珈琲の大霊師020

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【第七章 旅立ち】
面白い方に行きてえ

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「俺、衛兵やめるかもしれねえ」

 ジョージは、台所で上機嫌に腕を振るうルナにそう言った。休日で暇だからと、ルナがジョージを自宅に呼んだのだ。
 
 ルナは、びっくりしてフライパンを取り落としそうになった。ルナの水精霊が、慌ててそれを支える。

「な、なんだい急に!びっくりするじゃないか」

 フライパンを受け取り、再び火にかけながら、ルナは抗議の声を上げた。

「ちっとな、やりたい事ができた。この街で済めばいいんだが、場合によっちゃここを出て行く事になる」

 ルナの頭は真っ白になった。
 
 様々な想いが脳裏を巡っていた。
 
 ルナとジョージは、幼馴染だ。故に、ルナもジョージと同じ孤児である。二人は同い年ということもあって、孤児院では喧嘩友達だった。
 
 やがて、ジョージが悪友と一緒にマルクに繰り出すようになるまで、二人はじゃれ合うようにいつも傍にいた。

 ジョージが悪友と付き合うようになった事を、ルナは顔を合わす度に怒った。それは、ジョージに染まって欲しくないというよりは、自分がほったらかしにされる事への抗議だった。
 
 そんなルナがうっとおしくて、ジョージはより孤児院に近寄らなくなった。
 
 そんな時に、孤児院の巫女が倒れたのだった。
 
 それまで培ったものを最大限に活用し、それは決して合法でもなければ綺麗な方法でもなかったが、実際に現実を変えてみせたジョージは、巫女を医者に見せた帰り、久し振りに孤児院に寄った。
 
 ジョージは、決して誇らず、褒めるルナにばつが悪いといったふうに苦笑いしていた。
 
 その時から、ルナの気持ちは、ただの幼馴染ではなくなっていたのだった。

 できるだけ対等になりたくて、ルナは懸命に巫女の仕事をした。ジョージとも、忙しい仕事の中時々会うことができていて、それなりに満足はしていた。
 
 していたが、ルナは時々感じる事があった。
 
 ジョージは、時々遠くを見ている事があった。話しかけても返事が無い事があった。そんな時は、ジョージはどこか違う土地の事を考えているのではないか?そう思えて仕方なかった。
 
 ジョージという男には、この大きな都市でさえ実は狭いのではないか?そんな漠然とした不安がいつもあったのだった。

「まあ、案外近くで済むかもしれねえけどな」

 嘘だ。と、ルナは直感した。ジョージは、本心でそう思ってはいない。ジョージは長い間、貿易都市マルクの暗黒面で活動してきた人間だ。その時代に築き上げた情報網は、全ての業界に跨っている。
 
 そのジョージが、「街で済めばいいんだが」ということは、今までの情報網には引っかかってこなかったということだ。

「……やりたい事って何だい?」

 努めて穏やかに声を出したつもりだったが、震えていた。

「珈琲だ」

 ジョージの答えを聞いた時、ルナはどことなく安堵していた。答えが予想通りだったからだ。

「昨日、モカナちゃんが泣いてた事に関係あるのかい?」

「ああ、あの珈琲、できたにはできたんだが全く違う代物になっちまった。あいつは自分のせいだと思ったみたいだが、俺は違うんじゃねえかと思うわけだ。で、その原因を知ってる奴を探してる」

「ジョージが言うなら、そうなんだろ」

 言葉に少し棘があったかもしれない。これは明確な嫉妬だ。ルナは自分自身を笑いたくなった。

「確かにモカナちゃん一人じゃ荷が重そうだね。あの娘、まじめすぎるからねえ。よっと、そんじゃこれでも食べて、いっちょ頑張んな!」

 腹いせにどんとジョージの背中を叩いて、パンとシチューを机に並べた。

「おう。いただきます。……からっ!!!てめっ!!」

 ジョージの皿にだけ、後から真っ赤なスパイスが浮き上がっていた。

「バーカ!ひっかかった!あははははは!」

「くそっ!水よこせ!水!」

 涙が出てくる程、ルナは笑った。だから、きっと涙の意味には気付かれない。ルナには、ジョージを止める理由が無かった。

「順調だなリフレール。最初はどうなる事かと思ったが、身を守るにせよ、戦に身を晒すにせよ、お前は十分戦士になりうる実力を得たと言えるだろう。たった1ヶ月で、正式な下級巫女の数年分の結果だ。誇るといい」

