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東京の街に出てきました、と思ったら神奈川県だった。

1・ 札幌駅 - Toxic / Britney Spears

インターネットのない10代を札幌で過ごした。

ツヨめな両親のもとで、ネットはおろか携帯電話も持てない生活を高校卒業まで続けていた。

中学生の私の社会の窓口は、友人とのCDの貸し借り、雑誌の立ち読み、そして、レンタルCDショップ。
ブリトニースピアーズを教えてくれたのも、店員さんの書いたポップだった。

ネット禁止の抑圧を受け、私の性への興味は常にMAXに達していた。

実家の本棚から「これは''ある''な」と感じた題名を見つけては、
例えば山田詠美の『ベットタイムアイズ』とか、そういうのから情報収集する子供だったのだ。

ブリちゃんのグレイテスト・ヒッツにハマらないわけがない。

ブリちゃん



「addict」とか「taste」とか、いつも勉強している英単語がどんどんエッチに聞こえてくる、絶賛女子校3年目。

周りの友達がiPodやWALKMANをポケットに忍ばせて通学する中、私は母親のMDプレーヤーがお供だった。
静かな満員電車の中に響く、「ジジジジーーー」という起動音。
100均のイヤフォンから聞こえるブリちゃんの息遣いに集中し、気づかないふりをしていた。


インターネットを手に入れ、「Toxic」や「I'm a Slave 4 U」などのMVを見て卒倒するのはもう少し先のことになる。

気づけば、私は上京に憧れる高校生になっていた。



2 ・ 桜台駅 - 東京 / くるり

西武池袋線の中で、わけもわからず涙を流していた。

私は16歳だった。美術系の大学を見学するという名目で、はじめてひとりで東京にやってきて、上野、国分寺、江古田、八王子を回ったのだ。

東京に行くと決まった時に母親が与えたのは、メールだけができるプリペイド式の携帯と、東京路線図という小さなガイドブック。
目的地までの地図が印刷された紙を上下左右にぐるぐる回し、
姉を訪ねてたどり着いたのは桜台という駅だった。

彼女は忙しそうでほとんど家を空けていたが、それでも私は楽しかった。
1人で食べるお惣菜や、誰もいない小さな部屋で眠ること。大学で新入生に間違われたこと。全てが新鮮だった。

唯一教えてくれた情報は、近所のおいしいラーメン屋。
早速1人で食べに行き、浮かれた勢いで店員に話しかけ、近くに住んでいる姉に教えてもらったこと、札幌から遊びに来たことなどをベラベラ話した。

翌日、得意気に報告すると姉は顔を真っ赤にして怒った。なんで全部話しちゃうの、もう恥ずかしくて行けなくなっちゃったじゃん、と。

ひとり暮らしの若い女性が近所を出歩く怖さが、今なら痛いほどわかる。

姉の大切な楽しみを奪ってしまった。ただ迷惑をかけにきてしまった。
あまりにもバカみたいじゃないか。
桜台をあとにする電車の中で、顔がくしゃくしゃに歪んだ。

アルバムが10枚しか入らない、やっと買ってもらったWALKMANでかかっていたのは、旅の間ずっと聴いていたくるりの曲だった。

くるり

東京の街に出てきました
あい変わらずわけの
解らないこと言ってます

「東京」作詞・作曲 岸田繁

3 ・ 橋本駅 - 若者のすべて / フジファブリック

上京だ!と張り切ったのに、アパートの住所はギリギリ神奈川県だった。

殺伐とした浪人時代を乗り越え、私は晴れて美大生になった。
ついにiPhoneを手に入れ、一緒に合格した友達にLINEの使い方を教えてもらって、大学でできた友達はインスタグラムを教えてくれた。

通っていた大学には、11月に大きなイベントがあった。

芸祭こと、芸術祭。
3日間の芸祭が終了した後に打ち上げられる花火が学内生の楽しみだ。

フジファブリックの『若者のすべて』に出てくる「最後の花火に〜」の一節があまりにもこの瞬間とリンクするので、芸祭を楽しみにしているひとたちはみんなこっそり聴いている。と、勝手に思っている。



