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ドラマ『HEARTSTOPPER ハートストッパー』 人類は皆「マイノリティー」であるという癒し


あらすじ

舞台は現代のイギリス。
男子校に通うチャーリー(ジョー・ロック)は、アウティング(他者から強制的に性的少数者であることを公表されること)によって、過去にいじめられた経験を持っていますが、個性的な友人たち(東洋人のタオ、読書オタクのアイザック、トランスジェンダーのエル)とともに、冴えないながらも 充実した高校生活を送っています。
チャーリーには、ベンという秘密の恋人がいますが、ベンは都合の良い時にだけチャーリーを呼び出す一方、人目のあるところではストレートである振りをしてチャーリーに冷たく接します。そんな彼の態度に疑問を持ちながらも、ベンとの密かな関係を続けているチャーリーですが、ある日、授業でたまたま隣の席になった1学年上のニック(キット・コナー)と出会い、その優しくて大らかな人柄に惹かれるようになります。
ニックはラグビー部のキャプテンを務めており、チャーリーとは正反対の、いわゆる学校の人気者ですが、分け隔てない性格で、チャーリーとも友好的な関係を築き、チャーリーは彼に、ほのかな恋心を募らせていきます。
そんなある日、ベンが女子とキスしているところを見てしまったチャーリーは、彼との関係を終わらせようとしますが、会って話したいというベンの求めに応じたところ、無理やりキスをされてしまい、さらにその場面をニックに見られてしまいます。
ニックは咄嗟にチャーリーを庇いベンを撃退しますが、その出来事を契機に、二人の関係は徐々に友情以上のものへと発展していき…というのが大まかなストーリーです。

作品情報(ゆるめ)

Netflixによる限定配信(2024年5月現在)で、シーズン1が2022年、シーズン2が2023年に公開されています(シーズン3は2024年10月に配信予定)。
原作は、アリス・オズマンによる同名のウェブコミック、グラフィック・ノベルで、ジャンルとしてはいわゆるボーイズ・ラブに当たります。
作者が女性であるということもあり、ドラマにもゲイ的な生々しさはほぼなく、むしろ全編が少女漫画のようなキラキラ感に満ちています。その辺りは、もしかすると人によって好き嫌いが分かれるところかもしれません(シーズン2時点では、チャーリーとニックの間にキス以上の関係はありません)。
映像としても、ところどころでポップなアニメーションが用いられたり、非常にカラフルな色彩設計が施されていたりして、ティーンによる青春群像劇としての甘酸っぱさが見事に表現されています。
さらに、これは僕の個人的な感想ですが主演の二人が非常にキュート。特にチャーリー役のジョー・ロックは、このドラマが俳優としてのデビュー作に当たるようなのですが、個性的な風貌と説得力のある演技で、僕は一気に彼のファンになりました。
もちろん、相手役のキット・コナーも、劇中の言葉を借りれば「毛並みの良いゴールデンレトリーバー」のような犬系男子で、爽やかな青年役を好演しています。(彼の方がどちらかというゲイ受けしそうな風貌?)
ちなみにニックの母親役として、名女優オリヴィア・コールマンが出演しているところも、映画ファンとしては見どころの一つかもしれません。

自分が「自分」を認めるということ

本作の魅力は、主役の二人をはじめとする10代の若者たちが、「自分が一体どんな人間であるか」を発見し、それを認めていく過程を丁寧に描いているところにあります。
チャーリーは、アウティングされた過去を持ち、ゲイであることを揶揄されたりいじめの対象になったりしているものの、決してそれに屈することなく(声高に抵抗することもないのですが)、数少ない友人たちとともに、ささやかながらも自分らしく学園生活を送ろうとしています。
彼は言わば、強制的に「自分が何者であるか」を暴露された被害者であるのですが、作中では基本的に、自らがゲイであることを認めているポジティブなキャラクターとして描かれていて、この辺りの、決して陰湿にならない作品のムードは、非常に現代らしいアップデートされたものを感じました。(ちなみに、シーズン2ではややシリアスになり、摂食障害や自傷行為をした過去など、闇の側面も語られます)。
一方ニックは、チャーリーと出会うまではストレートとして「普通に」生きてきましたが、彼に対する友情以上の感情に気づくことで、自分自身の中にある「バイセクシャル」という側面にもまた気づかされ、葛藤のうちにそれを受け入れていきます。
この辺りの葛藤の描き方は、非常にリアルで、僕自身もバイセクシャルであるということもあり、胸に迫るものがありました。
他にも、トランスジェンダーであることをカミングアウトして堂々と生きるエル(かっこいい)や、エルが転校先の女子校で知り合うレズビアンのカップル・タラとダーシー、友人たちの恋愛模様をあくまでも脇役として眺めながらも、最終的に自分がアセクシャルであることに気づくアイザックなど、本作にはさまざまなマイノリティーが登場し、彼らが「マイノリティーである自分」を認めていく過程が、テンポの良いストーリー展開と、ポップな映像表現で描かれていきます。

そもそも「マイノリティー」という定義は必要か?

本作はもちろんフィクションであり、「そんなに都合良く進むか?」「そんなに良い人ばかり出てくるのか」といったツッコミどころがあることもまた事実です。
しかし、作中で悩みながらも前に進もうとする彼らは、飽くまでもリアルで等身大の、現実の若者として描かれており、そこにはある種の圧倒的な説得力が存在します(ちなみに僕は、チャーリーとニックがいちゃつくシーンで何故か毎回涙が止まりませんでした…)。
ダイバーシティ(多様性)という言葉が使われるようになって久しいですが、このドラマを観ていると、すでに「マイノリティー」という定義自体が古いものなのではないかという気すらしてきます。ゲイやバイセクシャル、レズビアンであることは、いわゆるストレート(ヘテロセクシャル)であることと、それほどに違うものなのでしょうか?
性的嗜好というものは一定ではなく、グラデーションであるというのはよく言われることですが、そういう意味では、誰もが「マイノリティー」であり、と同時に「マイノリティー」であることこそが「普通」なことなのではないかと思えてくるのです。
人間を「マイノリティー」と「マジョリティー」に分けることは、ある意味では分断を引き起こします(もちろんレインボープライドのような活動を否定する気持ちはありません)。けれど、それよりも、誰もが皆「マイノリティー」であると考えることの方が、より先進的なのではないか…(というのは今書いていて考えついたことです)。
そう考えさせるくらい、このドラマでは「マイノリティー」であることが良い意味で「普通」に描かれており、僕は本作を観ることで、ある種のデトックス効果や、癒しのようなものを実感しました。

おわりに

というわけで、『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は、自分のセクシャリティに悩むあらゆる人に観て欲しい、おすすめのドラマです。
もちろんそうでない人でも、観れば間違いなく自分の中にある無意識の偏見や差別意識がアップデートできる、力のある作品です。
ティーン向けと侮るなかれ、物語に通底する「ありのままの自分を認めて正直に生きる」というテーマは誰にでも当てはまる普遍的なものです。観るドラマに迷ったら、ぜひ本作の第一話を観てみてください。
僕は今からシーズン3が配信されるのが待ち切れない…!
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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