珈琲の大霊師024

 久し振りに風呂に入ってきたんだが、リフレールとモカナの姿が無い。そのかわりに、部屋には見知らぬ少女がベッドの上に座っている。窓から入る月明かりに照らされた横顔は、どこか寂しげに見える。ってえのは、一体どういう展開だ?

 えーと、さっきモカナがのぼせて風呂から出てきて、入れ替わりで俺が風呂に入った。リフレールはモカナの面倒を見てるはずだし、モカナはベッドに寝てるはずだ。

 それに、この娘は誰だ?こんな客が他にいたのか?

「・・・・・・?」

 不思議そうな顔でこっちを見てるな。

 ・・・・・・あ、もしかして俺が部屋を間違えたのか?同じような部屋が並んでるから、勘違いしたか?

「あの」

「悪い。部屋を間違えたみたいだ」

「私が見えるんですか?」

「・・・・・・何?」

 見えるんですか?とは、穏やかじゃないな。まるで、自分が普通じゃ見えないみたいじゃないか。
 
 ・・・・・・というよりは、その通りなのか?そうじゃなきゃ、さっきの台詞はおかしい。ここは、相手に合わせて様子を見るか。

「・・・ああ、見える」

「やっぱり!あの、お願いがあるんです」

 いきなりお願いかよ。必死な目をしやがって。どこか、モカナに似てるな。さて、頼みごとを断ったら祟り殺される悪霊とかいたっけかな?

「まぁ焦るなよ。俺は、あんたがどこの誰かも知らないんだぜ?」

「あっ!ごめんなさい。えっと、私はリルケっていいます。あっちの花の丘に住んでいます」

「へえ、近所なんだな。そのご近所さんが、なんでここにいるんだ?」

「それは・・・・・・」

 言いよどんだ。何か言いたくない訳でもあるってわけだ。

「その、私・・・・・・あっ!!」

 決心したように顔を上げた瞬間、リルケと名乗った少女の体が肩から腹にかけてごっそりと『欠けた』。

「なっ!?おい、大丈夫か!?」

 我ながら笑える冗談だ。肩から腹にかけてごっそり削れた体が大丈夫なわけがない。

「わた・・・ご・・・つき・・・・」

 見る間にどんどん削られていくリルケ。肩から顔にどんどん欠けていく。口元も欠けて、言葉が途切れてしまった。だが、痛そうな表情じゃない。これは、まるで見えなくなっていくかのような・・・・・・。

「月?」

 唯一聞き取れた単語が、それだった。
 
 そして、俺の前でリルケはとうとう足の先まで元々そこに居なかったかのように消えてしまった。
 
 そこで始めて、俺はリルケが裸足だった事に気付いた。そして、この部屋に靴が無かった事にも。

「ジョージさん!!!」

 どんっ!!と、強い衝撃が胸に当たった。気付くと、目の前にはふわふわと広がる金髪の草原が広がっていた。いや、良く見るとそれはリフレールの髪らしかった。

「お?ん?」

 ちょっと待て?見覚えのある部屋だ。リルケがいなくなった部屋だ。そりゃ当然だ。俺はそこから動いた覚えは無いからな。
 
 違うのは、窓が閉められている事と、サイドテーブルのランタンに火が灯っている事。それに、ベッドにはすやすや寝ているモカナ。俺の胸には、なんだか泣きそうな顔のリフレールが居ると言う事だけだった。
 
 なんだって、俺はリフレールに胸をどつかれてるんだ?
 
