禁止看板だらけの公園に子どもたちが自由に遊べる冒険遊び場(プレーパーク)を!ソーシャルアクティビストの生き様ドキュメンタリー 関戸博樹さん(日本冒険遊び場づくり協会代表)

関戸博樹さん(NPO法人 日本冒険遊び場づくり協会 代表)
聞き手:山田英治(株式会社 社会の広告社)

〜この記事は上記動画の書き起こしです〜

関戸さん)関戸博樹(せきど ひろき)と言います。NPO法人 日本冒険遊び場づくり協会、という長い名前のNPOなのですけど、そこで代表をやっております。

山田)冒険遊び場づくり、とはどういったものになるのですか?

関戸さん)もともと日本でスタートした取り組みではないのです。1940年代にデンマークで始まった取り組みで、子どもが遊びを手作りできるようにしたい、そういう思いからスタートしています。

遊びを手作りできる要素や遊びの環境そのものを変えること、そこに子どもは成長の発達欲求を持っているのではないか、そうしたコンセプトの遊び場を作ろうということで始まったのが1940年代デンマークの冒険遊び場の始まりです。日本には70年代に入ってきて、同じように子どもが遊びを手作りできる、プログラムのない自由な遊び場が冒険遊び場(プレーパーク)です。

日本の場合、市民活動で広まったというのが大きな特徴です。イギリスなどヨーロッパの場合はしっかりとした法的根拠があって、場所もすでに冒険遊び場の用地があったりするのですが、日本はなかったので。

子どもが外で遊ばなくなったというように言われて久しいですが、 1970年代もその前(1970年以前)の子どもたちの育ちに比べたら、街の中で子どもが自由に遊ぶ風景が失われてきている、そういう危機感は恐らくあったのだと思うのですね。そこに意識のあった親たちが、もっと子どもに自由な育ちの遊びの場をということで日本では導入されて、日本では市民活動でしたので、草の根で少しずつ広がり今に至るというのが現状です。

山田)日本で行われているプレーパークの主な特徴はどういったものになるのでしょうか?

関戸さん)市民活動と言いましたけれど、今のところ何か公的な法律の位置づけがない活動ですので、それぞれの自治体に冒険遊び場をやりたいなという人たちが、「自分たちの町で、この公園で、こんな子どもたちの自由な遊び場をつくりたい」という目的で、その場所を使える利用申請などをとりながらやっているということが多いです。公園を使ってやっているというのが結構特徴で、(誰でも参加できる)オープンアクセスですよね。

海外だと冒険遊び場は塀に囲まれていて、門があって、子どもしか入れないという所もあるのですが、日本の場合は公園でやっていることが多いので、誰でも入ることができ地域の大人も来られます。結構そこは特徴的だと思います。

山田)禁止事項が多い町の公園で、行政への説得などは大変だと思うのですけれど、実際はどうですか?

関戸さん)冒険遊び場(プレーパーク)が何なのかを知らない自治体職員さんも多いですし、活動の当初はどんなことをやるのかすごく心配される方は多いと思います。ただ、プロセスを踏めば火の使用に関しても、全ての場所でできるわけではないですけれど認めてもらうことができますし、信頼関係ですかね。

行政の方と市民活動者の人たちの信頼を築くためのコミュニケーション、それを重ねていくことによって出来ることが増えていくこともあると思うので、そこはすごく大切に皆さん活動されていると思います。

山田)これほど全国で(プレーパークが)少しずつ増えてきている実例があるというのは、一つ説得材料にはなるのですか?

関戸さん)そうですね、やはり特殊事例ではないというのはすごく大きいと思います。しかも海外にもあってグローバルスタンダードな活動で、かつ、子どもの権利条約などに紐づいた子どもの発達の権利を保障する取り組みの一つなのだということも言えると思いますので。

昨年子ども家庭庁が発足して、今の日本社会の中で子どもが遊ぶということの大切さを訴えていくことは追い風にはなってきていると思います。これを機に子ども基本法(子どもの生育に関する日本で初めての法律)などもできていますし、子どもが遊ぶことについて、もっとそれぞれの自治体の中で地域課題としてアプローチをしていく(ことが大切です)。活動する方たちも自治体の方たちも、自分たちの町の中で、どう子どもが遊び、(自らを遊び)育てるのかを考えていくきっかけになるのじゃないかなと思いますね。


【自分で自分を遊びながら育てた原体験から、子どもを尊重した遊び場づくりへ】


山田)関戸さん自身は、プレーパークに出会う前、どんな子どもだったのですか?

