珈琲の大霊師021

「おや、珍しい組み合わせだな。私も加わっていいか?」

 中庭でリフレールとルナが向かい合わせに座っているのを見つけたユルは、ただならぬ雰囲気を感じ取って近づいた。

 なんとなく、その二人に色んなバルコニーから視線が集まっているような気がして辺りを見回すと、どのバルコニーからもそそくさと巫女達が去っていく。密談には向かない場所だ。

「あ、ユル様。え、えっと……」

 ルナは、ちらちらとリフレールの様子を伺っている。その狼狽振りは、滑稽な程だ。
 
(あまり他人に触れられたくない話題か?)

 ユルは、僅かに目を細めた。

「いえ、ユル様にも聞いてもらいましょう。きっと、経験豊富なはず」

「ん?なんだ、女二人で戦闘技術について話しているのか?色気の無い話だな」

「いえ、不治の病について」

「ほう……」

 不治の病と聞いて興味を引かれたユルは、二人の間の席に座り、耳を傾けた。
 
「では、語りましょう。恋というものについて……」

 ガタンッ!!
 
「すまない。急用を思い出した」

 机を立って、さっさとどこかに行こうとするユルの裾を、ルナは咄嗟に掴んで引き止めた。

「あ、ちょっ!ユル様、逃げるんですか!?」

「人聞きの悪い事を言うな!私はだな、そういう話が苦手なんだ!離せ!」

 顔を真っ赤にして、ユルが裾を振る。老婆がやっている姿を見るのは、実に稀な事だろう。それがユルならば、なおさらだ。

「ユル様も、戦場に出る前はうら若き乙女だったはず。しかも、戦場で見とれる敵兵がいたと言われる程の美貌だったとか?サラクには、逸話が沢山残っておりますよ?えーと、確かあればオアシスで……」

「あーあー、リフレール?過ぎた真似は命を縮めるぞ?」

 ユルが滅多に見せない笑顔を作ると、ぞわっと噴水の水が固まり、刃となって空中に留まった。それでも、精神的に不安定な事が影響してか、刃は固くならずにふるふると震えていた。
 
「今ここで話すか、後で噂が広まっているか、どちらかの差ですわユル様」

 リフレールも、負けじと笑顔を振りまく。
 
(ひええー、こんな笑顔に挟まれたくないよーーー!!)

 ルナは、泣きそうになりながら二人に合わせて歪な笑顔を取り繕っていた。

「私の経験に言及しなければ、参加しよう。これが妥協点だ」

「分かりました。逸話の数々を確かめられないのは残念ですが、本題ではありませんし、またの機会にします」

 ユルとリフレールの駆け引きの間、身を縮めていたルナはとりあえずの決着が着いて胸を撫で下ろした。
 
「で?誰の恋だって?」

「私と、ルナさんのです」

「……なんだか、急にめんどくさそうな空気が漂ってきたぞ?」

 ユルは、なんとなく心当たりがあった。リフレールはともかく、ルナとは付き合いも長い。男勝りな性格の癖に、恋愛に関しては奥手のルナにユルは親近感を感じていた。

 だから、ルナの意中の相手くらいは知っていた。あのリフレールが命がけで臨んだ会議、最終的に場を支配したのはジョージの策だった事を、ユルはモカナから聞いていた。モカナは尊敬をもってジョージの事を語り、ユルも一目置いていた。

 そして、ユルはリフレールも、ルナも、よくジョージを目で追っている事を知っていた。

「確かに、あの時の振る舞いは見事な物だったな。ジョージとかいったか?あの男だろう」

「はい。ご明察の通りです」

 ルナが真っ赤になって俯く。ジョージの前では見せたことも無いような情けない乙女の顔をしていた。

 ジョージが、この街から離れていく気配が濃厚になるにつれ覚悟していたはずだったのに、ルナはどんどん寂しくなり、不安定になってしまったのだった。それで、何をとち狂ったのか中庭で偶然顔を合わせたリフレールに相談してしまったのである。

