私と鬱病と仕事

私は無理しない仕事をしたい。
何なら仕事はしたくない。

私はルーティーン化された仕事が得意。
事務作業が得意。
不安症から来る疑問提起が得意。
なぜか接客を褒められる。

それだけでいい。
今のままでいい。
今の仕事ぶりを評価してもらえるなら時給を上げてほしいとは思っているけれど、正直なところ今のままの仕事ぶりでいいなら今のままの時給でもいい。

ついこの間、上司より「扶養を外れてゆくゆくは社員にならないか?」との打診があった。
私は現在扶養パートをしている。

率直に仕事を認められたようで嬉しかった。
だが私には重荷だと思った。
上司は私の全てを知っている訳ではないのだと自分に言い聞かせないといけなかった。

鬱病を持っている。
接客業をしているのは学歴がないからだ。
鬱病を持っている身での接客業は諸刃の剣で、クレームに当たればすぐにダメになる。

社員になるということは、パートよりも責任を負うということだ。
上司は「場数を踏めば大丈夫だ」と言った。
私はその1度目で潰れるかも知れないことを知らないのだ。

社員になることは断った。
ただ、シフトを増やすことを受け入れた。
私は一歩踏み出そうと思った。

話を受けて、帰路について、私は泣いた。

鬱でなければ私は今頃どんな仕事をしていたのだろう、簡単に社員になれたのだろうか、仕事を楽しいと思えるような人生を歩めたのだろうか、周りの同世代より私は何周遅れた人生を歩んでいるのだろうかと、ありもしない輝かしい過去を思って泣いた。

鬱でなければ、親が違う親ならば、耐えられなかった思い出たちを耐えていれば、なんて到底無理なことを思って泣いた。

悔しかった。

そして怖かった。
私はいまだに自己肯定感が低い。
仕事の私は社会人の顔を被っているものだと思っている。
だから上司からの褒め言葉も良い評価もメッキを見られているだけなのだと思ってしまう。
本当の私を知られたら、今の仕事で精一杯、やれる事だけやっている私を知られたら評価なんて簡単に覆るのではないかと。

事実、鬱になり長期間仕事が出来なくなれば簡単に切られるであろう、うちの会社はそんなところだ。

上司が言うには「もっと自由に仕事を楽しんでほしい」と。
私に自由はそれほど無い。
すべては不安から来ているもので、周りが楽観的すぎて見えていないだけだと思っているものを提案しているだけなのに。
私はその周りの楽観視をとても羨ましく思っているのに。

鬱は私生活でさえ危ういのだ。
仕事なんて、にのつぎだ。

今日も明日も「できることだけ頑張る」よ

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