関戸さん)私自身は比較的恵まれた環境で子ども時代を過ごしていたなと思っていて、生まれ育ったのは、今ここ(インタビュー場所)練馬の立野町というところですけれど、武蔵野台地の一画ですね。まだ空き地も多く、比較的、異年齢の子ども集団が自分の家の近所にはあって、小学校へ上がる前から一人で外に出て家の目の前で路地遊びができたり、空き地に入って虫取りや生き物探しをしたり、そういう自分で自分を遊びながら育てるといった原体験が私の中にはありました。

冒険遊び場は大人が用意した施設ですが、私は大人が用意した施設で遊んだことというのは基本なかったのですね。ですから大学生になって児童館にボランティアに行く機会などがあったのですけれど、最初はすごく違和感がありました。

何で子どもたちはわざわざ大人のいる場所に遊びに行くのか?自分であれば絶対選ばなかった、避けて通っていたはずなのに、そういう場所が今あるのだろう?ということもすごく気になりました。

ですから私自身 (冒険)遊び場をやりながら、そこに大人がいることの影響など(について考えること)は、自分の幼少期の原体験が大きく影響しているかなと思います。

山田)その違和感はどんなふうに自分の中で解消していったのですか?

関戸さん)大学生の時たまたま子どもと遊びを通して関わるという大学のサークルに入って、地域の子どもたちを遊び場・遠足に連れて行ったりしていたのですけれど、その候補地に(東京都世田谷区)羽根木プレーパークを一回選んで行ったことがありました。それが冒険遊び場に初めて私が訪れた時でした。

プレーパークに初めて行った時に感じたのが、遊んでいる子どもたちが大人たちの手出しや口出しみたいなものとは全く無縁の空間の中で、まさに焚き火をしていましたし、建築みたいなこともやっていました。そういう空間の中で遊べているのを見て何か「自分自身の幼少期の遊びの風景とすごく似ているな、ここの子たちは」と感じました。

それから、大人が程よい距離感にいるということと、「ここの大人は子どもと遊んであげるために居るのではなくて、子どもが遊べるための環境を作っている人たちなのだな」ということに気付いてですね。

プレーリーダー(遊び場を作る人)の方がいたのですけど、何か「大人の在り方もここの場は子どもを尊重した在り方なのだな」ということに気付きました。

ですので、自分自身の(中で)、子どもの遊び場なのに大人がいるということの違和感は、その辺りで払拭された感じはありますね。


【自分らしく生きるために余暇の大事さを痛感。遊び場(余暇)を通して地域福祉をしたい】


山田)子どもに関わりたいと思ったのは、いつ、どの様なタイミングですか?

関戸さん)結構偶然なのですが、大学の時に社会福祉を勉強していまして、当初は、ろう者(聴覚障害)の方たちの支援をしたいなと思っていました。

ですから、大学3年生の頃に社会福祉実習があり、そういう方たちの生活や仕事の場を実習先として選んだりして行きました。素晴らしい施設で自分のやりたい事だと思ったのですが、やはり日本の社会福祉行政の限界というのですかね、職員(側)が力を注げるのは、その人たちの生活と仕事を守る最低限のところまでしか(手が)まわらなくて。命を守る、暮らしを守る、そうなると余暇にまで手が回らないのですよね。

そこの施設の利用者の方たちが、仕事が終わった後や休日に自分らしく生き生き過ごすというところはなかなか支えきれなかったのです。

ボランティアの方がたまにですね、外出支援をしてくださって、皆さん出かけていくのですよね。

私が実習していた施設は、ろう重複障害、耳が聞こえないだけじゃなくて肢体不自由だったり知的障害だったり、あとは盲ろう、目が見えない方だったりいろいろな障害がある方たちだったので、なかなか一人での行動が難しかったのです。例えば買い物に行くにしても一人で行けません。

そういう方たちが、週末に外出支援をしてくださる方たちの手を借りてですね、いろいろな自分らしい過ごし方をして帰ってくるのですよね。その時の表情とか語る言葉ですね、
「今日こんな美味しい物を食べた」とか、
「〜に行ってきた」
「こんな乗り物に乗ったんだ」
「買い物をしてこれを買ってきた」
「映画を観たんだ」などですね。
そういう(様子)を見ながらですね、やはり人は余暇が大事だと、人として生きるということは、自分らしく生きるには余暇が大事だなということを痛感しました。

その人の余暇を支えられる仕事を自分の福祉の実践の中でできないかということを感じました。そして、1日の中で朝起きてから夜寝るまで、施設の中の人たちとしかコミュニケーションをとらない、施設の中の人としか関わらないのではなく、「地域に開かれた施設」ということが何かキーワードなのではないかなと思いました。

