SNS・ギャンブル依存症と鬱病の話

現在ツイッター(X)が不具合を起こしていて愚痴も書けないので放置していたブルースカイに行ってみたはいいものの、まわりの投稿の様子がまるで違うためいつもの如く口の悪い愚痴も書けず、とりあえずnoteにまで手を伸ばしてみた。

私はギャンブル(パチンコ)依存症である。
今日は負けに負けてしょんぼりを通り越しているのでせっかくツイッターにでもぶちまけようかと思っていた矢先の不具合だった。
とてもこたえた。

私は精神科通いをしていて鬱病は確定しているようだが、躁鬱病だとはっきり言われた訳ではないのでグレーの躁鬱病だ。
Ⅰ型とかⅡ型とか、診断は難しいようだし、私は病人だから判断は出来ない。

さて、精神病と依存症の相性は最悪だ。
勝ち・負けがトリガーとなって身体に如実に現れる。
私は病院にギャンブル依存症だということを隠している。
だって、辞めさせられるでしょうから。
だって辞めたくないのだ。
辞めろと言われても辞めたくないのが依存症だと分かっていようとも。

パチンコに負けてとぼとぼ帰りつつ、現状を振り返っても、未来を想像しても、私には夢や願望がない。

精神が安定して、ストレスが身体に出ない状態になりたいとは思っている。
だが、生活は別に変える必要がないと思っている。
元気にパチンコが打てるならそれで幸せじゃないかとも思っている。
もちろん、首が回る範囲で。

偶然目に入った動画は、鬱病からの回復過程に「自分がどうなりたいかを知る」とか「生きやすくなる為に何かを学ぶ」ことが必要だという内容だったのが心に引っかかっている。

私はどうなりたいのだろうか。
この答えを出せないうちは辛い病状のままなのだろうか。

私の願いは昔と変わらず「普通の人間を知りたい」ということだ。
パートでもバイトでも正社員でも仕事があって、生活ができている大人は、何か目標とか夢があるものなのだろうか?

鬱病を脱却(寛解)できたとして、私はどういう思考になるのだろうか。
答えはなんとなく分かる。
今とあまり変わらないのだと思う。

私の鬱は長いから他の鬱病患者とは違う結果になりそうだ。
健康な時の思考を覚えていないんだ。私は。

私にとっては、「生まれ変わったら何になりたいか」を考えるようなものなのかも知れないな、夢や目標というものは。

相変わらずの、人生だ。

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