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珈琲の大霊師015

 モカナは途方に暮れていた。土地勘のあるジョージはさっさと探しに行ってしまったし、頼りになるリフレームも触発されて行ってしまった。モカナは、この街に来て始めて独りぼっちになっていた。

 途端に心細くなった。が、ここでまごまごしてもいられない。ジョージもリフレームも、モカナが聞き込みをすると信じているのだから。

 モカナは、意を決して立ち上がり、周囲を見渡した。

 近くにある店舗は、右手側に精肉、左手側にパンが並んでいる。正直な所、期待薄だ。精肉は関係ないが、もしかするとパンの中にコーヒーの実を入れたパンがあるかもしれない。そう思ったモカナは、パン屋の前に立った。

 パン屋には、マルク名物、渦巻状の固焼きパン。通称ドリルパンを始め、甘い香りの漂う菓子パンや、惣菜パンが並んでいた。どれも狐色に綺麗に焼けていて、食欲を誘った。

「へいらっしゃい!!おや、小さな巫女さんだねえ。夕方の買出しかい?」

 陽気な主人が、にこやかに挨拶してくる。それは、モカナの服装のせいもあった。水宮の巫女から取りっぱぐれる事は無い。浮世離れしている水宮の巫女達は、イマイチ物の価値が分からないから高くても躊躇なく買うし、金を忘れてきたとしても水宮に請求しに行けば取りっぱぐれる事はない。だから、市場の店主達にとって、巫女は上客なのだ。

「・・・え、えっと・・・。コ、コーヒーの・・・」

「ん?なんだい?悪いがもっとでかい声で言ってくれないか?なにせこの騒ぎだからよ」

 パン屋の主人が言うとおり、市場の喧騒は甘くない。こういった露店型の市場では、値段交渉が当たり前に行われる。買うほうも売るほうも商売人が多い。となると、自然と交渉はヒートアップして、時には怒鳴りあいになる事もあるのだ。

 その中では、遠慮がちに発せられるモカナの声など津波の前の雨粒のようなもので、一瞬にかき消されてしまうのだった。

「コー、コーヒーの実って知ってますか!?」

 モカナは思い切って大声を上げた。が、それでも喧騒の中では周りが注目する程の声では無かった。

「コーヒーの実?・・・・・なんだい?それ。始めて聞くなぁ」

「えっと、甘くて、赤くて、小さい粒が沢山なるんです」

「サクランボみたいなもんか?」

「えーっと・・・・・・もっと、トウモロコシとまではいかなくて・・・、そうブドウみたいな感じのです」

「うーん・・・聞いたことがねえなぁ。ふむ。ところで、パンは買わねえのか?」

 店主の目がキラリと光る。モカナは、直感的にパンを買わないと言ったら話して貰えないと感じた。

「コ、コーヒーの実の入ったパンが欲しいんです!ほんのり甘くて、美味しいんです」

 モカナの故郷では、メジャーなパンである。

「聞いたことがねえなぁ・・・。まあ、なんだ。腹減ってないか?焼きたての雑穀レーズンパンがあるんだが、それで手を打たねえかい?安くするぜ?」

 したたかな店主であった。

「う~ん・・・、や、焼きたてですか?」

 そして、モカナは美味しい物に目が無かった。

「ああ、うちの主力商品だぜ?8種類の雑穀と、大粒のレーズンを入れ込んだんだ。歯応えバツグン、酸味最高、甘さ控えめだぜ?」

「は、歯応えバツグン・・・で、ですか?」

 何を隠そう、モカナは美味しい物に目が無かった。

 頭では釣られてる事を理解しながらも、目が輝いて、そのパンに釘付けになっていた。

 それに気を良くしたパン屋の店主は、

「よし!今なら、秘伝の特製バターを塗ってやるぞ!?」

 と、サービスを加えてダメ押しした。

 はわぁぁぁと涎がこぼれそうになっているモカナに、最早抗う術は無かったのであった。

「まいど!よおし、サービスサービス」

 パン屋の店主は、起用にバターナイフを手元でクルクル回し、丸い雑穀レーズンパンに変わった色のバターを塗りつけた。

 バターは、焼きたてパンの熱でじわ~っと溶け始める。同じように、モカナの口からも涎が垂れそうになっていた。

 しつこいようだが、モカナは美味しいものに目が無かった。

「はいよ、お代は後でいい。さっ、熱い内に食ってくれ」

 取りっぱぐれがないからできる事だというのは秘密だ。

「うわぁ~・・・。色んな物の香りがする~。あ、これイルの葉を煎じたのも入ってる。じゃあ、いっただっきまーす!」

 大口を開け、勢い良くバターの蕩けてる場所に噛み付くモカナ。

 カリッとした皮、弾力のあるもちっとした生地、一口頬張るだけで香るいくつもの雑穀と、ほのかな香草の香り。8種類の雑穀は、それぞれの食感で歯を楽しませ、個性のある甘みを舌に残した。

