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バトロワが流行るのはどんな時代?【『ゼロ年代の想像力』を読んで】

はじめに

 評論家の宇野常寛(1978~)氏のデビュー作である『ゼロ年代の想像力』(ハヤカワ文庫、2011年)の感想を述べる。

 この書籍は、文学だけでなく、マンガ、アニメ、ゲーム、テレビドラマ、映画などのいわゆる「サブカルチャー」をも含めた国内の作品を分析する文芸評論である。さらに、現実世界の現状・思想をこれらの「想像力(作品の根幹をなす発想や構造)」に表象していることを指摘する。そして、これらの作品の「想像力」を分析し言語化することで、社会の変遷を考えることに繋げていく。


時代の「鏡」としてのサブカルチャー作品

 私は、小説やマンガを読む際、その作者が伝えたいことは何か、あるいは作者が意図していなくても私がもっと抽象的な次元で何を感じ取ったのか、を考えるのが好きである。例えば、この設定は現代の日本のメタファーなのではないか。あるいは、このキャラクターは特定の理念を体現したキャラクターなのではないか。といったものである。

 『ゼロ年代の想像力』の中での作品の分析は、まさにそういったところがある。とりわけ、第五章第二節の〈少年ジャンプ〉についての説明は、「大きな物語」に基づくピラミッド型のトーナメントバトルシステムから、バトルロワイアル型のカードゲームシステムへの変遷を非常に明快に説明している。発行部数も多い、私たちが小さなころからある身近な作品が、実はポストモダンの進行による決断主義の登場という文脈で説明できることを知ると興味深い。

こうして考えるとトーナメントバトル(車田正美、鳥山明)的な力比べから、カードゲーム(荒木飛呂彦)的な知恵比べに少年漫画バトルの主流が移行するにつれて、作品の世界観も頂点に立つ存在がすべてを支配する「ピラミッド型」から、能力の違いこそあれ、基本的には同格のプレイヤーが乱立する「バトルロワイアル型」に変化していっているのだ。(p.123)

 また、この書籍では紹介されていないが、自分が個人的に知っている作品はどこに位置するのかを考えるのも楽しい。『名探偵コナン』は地下鉄サリン事件前の1994年に連載開始した。当作品は、当然に現在の法によって犯人が裁かれる世界で、「人を殺してはならない」というような普遍的な価値が前提にあり、それに反するもの(ex.黒の組織)は完全に「悪」として描かれる。一方、9.11を経験したあとの2006年に始まった『キングダム』は、戦国七雄による戦争が舞台で、主人公は秦国の人間であるものの、それ以外の国の将軍たちにも「正義」があり、それが成敗されるべき対象としては描かれない。まさに「バトルロワイアル」ともいえる状況の中で、「願い」を持った法による中華統一後の平安(決断主義の解体)を構想することを目指して後の始皇帝となる政は進んでいく。


「感性」だからこそ面白い

 本書を読んでいて、分析がどうしても主観的であると感じるところがある。「私は『DEATH NOTE』は決断主義を描いたマンガだと分析した」と言ったとしても、それは極端に言ってしまえば個人の感想である。「私はそうではないと思う」という人間が表れたところで、論理的な、客観的な、科学的な反論はできないのである。文章中で「大きな物語」とされるものに生きる意味を感じる人もいるといえばいる。

 もっといえば、時代の「鏡」となる想像力はどれか、ということに全員が納得する基準がない以上、分析する作品の選出も恣意的でないとは言い切れない。何部以上売れたら、何パーセント以上視聴率があったら、興行収入が何億円なら取り上げなければならないのか、という明確な物差しはない。無数にある作品の中のどれを分析の対象として活字に載せ、その中のどのシーンをどう言い換えるか、という作業は主観が入らざるを得ない営みである。そこが、人文・社会科学の論文とは違うところである(もちろん、それらに価値的な主張が全く入らないわけではない)。

 つまり、筆者が作品を、時代をどのように「捉えた」のかということが重要なのであって、それが「事実」かどうかということは問題ではない(そもそもそれが評論というものであるのかもしれない)。したがって、この書籍が扱っている内容は、「学問」というよりかは、それ自体が「エンターテインメント」であるというほうが適当なのではないか。むしろ、そうであるから上のような時代の「鏡」を探す議論が可能になり、私たちを楽しませることができるようになっているのだ。その、いい意味での「曖昧さ」にこの書籍の魅力がある。


おわりに

 私は、「科学的な裏付けがないと論として意味がなく、実用的でもないから役に立たない」という主張は、それこそ現代の中でのバトルロワイアルの1プレイヤーに過ぎないと思う。「こういった捉え方もあるのだな」と知ること自体が有意義で愉快なことである。また、本書を読んで自分で思いついた具体例を、他人と共有するのも面白い。

 本書は、「硬い文章を何とか読んで、頭がよくなりたい」というよりかは、「生きる意味を探すヒントの1つをちょっと見てみたい」というような人が、気軽にゆっくり味わって読むのにおすすめである。

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