「ありがとうございます」

 煌く汗が頬から滴り落ち、その汗は腰のあたりで宙に浮かぶ。サウロの、固定領域に入ったのだ。今、リフレールの腰あたりに平べったい水の層がリフレールの胴を中心に円を描くように存在していた。
 
 水を用いた攻撃とは、固定と、固定を維持したままの投擲が基本である。水を飛ばす力、水を固定する力、双方を使い分けなければならない。
 
 他にも大量の水があれば、地下から大雑把に噴出させるといった手段もあるが、大雑把すぎて見方にも影響を与えかねない為、水精霊の戦闘方法はこの固定射出法が基本として定められている。
 
 今リフレールがやっているのは、針や、棒、球といった馴染みがあってイメージしやすい物ではなく、普段目にしないものの形を、想像力を元に形作る訓練だ。
 
 最初の瞑想以降、リフレールはとんとん拍子に技術を習得していった。元々、リフレールは飲み込みが早い。

 ユルがリフレールを褒める事は少ない。そもそも、ユルがモカナ以外の誰かを褒めるという行為自体が珍しいのだが。

 ユルも、飲み込みが早い教え子の成長に、満足げであった。

「いっそのこと、このまま巫女になってしまえれば楽なんですけどね」

 マルクに到着して1ヶ月半。リフレールの心にも変化が生じていた。マルクは、平和だった。モカナとジョージが準備してくれたこの居場所は思いの他快適で自由だったのだ。

 それに、ジョージもいる。故郷のサラクに思いを馳せない一日も、時にあったりした。そのくせ、ジョージの事は1日1回は必ず考えるようになっていた。王族としての血と、女としての血が騒ぐのだ。あの男を手に入れろ、手放すなと。

「……そうもいかないだろう。周辺各国の、サラクへの評価は下落の一方だ。正規軍が、一傭兵団に敗北したという事実は大きい。外交では足元を見られ、領内では賊が横行している。領土線での小競り合いも増えたと聞く」

 ユルも、リフレールのここでの生活を愛する心に気付いていたが、事は一国の皇女。背負う義務の重さが違う。同意してやるわけにはいかなかった。

「ええ、言ってみただけです。国のメンツというのは、大事だったのですね。今になって、父の苦労が理解できます」

「舐められれば、体内の虫や、草陰の獅子に食われてしまう。国とはそういうものだ」

 マルクにしても、精霊と契約できる水宮を守るという側面ががなければ貿易都市ならではの関税や、利水を目的とした国家に攻め込まれる運命にある。

 が、ここ何世紀と精霊の存在する都市、精霊指定都市が戦争で負けたという記録は残っていない。
 
 故に、マルクは他の都市に比べて平和なのだ。

「はい。ですから、私はサラクという砂漠の虎を蘇らせなくてはなりません。身中の虫は下し、獅子に爪を浴びせ、吠えなければ」

 リフレールは、その覚悟を胸にここに来た。顔見知りを排除しなくてはならない可能性、血みどろの戦闘に立つ可能性、非情と言われ様と国内外に恐れられる存在となって、一度サラクという国を確立させねばならない。
 
「リフレール」

「はい」

「お前は幸運だ。本来ならば、お前はこの水宮でも敵視されながら修行しなければならなかっただろう。しかし、そうはならなかった。それは、モカナさんの影響もあるが、あなたに運が向いている証拠でもある。本来ならば得られなかった、このマルクとの友好関係は、きっと無駄ではない。生かすといい。私も、微力ながら協力しよう」

