アイドルは盆栽にして凡才に非ず

サンレコ11月号で“アイドルは盆栽”ということを書いた。これについては以前ブログでも書いた(と言っても10年も前)ことなんだけど、誌面の都合で残念ながら割愛した事がたくさんあるので以前のをベースに改めて書いてみる。

「アイドルは盆栽」
……これはもう30年近く言い続けてる僕の座右の銘みたいなもんです。
要するにアイドルは盆栽だと思って接し、育てなさい、ということです。

ちなみにここで言う「アイドル」とはマイケル・ジャクソンやマドンナのようなアイドル(スター)ではなく、天地真理や松田聖子、おニャン子クラブや乙女塾、ハロプロや乃木坂46などのようないわゆる「アイドル」です。

さて、そんなアイドルなんだけど盆栽ってどういうこっちゃ!ですよね。

これを理解するにはまず西洋文化と日本の文化の根本的違いを理解する必要があります。
いわゆる日本のようなアイドル文化って世界的には珍しいですよね。
欧米では歌やダンスが上手い事が賞賛されますが、日本のアイドルは歌やダンスが抜群に上手いわけでもないのにこんなに人気者になる…これってどういうことだって思いません?(日本にいるとそれが普通だと思っちゃうかもしれませんが)

その答えは西洋文化と日本文化の違いをみるとわかります。
違いが如実にわかるのが「庭園」。
西洋の庭園は幾何学的に整理され、木々はまっすぐで綺麗な形に刈り込まれ、石は四角く成形されて綺麗に磨かれます。
これに比べて日本の庭園は非対称で木々は曲がり、石はそのままの形で置かれ、コケが生えちゃったりしています。
違い、わかりましたでしょうか。

西洋文化は「自然を加工する(支配する)」文化
日本文化は「自然のままを活かす(共存する)」文化なのです。

「盆栽」って曲がった木とかに価値を見いだしますよね。
素人だと何がいいのかさっぱりわからなかったりしますよね。
でもそこに「良さ=価値」がはっきりと存在しているわけです。
要するに“その木が持っている本質的な個性”に価値を見いだそうとするのです。
それは本来持ってる良さを捨ててまでして人の手で加工されたものでは決してありません。
その本来の良さを活かしつつ人の手が入り、よりその良さを引き出しているものです。

さぁ、もうわかりましたね。
アイドルとはその子の良さ(個性)を十二分に引き出してそれが魅力となるものです。盆栽が曲がった木をよしとするように「歌が下手」だったり「ポンコツ」だったりすることが「魅力ある個性」となるのが日本のアイドルなんです。
だから我々はそういった「個性」を見いだして引き出し、よりよいものに育つよう導かねばなりません。
日本で言ういわゆるアイドルは「おバカ」だったり、「ドジっ子」だったり、歌が下手だったり、しゃべりが拙かったりとそういう「不完全なところ」がとても重要な要素だったりする。
でもだからといって「おバカ」なだけではダメ、「ドジっ子」なだけではダメで、大人がきちんとその個性を理解した上で「剪定」してやらねばならないのです。
そのダメな所をどう殺さず生かしていくかがポイントなんですよね。
(僕の中では「ダメ」とか「バカ」っていうのは究極の褒め言葉)
この辺ってわかっていてもなかなか難しいんですよ。
タレントを育てる時、やみくもにボーカルレッスンとかダンスレッスンをやったりするのは実はその子の個性を殺してしまうことになりかねないのです。
あと、変に型にはめようとしたり…。
タレントのスタッフになるとどうしても「タレントをきちんと育てなきゃ!」って意識から四角四面な誰もが思いつく指導になりがちになる。
熱心だからこそそうなるもので、熱心なことはとても大事なことなんだけど…
でも、そういうスタッフはいつか必ず「どうやって育てていけばよいのか」という壁にぶつかる。
熱心であればあるほどね。
そういった時に僕はこの「アイドルは盆栽である」という言葉を投げかける。

またアイドルは成長物語です。
盆栽は例えば曲がった幹や枝などをうまく生かし、そこに人が手を入れつつも植物は日々育っていきますよね。
そして、その完成体や完成する過程を楽しむものでもあり、これすなわち自然を活かし、共存していこうというベクトル。
アイドルもその成長物語に一喜一憂するものです。

そんなワケで「アイドルは盆栽」なのである。
でもね、これって「アイドル」に限らず、タレントとは「個性」を売りにする以上本質的にはみんなそうなんですよ。
「アイドル」は顕著にそうなだけで。

「盆栽」も「アイドル」も日本特有の素敵な文化なんです!


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