 そこに、じゅわーっと脳の奥まで染み込んでくるような濃厚な乳脂肪と香ばしい焦げの絶妙のハーモニーが炸裂する。

「んむぅ~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 モカナは、目を大きく見開き、足をバタバタとさせた。それがあまりに唐突だったので、パン屋の店主は喉を詰まらせたかと思って、あわてて自分の水筒を取り出した。

 水筒を差し出すと、モカナはちらっとそれを見たが、突然落ち着きを取り戻し、それはいらないとばかりに手を開いて店主に見せた。

 そして、味わうようにゆっくりと租借し、今度はあまり大口を開けないようにして一口齧った。

「んん~~~・・・」

 モカナは、手の平をほっぺたに当てて、幸せそうに肩をすぼめた。顔は緩みきっていた。また、今度は静かに足がパタパタと動いた。

 もはや、誰でもモカナがどう感じているのか手に取るように分かっていた。そして、それをパン屋の店主は、熱い目で見ていた。その目頭からは、知らない内に雫が溢れそうになっていた。

 ついでに、通行人達が何か違う雰囲気を察して集まりつつあった。

「ごくん・・・。これ、すごく、美味しいですねっ!ボク、こんなに美味しいパン食べたの始めてです」

 満面の笑みが目の前で炸裂し、感極まったパン屋の店主は、思わずぎゅっとモカナを抱きしめていた。

「ふえ?」

 店主は無言で、涙を一生懸命堪えていた。

「すまねえ、これだけ言わせてくれ。ありがとう。俺ぁ、俺ぁ、幸せもんだ・・・・・・」

 自分の仕事が、誰かを喜ばせる。それは、職人にとって誰もが夢見る一つの小さな自己実現。多くの人が行きかうこの街で、チャンスは多いはずでも、巡り合う事が少ない宝石のような事実。

 一人の客が、全身全霊で喜びを表現してくれた。百人が買っても、その日の売れ行きが倍良くても、この感動は味わえない。

 職人としての原点の喜びが、店主の胸に満ちていた。

 それを遠巻きに見ていた通行人も、何か違う雰囲気を感じ取って、モカナの手にあるパンを見つめる。モカナの顔を見ていると、それがいかにも美味そうに見えてくるのだ。

「おやじ、俺にもそのパンくれ」

「あ、まっ、俺、俺も!俺は2個くれ。女房に!」

「ちょっ、あたしにも。3つ頂戴。ダンナと子供の分」

「え、ええっ!?おやじ、在庫ある?お、俺にもくれー!」

 怒涛の注文に、商人としての店主の心が踊る。モカナの頭をぐりぐり撫でた後、跳ねるようにして露店に引っ込み、

「あいよ!!焼きたて雑穀レーズンパン、特製バターつきだ!現品限りだぜ!!」

 と、鉄板に焼きたてのパンを沢山乗せて豪快に棚に広げた。

 パンは飛ぶように売れていった。モカナはその間も、マイペースに本当に美味しそうにパンを頬張っているのだった。

「すみません、コーヒーの実という物を知りませんか?」

 リフレールは、これで12件目の果物屋に来ていた。

「やあ、お嬢さん別嬪さんだねえ。コーヒー?・・・聞いたことがないなあ」

 12回目の同じ反応だった。

 リフレールは、コーヒーの実の特徴を伝え、再度尋ねる。

「うーん、うちはベリー系を扱ってないんだよねえ。聞いた感じだと、ベリーの仲間なんじゃないかと思うんだけど。ベリー系なら、ここから二通り程先に専門店があったと思ったよ」