「私も、ジョージさんの事が気になっていまして。先ほど、二人ともがジョージさんを狙っているという事が判明し、私はルナさんを威嚇していた所です」

「……正直過ぎるのもどうかと思うぞ?リフレール」

 恥かしがってもじもじしているルナと対照的に、リフレールはスパッと自分が好意を持っている事を言い切った。

(戦略的な駆け引きでは、既にルナが一歩遅れているな)

 そうユルは分析した。恋愛も戦争も、先手必勝。求めなければ得られないのである。

「ふむ。とりあえず、片方ずつ話を聞こうか。まずは、ルナからにしよう」

 ユルの視線がルナに定まる。リフレールは、ずっと視線をルナから逸らしていない。ルナはといえば、あちこち落ち着かない様子で目を泳がせていた。

 この時、この中庭には人知れず水精霊達が茂みの中、噴水の中、話が聞こえる範囲に潜んでいた。いつの時代も、恋愛話は女の一番の話題なのだった。
 
 ルナは、相談の場所を間違えた事を痛切に感じながら、ユルに促されて少しずつ語りだした。

 ルナは、深呼吸して心を落ち着かせると、要点を纏めて話す事にした。

「ジョージが、この街を出ようとしてる。私には、止める権利が無い。でも、私はあいつに居て欲しい。目的があっての事でも、一緒にいて欲しいんだ。でも、言えなかった」

「ほう、意外と冷静に考える事は出来てるんだな。ルナは、そういう事が苦手だと思っていた。今言ったそのままをジョージに言えばそれで十分だな」

「……でも、私あいつの足は引っ張りたくないんです。あいつは、この数年いつもどこかつまらなそうにしていた。目標も特に無く、あれだけ頭が回るのに活かそうともしてなかった。それが、今一つの目標に向かって頑張ってる。真直ぐ前を向いてるんですよ。だから、私は、本当なら心の底から応援したい」

 真面目な顔で語るルナに、リフレールは少し詰まらなそうに目を閉じて聞いていた。そして、ルナの言葉がひと段落すると目を開き、がばっと立ち上がった。

「甘い!ルナさんは甘いです。そんなんじゃ、掴める物も掴めませんよ。旅に出たら、いつ帰ってくるのかも分からないんですよ?そのまま会えなくてもいいんですか?」

「い、良いわけないじゃないか!そんなの、嫌だよ。でも、でも」

「本当は、本心を晒して拒否されるのが怖いだけなんじゃないですか?」

 ぴしっと言い切ったリフレールの言葉に、びくっとルナの動きが止まる。図星だったのだろう。

「……怖いよ。あいつは、私にとってとても大事だから。今の関係が崩れるのが怖いよ。でも、あいつを応援したいのも本心なんだ」

「私なら、さっさと囲っちゃいますけどね」

「リフレール、今の本気だな?」

 ユルが呆れたように苦笑いして尋ねる。
 
「はい。次期サラク王になってもらうのも良いかなと思ったりもしています」

 にこりと、何でもない事のようにリフレールは先手を打つ。この会話が多くの者に聞かれているであろう事をリフレールは予想していた。その前で宣言する事は、事態をリフレールの優位に運ぶ。そう計算した上での発言だった。
 
 次期サラク王ともなれば、本人がどう思うにせよ周囲はジョージをサラク王に推そうとするだろう。特に、ジョージの元部下だった者達は間違いなく今の一衛兵で日々を過ごしているジョージを惜しいと感じているに違いない。ジョージを囃し立て、祭り上げ、その気にさせる効果を見込める。
 
 それが必ずしも本人が歓迎するものかどうかは分からないが、手を打たないままでは何も手に入らない。リフレールは形としては他人に働きかけているわけではない。ただ、自分の想いを口にしているだけだ。それがどう働こうと、リフレール自身に責任を問われる事は無い。
 
 そういう打算も含めた一言だった。

「……リフレール、それはいいが、こういう女だけで話す色恋沙汰の中でいつも無視されがちが問題があるんだが、指摘していいか?」

 ユルが、ルナの様子を見かねて水を差す。最終的にその言葉でケリをつけようとしていた言葉だ。

「?何でしょうか?」

「当の本人は、どう考えてるんだと思う?」

 むっと、リフレールは苦い顔になった。とはいえ、驚いてはいない。問題は認識済みで、ルナを牽制していたということだろう。
 
「……それに触れるなんて、ユル様は意地悪ですねー。ハッキリ言ってしまえば、今のジョージさんには意中の女性というのはいないと思います。だから、私達にも付け入る隙があるという事です」