この時期になると、ヘンになってしまう人たちがいる。

普段の授業をソツなくこなし、芸祭では展示をさらっとやったり、ポンと旅行に行ってしまうような人たちはいつもと変わらない。
そうではなく、単位が危ないのに、芸祭の時だけ妙に張り切ってしまう人たちがいるのだ。

私のお友達は、後者が圧倒的に多かった。普段はたまり場の家でぼーっと寝転がっているのに、この時ばかりは異常なやる気に突き動かされ、謎の結束を見せ、そんなに頑張るの?というほどがんばるのだ。
当日になれば限界に挑戦し、騒げるチャンスを見つけては騒ぎ散らかし、最終日には泣きわめく、そんな人たちだった。

常識的な人たちから見れば、ハタ迷惑な人たちだったことは間違いない。


例に漏れず、私も後者のタイプである。


入学した1年目、秋にして早速単位が危ういにも関わらず張り切った私は、

合同展示、友人とのフリーマーケット、そして部活の模擬店に手を出した。普段の授業に時間通り出られない人が3つもかけ持ちしたらどうなるかなんて、想像に難くない。

たくさんの人に多大な迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない気持ちになりながら、どうやったら失った信用を取り戻せるのだろうか…と1人見上げた悲しい花火のことを、今も覚えている。
(関係者のかた本当にすみませんでした)


反省を生かして、翌年からは基本、何をやるにも個人行動と心に決め、
毒にも薬にもならないような立ち回りを目指していた。うまく行っていたかはわからない。

そうこうするうちにあっという間に4年になり、ついに最後の芸祭がやってきた。後輩に面倒を見てもらうようなお荷物先輩の年である。

この頃には、周囲に迷惑をかけないように気をつけても
なぜか行方不明になってしまう私に呆れつつ、
扱いを工夫してくれる友人に恵まれるようになっていた。

私の「最後の花火」のビジョンは、友達たちと大勢で集まり、肩を組んで、愛を叫びながら、泣きながら見る(涙)!!、である。

芸祭は終了し、花火の時間が近づいた。最後くらい部活に貢献しようと張り切り、模擬店の片付けを後輩ちゃんと頑張っていたその時。

ヒュ〜〜〜〜ドン!ドンドンドン!!!!

花火の音が聞こえる…気がする。

「え!?!?みんなどこ!?!花火もうはじまったの!?!?!?!」

呆気にとられて見ているうちに、花火はどんどん打ち上げられる。

私の完璧なまでの完成図とは裏腹に、友達は全く見つからないまま、
最後の花火は終了してしまったのだ。

フジ


後から聞くと、私以外の同期は最後の花火を見るためにみんなで集まって花火を見ていたとのこと。

私の思い描いていた完成図は、私抜きで完成していたのだ。

最初の花火といい、最後の花火といい、どうして私は肝心な時にこうもやらかしてしまうんだろう…


画像1


最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

「若者のすべて」作詞・作曲 志村正彦


4 ・ 新宿駅 - 明日こそは / KIRINJI

現在、新宿のカフェでこの原稿を書いている。
今年の1月、やっと東京に引っ越した。

光熱費の払い忘れがなくなった。
風邪のひき始めに対策できるようになった。
暴走する自分のテンションを観察できるようになってきた。

時に多方面に謝りまくって、
時に信じられないようなうれしい言葉をもらって、

明日こそはマシな生き方がしたいと思いながら、

私はどうにか生きている。


明日こそ 
明日こそは
昨日よりマシな生き方したいね

「明日こそは/It's not over yet」作詞・作曲 堀込高樹

キリンジ





この文章は、LINE MUSIC×note の
#いまから推しのアーティスト語らせて 」コンテストの
参考作品として書いたものです。 #PR


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