 ってそこじゃないだろ。景色が一瞬の内に変わった事だろ。リフレールの様子からして・・・・・・おかしいのは、俺の方か。
 
「リフレール。俺は今、何してた?」

「ジョージさん!?良かった。正気に戻ったんですね」

 心底ホッとしたように顔を緩ませるリフレール。たまには可愛い所もあるんだよな、コイツ。

「あー、要するに異常な行動をしてたわけか?俺は」

「・・・・・・はい。部屋に戻ってくるなり、見えない誰かと話してるみたいに。モカナさんの事を見てるのかと最初は思いましたけど、視線はそれより上を見ていましたし」

 リフレールは流石に飲み込みが早い。俺が現状把握を求めている事を、すぐに見抜いて気持ちを切り替えてるな。

「・・・・・・そうか。となると、あれは俺にしか見えなかったわけだな」

「あれ?やっぱり、ジョージさんには何か見えてたんですか?」

「ああ。あれは、誰だったのかな」

 リルケ。名前だけは、分かっていた。あの娘は、なんだったのか。なんでか、もう一度会えるような気がした。

 夜、もう一度あの少女と会えるかもしれないと睡魔を拒んでいたジョージだったが、気付くと辺りの色が一変していた。

 
 長旅で、それなりに疲れていたらしいな。辺りを見回すと、安らかな寝息を立てるモカナとリフレールの姿があった。
 
 どうやら、一番早く起きたらしい。昨夜はなんとか頑張って起きようとしていたはずなのに、随分と気分が良いな。熟睡できたのか。体が軽い。
 
 そんな快適な目覚めとは対照的に、太陽の機嫌は斜めらしい。窓を開けなくてもどこか湿った香りと、大粒の雨の弾ける音がした。
 
 サラク方面の道はあまり知らないが、こりゃ旅には向かない天気だ。こんな雨が三日も続くと、どこかしらで山が崩れるらしいからな。今日はここで足止めか?
 
 まあ、ただ突っ立ってるのも何だ。朝飯ができてるか聞きに行くか。
 
 足音を殺して部屋を出る。この旅で知ったが、モカナの眠りは尋常じゃないくらい深い。きっちり睡眠を取るまでは、揺さぶっても起きない。リフレールは、低血圧らしく寝起きの機嫌がいつも悪い。ぼーっとしてるくせに、上目遣いで睨んできやがるからな。
 
 部屋を出ると、まだ宿全体が眠っているかのような感覚がした。薄明かりがぼんやりと窓から差し込んでいるものの、まだ早朝なのか?
 
 そんな事を考えながら階段を降りる。
 
 きし きし きし きし
 
 あまり聞きなれない音だ。マルクは、基本的に石造りの街だからな。こういう木造の建築物で寝るなんてのは、随分久し振りだ。

「ふわぁぁぁ」

 誰も見ていないと思って、思い切りあくびをする。

「おや?」

 いや、見られていた。女将さんだ。全く警戒していなかっただけに、不意を突かれて恥かしさが込上げてくる。
 
 無理矢理あくびをかみ殺してみたが、誤魔化せただろうか?

