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歌舞伎座「四月大歌舞伎」第一部

 4月25日、快晴。今日は歌舞伎座の四月興行第一部『通し狂言 天一坊大岡政談』を観てきた。

 主な配役は以下の通り。
  大岡越前守   :尾上松緑
  山内伊賀亮   :片岡愛之助
  池田大助    :坂東亀蔵
  平岡治右衛門  :中村歌昇
  下男久助    :坂東巳之助
  下女お霜    :坂東新悟
  近習金吾    :市川男寅
  近習新蔵    :中村鷹之助
  嫡子忠右衛門  :尾上左近
  藤井左京    :市川青虎
  名主甚右衛門  :市川寿猿
  お三      :市川笑三郎
  伊賀亮女房おさみ:市川笑也
  赤川大膳    :市川猿弥
  僧天忠     :市川男女蔵
  吉田三五郎   :中村松江
  大岡妻小沢   :中村門之助
  天一坊     :市川猿之助

 天一坊といえば真っ先に思いつくのは講談。特に今人気の六代目神田伯山先生が「天一坊の生い立ち」などを得意としているため、私の中では講談のイメージが強い。
 しかし、実際のところ私は歌舞伎でも講談でも天一坊に触れたことがなく、大岡越前守についてもドラマの時代劇でも見たことがない。言ってしまえば名前は知っているが詳しいあらすじは知らない状態で観た。
 今回初めて天一坊を見て抱いた率直な感想は、「個々の芝居はとてもいいのになんだか少し物足りない」ということ。「天一坊という悪党が徳川将軍の落胤と偽って悪事を働く物語」という程度の知識はあったため、私は猿之助さんが悪党として大活躍し、最後は大岡様のお裁きを受けるという展開を予想していた。それはこの作品の作者が河竹黙阿弥であること、そして以前伯山先生の大岡政談「畦倉重四郎」の映像を見ていたことが大きかったと思う。その想定とは少し異なった内容であったため、「注文した料理とは違う物が出てきた(但しこちらも美味しかった)」的な心残りがあったのだ。

 順番に書き出していく。まずは猿之助さんの天一坊。私は今回この配役が楽しみでチケットを取った。猿之助さんの魅力は高い身体能力を活かしたパフォーマンスと、変幻自在・奇想天外な演出、観客を魅了する愛嬌だと思っている。私は今は亡き18代目中村勘三郎さんを生で見ることができなかったが、勘三郎さんを追っていたファンたちはこんな気持ちだったのだろうと思わせるワクワク感を猿之助さんには感じる。
 今回も猿之助さんが奇想天外で大胆に幕府をだましていく過程を楽しみにしていた。が、今回の天一坊の活躍のなんとあっさりしたことか!舞台上で悪党らしく殺人を犯すのは一度だけ。天一坊から本性法澤に戻るところはさすがにコミカルで面白いが、猿之助さんの魅力を十分に生かしきれない難しい役だと感じた。

 次に、松緑さんの大岡越前守。この配役はかなり意外だったが今回一番面白いと感じた役となった。私の中での大岡越前守のイメージは理知的で情に厚い負けず知らずの奉行というもの。松緑さんのコメント動画(https://youtu.be/vKuQSqtVYFk)を拝見したところ「ど真ん中の正義の役」という言い方をされていたが、松緑さんが演じる正義の味方大岡越前がどんな風か非常に興味があった。
 登場と同時に受けた印象は「やはり大岡様のイメージには合わない」というものだった。松緑さん自身が「意外なお役」とおっしゃっていたが、ギョロリとした鋭い眼光はこちらも思わず「怖い」と思ってしまう。そのうえ最初は伊賀亮に言い負けてしまうのだから「大岡様ってこうなの?」という感想。
 しかし、話が進むにつれて印象が変わってくる。白装束で切腹をする件。倅忠右衛門は実の親子である左近くん。子とともに切腹をする流れはお白洲では見せない大岡様の人間味が感じられて面白い。浄瑠璃掛りで丁寧に切腹の作法を行うところなどは介錯役の歌昇さんとの息もぴったりでなかなか見栄えのするものだった。
 最後は天一坊らを追い詰めて階段での大見得。長袴姿の形も美しく、大岡越前守がそこにいた。総じて面白い大岡様となっていたと感じた。

 愛之助さんの伊賀亮もよかった。心情が読み取りがたく、知恵のある人なのに天一坊の計略の片棒を担ぐ。その不思議さが分かりにくくもあり、面白かった。網代問答で大岡を論破するところなどはなかなか迫力があり、見応えのあるものだった。
 但し、これも総じて出番が少なく残念。最後は大岡側の逆転を予期していたかのように裏で夫婦そろって自刃しているのも不可思議。

 他の役でいうと特によかったのは新悟さんのお霜、猿弥さんの大膳辺り。
 巳之助さんは全体的によかったが、お霜と連れ立って雪道を駆け落ちしていくところはかなり猫背で下男下男してしまい、長身の新悟さんと並ぶと恋人というより親子に見えてしまった。

 さて、ここまで色々書いてきたが、これはすべて私自身の知識不足による勝手な想定によるもの。決して酷評したいわけでなく、ただこうした新鮮な感想も書き残しておきたいというだけなのだ。

 ただ、一つ付け加えておくと、観劇後に渡辺保先生の今月の劇評を読んで色々と腑に落ちたということ。

 これでわかったのは今回の天一坊はコロナで上演時間が短い所を「通し狂言」としているため、色々と流れを省いて簡略化されたものであったということ。例えば、序幕でお三婆さんが秘密を打ち明け、法澤が悪事を思いつくところ。登場時はお三を気に掛ける発言をしていた法澤が急に悪党になるのが腑に落ちなかった。また、伊賀亮の読めない心中。これらの疑問点は恐らく省略のない演出で見るとすべて解決することなのだろう。

 最近の歌舞伎でよく見る通し狂言の簡略化。これには上手くいかない事例が多いように感じる。例外でいうと、2019年7月歌舞伎座の海老蔵さんによる『星合世十三團』。これは副題に「成田千本桜」とある通り、『義経千本桜』を発端「福原平家御殿跡の場」から大詰「川連法眼館奥庭の場」まで全段を約4時間に収める大胆なダイジェスト版で、物語全体の流れが明確にわかって収穫が大きかった。
 しかし、今回のように要所を省いた通し狂言は逆効果なのではないかと、渡辺保先生の記事を読んで強く思った。特に今回の天一坊のようにまだ公演回数が浅い演目に関してはなおさらだ。もし短時間に収めるなら一場面をたっぷり濃密にやるべきだと感じる。前時代的な考えなのかもしれないが、歌舞伎とはそういうものではないのか?と、今は思うのだ。

 次の観劇予定はちょうど一ヶ月後、5月25日の歌舞伎座第二部。菊之助さんの『土蜘』と海老蔵さんの『暫』だ。どちらも生で観るのは初めての演目。今から楽しみにしている。


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