 ベリー系。これは、始めての情報だった。市場は、専門色で分けられていて、リフレールは12件目にしてやっとその専門の店がある通りを知ったのだった。

 そして、ベリー系果実ばかりの通りに着いた時、リフレールは見慣れた人影を目の端に捉えた。

 そちらも、同じように気付いたようだった。それは、ジョージだったのだ。

「おいおい、土地勘は俺の方があるんだがな・・・」

「人徳の差ですね」

「言う言う」

 ニヤリと笑い合うと、二人はサッと別の店に駆け込む。二人の競争は、ここに来て最終局面を迎えていたのであった。

 しばらくして、それらしき果実を手にしたリフレールとジョージは、先を争うようにモカナの元へ走った。

 そこで待っていたのは、沢山の食べ物に囲まれて困ったような顔をしているモカナだった。

「あ、ジョージさん!リフレールさん!」

 ぱっと表情が明るくなった。本当に困っていたらしい。食べ物に囲まれて困るとは、贅沢な悩みである。

「・・・どうしたんだ?こりゃあ」

「これ、全部買ったの?」

「いえ、違うんです。皆が、ボクに食べて欲しいって持って来て下さって、最初は全部食べてたんですけど、もうお腹一杯で食べれないんです・・・。ボク、どうしたらいいですか?」

 見ると、モカナのやせ細っていた胴が、かなり盛り上がっている。そして、その顔は泣きそうな顔をしていた。

「嬉しいですし、食べたいんです。でも、もう入らないんです」

「・・・俺が持ってやるから、帰ってから食え」

「あそっか!ありがとうございますジョージさん!優しいですね」

 モカナの元に大人が二人来たのをみて、店じまいをして一服していたパン屋の亭主が上機嫌に近づいてきた。

「あんたらが、この娘の待ってた保護者か。いやぁ、この娘のおかげで今日はこの通りが大繁盛だったんだぜ?」

 と、パン屋の亭主が得意げに今日の出来事を二人に語った。

 パン屋の雑穀レーズンパンを売切れさせた後、モカナの客寄せに目をつけた他の店の店主がモカナに食べ物を与えたのだ。それがまた美味しかったらしく、美味しそうに食べるモカナに、惹き付けられる通行人。集まる人々、自然と儲かる周辺商店。

 俗に言うサクラとも言えなくもないが、モカナにそのつもりはない。ただ、美味しいものをお腹いっぱい食べただけなのだ。

 当然、その全てが恩恵を受けたわけではない。中には、当然美味しくない店もあるのだ。

 そんな時、モカナは嘘をつく。せっかくもらったのにまずいといってはいけないと嘘をつく。

 ただし、顔に嘘はつけない。実にまずそうな、眉と口元が情けなく垂れた常態で無理矢理笑おうとして「おい、美味しいです」と言うものだから、瞬く間にその店からは人が遠ざかった。

 そんな光景も含めて、モカナの周りには通行人が集まり、次は何が見れるのかと楽しみにしていたのだった。

 純粋で、素直で、かつ確かな舌がある。ということだ。

 その繊細な舌があるから、あんなに美味い珈琲が入れられるんだなとジョージは一人納得していた。

 リフレールもまた、衝撃を受けていた。打算と戦略、そして勘とで物事を思った方向に導く能力に優れたリフレールとは、真逆とも言っていい才能。まるで、幸運の方から寄って行くような屈託の無い、嫌味の無い素直さと、悪意が無いと自然に伝わる思い遣りの才能。

 物事が、勝手にモカナを良い方へ良い方へと導いていくような温かい力。それは、頑張って、努力して、手に入れるようなやり方では決して身に着かない。

 隠れ努力家のリフレールには、それが悔しく、悲しく、切なかった。

「やるじゃねえか。まあ、誰でも何かしら特技があるってもんだな。珈琲だけでもないってわけか」

「・・・ボクには良く分からないです」

 それも当然。モカナは、ただあるがままだっただけなのだから。

「それはそうと、持ってきたぜ?コレがコーヒーの実だろ!?」

 と、尖った葉に細かい赤い実がついた枝を得意げに突き出す。

「えっと、・・・違います」

 数秒で撃沈された。得意げに出しただけに、気まずくなってジョージはその枝を背中に隠した。

「リフレールさんも持ってきてくれたんですか?」

 声をかけられて、リフレールはびくっと体を震わせた。

 なんだか、自信が無かった。負けん気と勢いと、勘だけで持ってきたが、それが合っている論拠はモカナが言ったコーヒーの実の特徴しかない。

 やる気が空回りし続けているリフレールには、これ以上自分を信じる根拠が無かった。

 思わず、リフレールは持っていた枝をジョージと同じように隠してしまった。

「?」

 モカナは、不思議そうにリフレールを見上げる。

 その純粋な期待の目が怖くて、リフレールは無意識に視線を逸らしてしまった。そして、逸らした自分に気付き、愕然とした。

(一体、この私は一体何なの?これが私?こんな情けない女だったのか!?私は!!)