「おはようさん。随分早いんだね色男。まだ7時にもなってない。ゆっくりしたらどうだい?朝食の準備もこれからだよ」

「おはようございます。いや、寝心地が良くてね。十分眠れたらしい。お蔭さんで体が軽い」

「そりゃあ良かった。嬉しいね、そういう事を言われると。お世辞でも」

 笑顔を見せる女将。
 
 ふと、昨日の少女の事が脳裏に浮かんだ。そういや、あれが幽霊の類って可能性もあるか。部屋に憑く幽霊の類なら、俺の他にも誰か見た事があるかもしれないな。

 聞いてみるか。確か、名前はリルケって言ったな。

「ところで女将さん。リルケって名前に心当たりはないか?」

 空気が、凍りついた。女将さんの目が、尋常ではない位見開かれていた。

「あんた、その名前をどこで聞いたんだい!?あの子は、今どこにいるの!?」

 唐突に掴みかかってくる女将。振り払うのは簡単だが、女将の目は混乱している以上に真剣だ。

 ぎりっと腕が握られる。すさまじい握力だな。この宿の仕事を殆ど独りでこなしているんだろう。

「腕が痛くて、とても話せる状態じゃないんだが。まずは、落ち着いて腕を放してくれないか?これでも一応客だぜ?」

 客という単語が冷や水を浴びせたのか、女将は慌てて手を離した。おお、いてえ。

「信じられるか分からないが、昨日、俺達の部屋で見た・・・・・・。白昼夢かもしれない。なにせ、俺のツレは見なかった。どうも俺だけが見られたらしい」

「・・・・・・・・・あの子と、何か話したのかい?」

「あっちは、俺に何か頼みたい事があったらしい様子だったんだけどな。途中で、欠けるみたいにして消えちまった。信じるのか?」

「・・・・・・悪かったね色男。いきなり掴んじまって。リルケっていうのは、あたしの娘の名前さ。5年前に行方不明になったね・・・・・・」

 そう言って女将は俯いた。あの娘が、女将の子供?だが、行方不明になった少女の帰還・・・・・・というには少しばかりユーモアが効き過ぎてるな。

「リルケは、あたしの子供なんかにゃもったいないくらいの可愛い子でねぇ。いずれは街きっての花娘としてこの町を賑わせると誰もが言ってたくらいさ」

「花娘ってのは?」

「ああ、花の売り子だよ。この街は花で成り立ってる街だからね、正に花形職ってわけさ」

 なるほど。たしかに、この街は花屋だらけだ。それだけの店舗が成り立つと言う事は、一日に花の売買で流通する通貨の量も相当なものになる。となると、その直接の売買に影響する花の売り子は販売の仕事ながら営業職なみの給金を貰えてるんだろうな。確かに、花形職だ。

「それだけじゃなくて、物覚えも良い子だった。本当に花が好きでねえ。宿の事は覚えもしないのに、十歳の頃にはこの街で扱われてる花を300種類もおぼえていたよ。ほら、うちの裏庭を見てごらんよ」

 そう言って、女将は東側の窓を開けた。そこは、花に囲まれたこの街の中でも目を惹く見事な庭園が広がっていた。
 
 川から拾ってきただろう丸石を丁寧に同じような色、模様に分類して敷き詰めた道の両側を大小様々な花が咲き乱れていた。
 
 明らかに人の手が入っている。
 
「これを、あの子はたった一人で作ったんだ」

 ・・・・・・モカナみたいな奴だな。余程、花が好きだったんだろうな。

「それが、5年前のある日、珍しい花を見つけたとか言って取りに行ったきり戻って来なかったんだよ」

 そう言って、女将は俯いた。

 女将の話が事実だとして、俺だけが見えたあの娘が同じリルケだったとする。すると、どういうことだ?分かり易い所でいうと、あれは死んだリルケの霊か?
 
 だが、それがリフレール達には見えなくて俺には見えるというのは良く分からないな。水霊を従わせているあいつらの方が、気付いて当然のはずだ。

「今、あんた達が泊まってる部屋は、元々あの娘の部屋でね。家具だけ入れ替えて使ってるんだ。・・・・・・あの娘、人懐っこい娘だったから。あんた達が来て賑やかになったから、話したくなったのかもねぇ」

 しんみりと女将は語った。女将にとっちゃ、感傷になるのかもしれないが、俺には現実だ。いや、確証は無いが。現実だったと思う。
 
 あの娘は、俺に何かを伝えたがっていた。あの顔、モカナを思わせる必死な顔。
 
 もしもう一度会えるなら、力になってやりてえな。・・・・・・って、俺はいつの間にこんなお人よしになったんだ?
 
 自分で呆れる。だが、放っておけない。不思議だが、仕方ねえ。

「もし、もう一度会ったらあんたが会いたがってるって伝えとくよ」

「ああ。本当に、本当に、一度だけでいい。あの娘の顔を見たいよ・・・・・・。ちょっと話し込み過ぎたね。朝食は8時頃だよ。あの二人も連れて降りといで。腕に寄りをかけて作るからさ」

 そう、笑って女将は腕まくりして見せた。その笑顔は、どこか寂しげに見えた。

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