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記憶は曖昧、だから美しい

お久しぶりです。

どこかの大学生もそろそろ大学生ではなくなってしまいそうです。卒業を目の前に、まずは卒論に追われています(笑)
本当は卒論を書き進めなければならないこの時間を少しだけnoteに割いてみようと思うのです。

この間ドラマを見ていた時に、「一番好きだった時にいなくなった女は忘れられないよ…」みたいなセリフを耳にしまして、これはほんとにその通りだなぁと。あれだけヒットした時期に芸能活動を引退してしまった山口百恵。みんなの心におおきな傷を残したことでしょう。それはすごくすごくきれいな傷。消えることのない、甘い記憶とともに。

皆さん恋をしたことがありますか?
恋人がいる人も、妻や夫がいる人も、またそうでない人も…今隣にいる人が一番好きだって言える人がどれだけいるでしょうか。
私はちなみに…隣にいる人が一番好きだって思うタイプの人間です。(現在いるか、いないかはまた別の話ですが…)ただ、胸のどこか隅っこに居座り続ける人はどうしてもいてしまうのもまた事実なのです。

彼の香りがしたとき。足しげく通ったマックを通りかかったとき。彼が好きだったバンドの音楽を聴いたとき。同級生と話して彼の現在を知ったとき。眠る前のふとした瞬間、出店で焼かれたたい焼き、夕日、星空、散歩をよくした21時半、チューリップの写真。そんなきっかけなんてありとあらゆるところにちりばめられているんですよね。
今もう一度会っても彼との恋愛はきっとはじまらない。でも、ふと思い出してしまう。キラキラした思い出。ひとしきり書いたこの「彼」とは、実は私は恋人同士ではありませんでした。ほら、よく言うじゃない?友達以上、恋人未満って。

このキラキラした時期に留学してしまった彼は私の中では、きっといつまでも忘れられない人。そんな人、皆さんにもいませんか?

恋ってとても楽しいものだと思うんです。それが実るのも、また喜ばしいことでしょう。ただ、実らなかった思い出は実は…実った物以上に記憶に残るのかもしれません。ないものねだりでしょうか。
では、今あなたの隣にいる人はそれほど記憶に残らないのでしょうか?
そうかもしれません。一番好きだった時に消えた人よりかは残らないのかもしれません。
ただ、それだけ記憶は曖昧なものということです。知らず知らずのうちに美化されていってしまう。いくら写真をとってもそれはもう過去の産物。
「今」が大事なんでしょうね。結局過去は「今」の連続で連なっていくものですから。

なんだか話が飛躍したような気もしますが…(笑)

今時、なんでもカメラで残せる時代になりました。それはそれで素晴らしいこと。私も写真撮るの好きですしね。
ただ、「今」を収められるのは結局自分の目というレンズなんです。記憶というフォルダーなんです。そして、そこで感じた感情がフィルターをかけるわけです。曖昧なものだからこそ、だからこそ自分の目で見てほしい。記憶してほしい。

今日は雪が降っていますね。「誰かに送ってあげよう!」とスマホのカメラを開く前に、まずはじっくり自分の目で見てほしい。手で触って冷たさを感じてほしい。記憶してほしい。
隣に誰かがいる人は、インスタグラムに投稿する写真を撮る前に、まずは人の温かみを感じてほしい。笑いあってほしい。それは写真では伝わらない温かみだから。アナログだからこそ感じられるぬくもりだから。



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