「!!ありがとうございます!」

「……たまには、そういう年相応の素直な顔もいいな。リフレール」

 そう言って、ユルはにこりと笑った。巫女の中でも実力と権力のあるユルの支援という事は、水宮の支援そのものとも言える。マルクの名は出せないにせよ水宮という後ろ盾があれば、動き易い。その名前を出すだけで、かなりの勢力が協力的になるだろう。

 リフレールにも、旅立ちの時が迫っていた。
 

 それから3週間の間、ジョージとモカナは貿易都市マルクの隅から隅まで探索した。ジョージが、昔の情報網をフル活用して得られた断片的な情報を追うだけで、時間はどんどん過ぎていった。
 
 噂はいくらでもあった。黒い液状の薬、黒い芳香水、コーヒーの実の料理法、類似している情報だけで毎日10~20件の情報が舞い込んできた。
 
 それをジョージが処理できれば事は早いが、こと珈琲に関しては正しく理解しているのはモカナだけである。
 
 情報の確認を始めて3週間、ジョージは当初の予想通りこの街に情報が無いと判断せざるを得なくなっていた。

 モカナが行き倒れたあの日から、丁度3ヶ月が経過した日、ジョージはいつものように隣を歩くモカナに切り出した。

「そろそろマルクでの情報収集は限界だな。覚悟決めておけよ?」

 それはつまり、マルクから出て行くという決断だった。
 
「はい。・・・でも、本当にいいんですか?ジョージさん」

「お前の珈琲は俺のもんだ。その答えは変わらねえよ」

 ジョージは、くしゃっとモカナの髪を撫でる。モカナは何度もジョージに問う。本当に、一緒に着いて来る事を後悔しないのか?と。
 
 その度、ジョージは同じように頭を撫でる。何もモカナの為だけではない。漠然とした空腹感を満たす為でもあった。
 
 衛兵になってからというもの、変化が乏しく刺激の少ない日々を過ごしてきた。それはそれで、悪くないものだったが、それでもどこか居心地が悪かった。自分を生かしきれていない生活の為か、ジョージは遣り甲斐のある目標に飢えていた。
 
 その点で、モカナの旅に同行するというのは、ジョージには十分魅力的なのだ。
 
「最初に何処に行くかだな……」

 いつでも街を出る準備はしていたが、まだ目的地が決まっていなかった。

 それも無理は無い。どこに情報があるか、マルク国内では欠片も見つけられなかったのだ。

「ここから近い都市って言うと、サラクのスゥクか、連盟側のロキシアだな」

「詳しいんですね」

「まあ、伊達に衛兵やってたわけじゃねえってことだ。色んな町から商人が来るからな。自然と覚えちまったよ」

 サラクのスゥクも、連盟のロキシアも国境に近い為、常に1個大隊の駐屯地がある前線都市である。
 
 単独武力で国とも戦争できる精霊都市は例外だが、普通はこういった前線都市の内側に貿易都市として栄える都市があるものだ。
 
「どっちに行くにしても金がいるな。まあ、そっちはなんとかなる。任せろ」

 どうせ、元部下の連中に声を掛ければ後ろ暗い所のある連中から徴収してくれるからだ。そう何度も使える手ではないが、出立前の路銀と思えば馬車一台分ぐらいの金貨は集められるだろう。

「ジョージさんって、お金持ちだったんですね!」

「まあ、他に使う用事が無いんでな」

 モカナの純粋な目が痛い。
 
「ボクは、地図とか良く分からないので、ジョージさんにお任せします」

 屈託ないモカナの笑顔に、ジョージは小突きたくなる気持ちを抑えてデコピンで我慢した。

「痛いっ」

「お前の旅だぞお前の。全く。……まあ、後は船で海を渡れば海沿いの色んな町に行けるぜ?」

「うう・・・ごめんなさい」

「ま、行き先は最後に決めればいいか。いつでも出られる準備だけしておけよ?じゃ、俺はその準備に取り掛かる。またな」

 そういい残して、ジョージは夜のマルクの繁華街へと繰り出した。もちろん目的は羽振りの良い元部下達に、金をせびりに行ったのだった。

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