町の中には多様な人がいますので、そういう人たちの中で自分自身がやってみたいこととか、そういう余暇の過ごし方も含めて、多様性ということがすごく重要かなと思ったんですね。

たまたま大学生の時の羽根木プレーパークとの出会いの話をしましたけれど、社会福祉を学ぶ中で一つ実践が欲しいなと思って、たまたま自分の(入っていた)手話サークルや、アルバイトの時間のない時に活動していたことが、子どもと遊びを通して関わるサークルだったのです。

児童福祉はしないなと思いながら大学に入ったのですけれど、縁あって子どもと遊びを通して関わるサークルの中でプレーパークと出会い、社会福祉実習を終えた後に自分の気付きがありました。「その地域で、人の余暇を扱っている福祉の実践」と言ったときに、私はこのプレーパーク・冒険遊び場が地域福祉の一つのいい実践ではないかと感じたのです。子どもは遊ぶことでエンパワーメントされます(力や自信を与えられる)し、大人たちも自分の子どもたちの地域で遊ぶ環境について、自分が関わることで変わっていくわけですよ。

これまでは禁止看板だらけでやっちゃいけないことがいっぱいあった公園が、私が一歩動くことでこんなに変わっていくのだ、と思う中で、暮らしの当事者になっていくと言うのですかね。

与えられた物の中だけで生活するのではなくて、自分で暮らしは変えていける。
だから私は大人にとっても壮大な遊びだと思っていて、「冒険遊び場作り遊び」と呼んでいるのですけれど。

ですから「冒険遊び場作り遊び」ができる大人を増やしていくということが自分にとっての地域福祉の実践になるということを思い描いて、「では、プレーリーダーになろう」と考えたのが、大学3年生の終わりぐらいですかね。

山田)プレーパークが仕事という形になったのは、どのようなきっかけですか?

関戸さん)東京都の渋谷区にある「渋谷はるのおがわプレーパーク」という常設の冒険遊び場があるのですけれど、そこがオープンする年が私の大学を卒業する年と同じだったんですよ。

プレーリーダーになってみたいなと思った私は、そこの人たちのところに行って「プレーリーダーになりたい、是非面接を受けさせてほしい」という話をして、無事に採用していただき、プレーリーダーとしてのキャリアを2004年にスタートしたのですね。そこで8年間、常勤のプレーリーダーとして「渋谷はるのおがわプレーパーク」で仕事をさせてもらいました。

その中で自分自身が当初感じていた「冒険遊び場の可能性」、「地域福祉としての可能性」をやはり力強く感じて、やっている大人たちが元気になっていく、遊びに来る親たちも元気になる、子どもたちも遊ぶ、遊べる環境があるということをもっと広めたいなと思いました。

2年間、(息子の)子育てをしたくて、長男が1歳半のときにちょうど私の連れ合いの育休が終わるタイミングだったのでバトンタッチをし、2年間主夫を挟んでですね、その後もうちょっと(冒険遊び場を)広げる仕事がしたいと思いました。現在はフリーランスで、全国に遊びを通した環境づくりということで、人材育成や、 (冒険遊び場の)立ち上げ支援ですね。そんなことを今はお仕事としてやらせてもらいながら、日本冒険遊び場づくり協会の代表を合わせてやっている感じですね。


【何歳からでも遊び直せる。遊ぶことで人生が変わる!】


山田)遊び場での印象的なエピソードなどはありますか?

関戸さん)そうですね、遊べない子っていうのが今多かったりするのですね。
大人の価値観などに、おそらく幼少期からたくさん影響を受けた中で、例えば鬼ごっこしようって言っても、僕は足が遅いからやらないとか。

本来子どもは遊ぶ時に、やる、やらないを決めるのは、やりたいかやりたくないか、面白そうか面白くないかだと思うのですけれど、上手いか上手くないか、できるかできないかで決めてしまう子どもが今すごく多いな、ということをプレーリーダーになってすぐ感じました。

そういう子たちは、いわゆる「他者との物差し」って言うのですかね、尺度が決まっている。学力だったり、足の速さだったり、誰が見てもこっちが優れていてこっちが劣っていると分かっちゃう、そういう尺度で遊びも見ちゃっているということがすごく悲しいし愕然としたのですけれど、自由に遊ぶ場というのはその尺度が関係なくなってくるのですよね。

自分の物差しを持てる、泥団子を一つとってもピカピカの方が得意で好きな子もいれば、ぐちゃぐちゃの方が好きな子もいる。大きなものを作る子や、たくさん作る子、投げたい子、いろいろな物差しがあってよくて、いろいろな尺度でここは居ていいのだなということを子供たちは肌で感じます。