「それが実は、いるんだとしたらどうする?」

 今度こそ、リフレールは動揺した。それは、リフレールも予想しなかった、また知らない事だとユルは確信した。それはルナも同じで、やや期待の目をしている。その期待を折らなければならない事に、ユルは少し心を痛めた。

「彼の行動を見れば分かる事だ。二人とも思い返してみるといい」

 ルナはユルの言葉に首を捻る。そもそも、こういう謎掛けは得意ではないのだ。
 
 対するリフレールは、数秒の思考の後に青ざめた。が、首をぶんぶん横に振ってそれを否定する。
 
「……ユル様、それは無いと思います」

「さすがリフレール。気付くのが早い。が、それが絶対に無いと言い切れるか?」

 にやり、とユルは不敵な笑みを浮かべた。それを見たリフレールが一歩下がる。無意識の行動だ。

「では、ユル様は私達のライバルはお互いではなく彼女だと言いたいのですか?」

「問いを問いで返すと言う事は、肯定だと受け取って良いんだね?リフレール」

 ユルは余裕を持ってゆったりと尋ねた。対してリフレールは眉間に皺を寄せたまま言い淀んで動かない。

「あの、私には何が何だか分からないんだけど……」

 ルナが助けを求めるようにリフレールの方を見る。

「……多分、ルナさんも一度は考えた事のある事です。でも、そんな馬鹿なとすぐに否定してかかったはずです。その相手の事は」

「私が、一度は考えた事がある?」

「簡単だ。一体、誰の為に彼が旅立とうとしているのか。それを考えればね」

 ユルが助け舟を出す。リフレールは、ありえないとばかりにそっぽを向いてため息をついた。

(誰の為に?何の為にじゃなくて?ジョージは、珈琲の為に……)

 そう。そうとばかり思っていた。ジョージもそう公言して憚らないし、常識的に考えてその組み合わせが考えられなかったからだ。

 だが、ルナはすぐに気付いた。そう、自分もそれについて考えた事はあった。だが、ありえないと可能性を排除していたのだ。
 
「……モカナちゃん?」

 そうだった。今、ジョージが毎日付きっ切りで面倒を見ている少女がいたのだった。いや、今だけではなかった。思えば、ジョージはモカナと出会ってからずっとらしくない行動ばかりしている。わざわざ命を助ける為に奔走した事も、何の特にもならないのにリフレールの味方をしたのも、面倒くさがりなのに珈琲作りを手伝ったのも、モカナがいたからだ。
 
 それを、ルナはずっと珈琲の魔力のせいだとばかり考えていた。常識的に考えれば、ジョージとモカナにはかなりの年齢差があるはずだからだ。そして、ジョージは別に子供を恋愛対象としない。
 
「……ちがう。ちがうよ。ジョージは、孤児院で育って、私と一緒で弟妹が沢山居たから面倒見が良くて、だから放っておけないだけで……」

 ルナは、ぽつぽつとそれを否定しようとした。しかし、その焦点は合っておらず、心ここにあらずといった様子だった。
 
「…ルナ、男というものは、常に女に安らぎを求めるものだと聞いたことがあるぞ」

 安らぎ。
 
 この言葉ほど、モカナを表現するのに適当な言葉は無い。無邪気で、素直で、珈琲という秘密兵器を持った、安らぎのスペシャリストと言ってもいい。誰も彼女を嫌わない。誰でも彼女を応援したがる。嫌味も毒も無い性格。傍にいる時、ルナも何度も癒されてきた。それは同室にいるルナだからこそ、良く分かっていた。

 だから、ルナはモカナが好きだった。モカナと一緒に入る賑やかな風呂が好きだった。珈琲の事で目を輝かせるモカナは微笑ましかった。ジョージの事を語るモカナの言葉は尊敬に満ちていて、誇らしかった。ずっと仲良くしていけると思っていた。
 
