私と文才と靄

私がものを書くようになったのは、引きこもりで社会と断絶していた頃のこと。
私はどうしようもない心の靄を誰かに晴らして欲しかった。
かつての私はその靄の原因を知らなかった。
希望の光の片鱗すらなく、24時間死んだように眠るしか選択肢がなかった。

幼少期から書くことが好きなわけでもないので日記すら苦手だった。
幼少期から日記が苦手だった理由は、学校や親に見せるがゆえに、その世代の子供が書く日記を意識して書いていたからだ。
「私の感情」を文章で表すという文化も方法も知らなかった。

どうにも人生が辛かった時に出会ったのが純文学だった。太宰治、寺山修司、三島由紀夫、思い返せば彼らの作品が私の側にいて、それでいて心の師のようだった。

しばらくして私は自分の感情を作品にしたいと思い立ち、文を書き始めた。
死にたいの言い換えでしかないのは今も変わらないものだ。

私が何かを表現したいと思う時、イメージは靄のように掴みどころがなくて、文章にしてしまうとどうにもイメージと一致しないので困る。
せめて絡まった糸のようであれば、ほどけば繋がっているものなので助かるのにな、とも思う。

稀に自分の気に入った一文が出来るととても嬉しい気持ちはあるのだけれど、次に何を続ければ良いのかサッパリ思いつかなくて、それ以降を続けることが出来ない。
私はそういう一文をたくさん持っている。

文才を鍛えるにはたくさん書けなんて聞くけれど、書けば書くほど私の理想から外れていく。

私の書きたいことはコレじゃないっていつも思ってるよ、私の中奥底までもっと見て欲しいのよ。

いつか沢山の人に私の文章が、私のことが好きだと言われたい。
そのために生きている。

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