が心から喜べることはなかったであろう。

演技後のコーチとのやり取りを見て、気になる点があった。

失敗に対してコーチが激しく詰問している。本番であるオリンピックであり、この後にはもう今大会としての競技は無いにも関わらず。

そこには失敗、敗北を頑なに拒み、決して受け入れようとしないコーチの思いが浮き彫りとなっていた。勝利の渇望とはどう好意的に考えても捉えられず、過程を無視した、単純な結果に執着する姿だった。筆者の考え、求めるスポーツの本質とは真逆のものが込められた一場面だったと思う。

失敗、敗北を受け入れない、その姿は醜い。これはスポーツに限らずどんなことでも共通だ。ただ、成功、勝利を始めから諦め、失敗に慣れる愚か者もいる。

今大会、多くの選手・コーチが歓喜し、時には涙を流している。ほぼ全ての選手は美しく、模範とすべきその姿勢・背中を見せてくれている。

人類が一定の平和と希望を維持する限り、スポーツは続いていくだろう。

逆にスポーツがなくなるとき、それは人類が絶望に包まれ、希望をもてなくなるときなのかもしれない。

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