 そのモカナを、ジョージも可愛がっていた。傍から見て、兄妹のように。ジョージと結婚し、3人で暮らす所も妄想した事があった。
 
 ルナが食事を作り、食卓に持っていくと珈琲の良い香りが部屋に満ちていて、ジョージはとても和らいだ表情でモカナの頭を撫で、そこに食事を運ぶ。ジョージは美味そうだと目を見張り、モカナは涎を垂らしそうになりながら急いで席に着く。ほっぺたを押さえて美味しそうに食べるモカナに、「相変わらず美味いなお前のメシは」と笑うジョージ。伊達に長年同じ飯を食ってきたわけではない。ルナは、ジョージの食の好みを完全に把握しているのだ。
 
 子供のモカナは少し早く寝てしまい、そこからジョージとの夫婦として大人の時間が始まるのだ。
 
 そんな、幸せな妄想だった。

 でも、モカナは男の子ではない。けして美人でもないし、まだ女性としての特徴を全く備えていないが、それでもモカナは女の子なのだ。

 ざわっ、とルナは背筋を何かが這い登ってくるのを感じた。

「……確かに、客観的事実を並べるなら、ジョージさんに一番近いのはモカナさんという事になりますね」

 リフレールは笑顔を作れなかった。一度は自ら叩き伏せた、モカナへの劣等感が頭をもたげたのだ。

「私は名前までは言っていない。お前達がそう思うのなら、そうなのかもしれないな。私は、ジョージという男をそんなに観察していないからな。あまり自信は無い。旅に出ようというのも、目的が一致したに過ぎないかもしれないがな」

 と、ユルは軽く言った。ずっと水宮を、珈琲を飲む為だけに通っていたジョージの事はユルも知っていた。それが二度と飲めないともなれば、力を持て余した男が立ち上がる事に不思議は無い。

 正直な話、ユルもジョージがモカナに恋愛感情を抱いているとは思っていなかった。それではただの変態だ。今は、ただ妹のように可愛がっているだけだろう。ただし、それは「今は」だ。

「……旅が数年に渡れば、モカナさんも……少女でなくなる」

「もっとも、それまであの男が女に一切手を出さなければだがな」

「あ……」

 ルナは、ユルの言葉で正気を取り戻した。安堵が心を満たし、ほっとルナは一息をついた。

「何不安になってるんだ。私は、あいつがそんな大人しい男じゃないって分かってたはずじゃないか」

「え?」

 リフレールが、何かと耳を傾けた。そこに、ルナは悠然と言い放った。
 
「惚れた私が言うのも何だけどね、ジョージってバカ野郎は、本当にこっちの気なんて知らないで、ぶん殴りたくなるくらい……」

 にかっとルナは笑った。もはやルナに不安は無かった。

「尻の軽い奴だからね」

 リフレールは、それは笑う所なのかと言いたくなった。

「ぶわっくしょい!!」

「ひゃっ!ちょ、ちょっとお!!汚いじゃない。あーあ、なんか気が削がれたわ。じゃあね」

「あ」

 さっさと歩いて去っていくブロンドの美女を残念そうに見送るジョージ。

「あのー、ジョージさん、もう出てもいいですか?」

「……おう」

 物陰からひょっこりとモカナが顔を出す。

「情報もらえませんでしたね」

「女ってのは秘密が多い方が魅力的なもんだ」

「?」

 ジョージは、珈琲の事を聞きまわっている最中、度々ナンパしていた。その時には必ずモカナに離れているよう伝え、感触が良かった場合は連絡先を教えるといった事を続けている。

 目的は二つ。人脈の拡大と、男としての使命だ。主に後者。ジョージのナンパは思春期からの、ライフワークになっているのだった。
 
「いいかモカナ、俺以外の奴にああいう風に声をかけられても着いて行くんじゃないぞ?」

「?……はい!」
 
 モカナの純粋さに、ジョージは眩暈がした。
 
(こいつ、絶対騙されやすいから旅に出ることになったら目を離せないぞ)

 元気良くジョージの横に並んで歩く少女を見ながら、ジョージは「まあ、それでもいいか」と小さく呟いた。
 
 

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