#201 奇襲ではじまった朝鮮戦争

①北朝鮮の奇襲
武力による朝鮮半島統一を目指した金日成は、1950年6月25日、韓国との境界だった北緯38度線を越え、奇襲攻撃を開始した。北朝鮮側の主張は、韓国が度々38度線を越えて度々攻撃をしてくるというものだった。当時の日本でもその理由が信じられていた。しかし、ソ連崩壊後、ソ連が朝鮮戦争の際に朝鮮に対して多大な支援をしていたことが明らかになる。
ソ連から与えられた250輛の戦車を先頭に、北朝鮮軍は韓国の首都ソウルをまたたくまに攻略。

対する韓国軍は北朝鮮が攻めてくるなど思ってもおらず、日曜日のため国境警備隊の多くは休日で、ソウルでもアメリカ軍の軍事顧問団と韓国の将校は二日酔いの状態だったという。さらに、アメリカは山の多い朝鮮半島では戦車は必要ないとして韓国軍に戦車を供与しておらず、戦争当初は韓国軍は北朝鮮の戦車部隊になすすべもなくやられてしまった。

安保理はソ連が不参加の中、北朝鮮の撤退を議決。アメリカ軍は事態を重く見て単独で軍隊を派遣した。その後、北朝鮮軍はアメリカ軍をも破り、朝鮮半島南端の釜山を陥落寸前まで追い込んでいた。

②国連軍の介入
アメリカ主導の安全保障理事会は国連軍の派遣を決定する。その後の国際連合であれば中国とソ連が拒否権を発動する場面だが、当時の常任理事国は中華人民共和国ではなく中華民国(台湾)だった。そのことに対して「常任理事国の議席は中華人民共和国に譲るべき」としたソ連が安全保障理事会をボイコット(欠席)していたことから、拒否権の発動はなされなかった。

かくしてアメリカ軍を中心とした国連軍(イギリス、カナダ、フィリピン、タイ、トルコ、南アフリカなど16か国)が韓国側として戦争に介入。日本を統治していたマッカーサーが司令官となり、北朝鮮の伸び切った補給線を断ちながら反撃。形勢は一気に逆転し、北朝鮮は中国国境まで追いつめられた。

③中国義勇軍の介入
資本主義陣営の韓国との間に緩衝地帯をつくっておきたかった中国は、「人民義勇軍」として参戦。「義勇軍」となっているのは中国が正規軍(人民解放軍)として参戦すると国連軍VS中国の構図となり、第三次世界大戦となってしまうからだ。戦線は押し戻され、再び北緯38度線を挟んで膠着状態が続いた。

④休戦
両国ともに被害が拡大していく中、1953年に休戦協定が結ばれ、おおよそ北緯38度線付近に軍事境界線が引かれ、その南北2kmを非武装地帯にすることなどが取り決められた。朝鮮戦争での両国の犠牲者は300万人以上にものぼるという。朝鮮戦争は「休戦」状態であり、現在でも終結していない。

【目次】


【参考】※とくに第一章を参考


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?