子どもたちは最初そういう風に「いや、僕は上手じゃないから」「足が速くないから」って言って断っていた遊びの輪の中に、遊びに行き続けることで入っていけるようになるのですよね。

これはすごく遊びの持っている大きな力だと思いました。ですから、何歳からでも遊び直せるし、遊べないという感覚を持っている子たちの遊び心が開く、そういう場面にはたくさん出会えましたし、やはり遊ぶことはすごく大事なのだなと思いました。その子のある種、人生が変わっていくっていうのですかね。そういう瞬間にはたくさん立ち会えていますね。


【出張型など、柔軟に子どもたちが遊べる環境を広げていく】


山田)冒険遊び場の未来について教えてください。

関戸さん)子どもたちの育ちはやはり待ったなしなので、こうしている間にもどんどん子どもたちは大きくなってしまうわけです。子ども時代に遊び育つということが全ての子にとって当たり前になるようにしたいというのはもちろんなのですけれど、そのためには冒険遊び場の広げ方も工夫が必要だなって思っています。

例えば常設の冒険遊び場を1か所作るには、今の日本の現行の制度の中だとなかなかすぐにはいかないです。それぞれの自治体の行政課題にうまくフィットすれば、予算がついて常設の遊び場ができるということはこれまでのケースの中にも事例がたくさんありましたが、もっと柔軟に子どもたちが遊べる環境を広げていくという視点も大事だと思っています。

今国内では、プレーカー(車)での遊び場作りというのが広まっていまして、今日の開催などもそうですが、遊びの素材や材料を子どもたちの生活圏内に持って行くのです。

山田)出張型の?

関戸さん)出張型ですね。拠点を作っても、今子どもたち本当に忙しいって言うのですかね。放課後の時間も短いですし、習い事とか塾とか、そういった大人の都合で日々の遊ぶ時間がなかなか確保できない子たちも多いので、そういう細切れの時間で遊んでいる子どもたちの家の近くの空間や、子どもたちが集まる場所ですね、そういう場所に自由に遊べる機会を持っていく。

そのプレーカーでの遊び場づくりは広まってはいるので、そういったことも含めてどうやったら子どもが遊び育てるのか、そのために冒険遊び場づくりはすごく良い手法だと思っています。一番大事なのは子どもが遊び育つという目的の部分なので、手段にあまり固執はせずいろんな形を探りながら子どもたちが遊べる機会を、遊びながら育っていく機会をもっと広めたいと思っていますね。


【子どもたちが遊ぶことで自ら育つ機会は、社会的に大人たちが保証していくべき】


山田)今後の課題はなんですか?

関戸さん)さきほどの広めたいこと、やりたいこととも繋がりますが、大人の視点を変えるっていうところがやはり急務なんじゃないかなと思っています。人材育成的なことも含めて、親や地域の大人は子どもが遊び育つということがどういうことなのかを知らないまま(だと思います)。もちろん善意があって子どものために良かれと思って様々なことをされていると思うのですが。

本当に子どもが遊び育つため、子どもが育つためには大人がどんな在り方で、その大人たちはどんな地域や場所を作ると子どもが育つのかということ(検討や実践)をもっと広げるという点では、まだ広めきれてないという状況があります。ですから、そこをもっと発信していくということが課題です。今こうやって発信の機会をいただいているので、それはもっともっと増やしていきたいなと思っています。

昔に戻そうというのは難しいと思うのですね。今の子どもたちの遊び環境を昭和に戻して子どもたちだけで路地や山、川、そして空き地を取り戻す、昔に戻すということではないです。でも確実に今の子たちはやはり都市化の影響で遊ぶ場所を奪われて、大人の都合で管理されることが多くなってきてしまっているので、遊ぶことで自ら育つという、「子どもの育ち」のベースですね、それは社会的に大人たちが保証していかなきゃいけない、そういう時代になっているのだろうという認識のもと、子どもが遊ぶ場は大人が作る必要がある時代になっています。

ただ一方、そこに「子どもの育ち」をきちんと意識して配慮しないと、大人は逆に「子どもの育ち」の阻害要因になってしまいます。手出し口出しをして、大人が遊ばせたいようにしか遊ばせないとですね、それでは子どもたちは育てないだろうなと思っていますので、自由な空間というのが大事だと思っています。

―子どもたちが自由に遊べる、冒険遊び場を全国に広めていく、そのためにはまず大人の意識を変えていきたいー

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