 怒りは自身に爆発した。一体何を恐れているというのか、この小さな少女に対し、何を失うというのか?

 数秒の間。リフレールはその答えをぐるぐるする頭の中で捜し求めた。

 

 そして見つけ出し、憤った。

 

 その名は

 

 自尊心[プライド]

 リフレールは激しい自己嫌悪に陥った。

(自尊心で民が救えるのか!?何が自尊心だ。私はまだ何もやってない!!何も達成できていない。しかも、素性の知らない女の子を相手に、自分の方が優れていると根拠も無く思い込んでいたっていうの!?醜い!!私は、なんて醜い!!自分がこんなに汚れていたなんて・・・恥かしい。ここにいたくない・・・。この子に顔向けできない)

 ギリッと、リフレールの爪が手の平に突き刺さった。血が出ても、まだリフレールは力を緩めようとしなかった。自らを、少しでも罰するべく、例え爪がはげてもリフレールは力を込め続けようとした。

「リフレールさん!!血が出てますよ!」

 モカナに言われてハッと我に返った。両手に鈍い痛みがあった。モカナが、慌ててリフレールの指を手の平から離そうとしている。

 出会った時、少女は薄汚い格好をしていた。やせ細り、女性として全く魅力の無い体をしていた。だから?

 

 

 だから、コノコヲジブンヨリシタダトオモッテイタ?

 コノ、ココロヤサシイショウジョヲ?

 

 

 次の瞬間、猛烈な吐き気がリフレールを襲った。

「うっ、ご・・・めんなさい。モカナ、さん」

 自己嫌悪による急激なストレスが、吐き気となってリフレールを襲ったのだ。もはや、リフレールはそこにいられなかった。赤い実のついた枝を放り投げて、モカナの手を振りほどき、つんのめるようにして逃げ出して行く。

 なりふり構っていられなかった。

「・・・・・・」

 サウロは無言で消えた。

「・・・・・・ジョージさん、ボク、何か、悪い事言ったんですか?」

 モカナは、振り払われたショックで涙目になっていた。

 ジョージは、そんなモカナの頭に手を置いて、鋭い目をリフレールが逃げていった方向に向けていた。

「いや・・・。お前が悪いんじゃねえよ。あいつ自身の問題なんだ。きっとな」

 ジョージは、モカナの頭を撫でながら、こいつの髪ごわごわしてるな・・・と、感じていた。

 リフレールは、運河の畔で泣いていた。泣いたのは、随分久し振りだった。

 目の前を流れる美しい水の流れに、僅かながらも自分の消化物を吐き出してしまった事に申し訳なく思っていた。

 元の、強く気高いサラクを取り戻すまでは泣かないと決めていた。その決意が、今日までリフレールを気丈に保ってきたのだと言える。

 それが、こんな所で自分自身の醜さに躓くとは思ってもみなかった。が、もう時既に遅し。決意は、折れてしまった。

 寄せては返す波の音に耳を傾けていると、雑踏とは異質な足音が近づいてきていた。この足音には、自分に向かう意思があるとリフレールは感じていた。

「よう」

 だから、後ろからジョージに声をかけられた時、リフレールは驚かなかった。

「安心しろ。モカナなら置いてきた」

 別に聞いてないのに・・・と思いながらも、その心遣いにリフレールは感謝した。

「ありがとうございます。お隣、どうぞ」

「・・・そこは、座りませんか?って聞くとこじゃないのか?」

「クス・・・そのつもりでいらっしゃったんでしょう?」

 ジョージが、リフレールを慰めに来た事くらいは分かっていた。泣いて少しだけ気が楽になったのか、その程度の事は頭が回っていた。

 このジョージ=アレクセントという男は、物事の機微に鋭い。門の衛兵という人を観察する業務に長く携わってきたからかもしれないが、それだけでないものをリフレールは感じていた。

「まあな。なんだ、意外と大丈夫みたいじゃねえか。心配して損したか?」

 どかっと隣に座るジョージ。あけっぴろげなその態度が、リフレールには心地よかった。頭が回るのに、飾らない。こういう男は、周りにはいなかった。

「いえ。来て頂けて良かったです。誰かに、やっぱり聞いて欲しくて」

 自分自身でも不思議だなと思いながら、リフレールは誰にも話す気の無かった自分の弱い部分を話したくなっていた。

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