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珈琲の大霊師018

 次の日、3人は水宮の広い中庭にいた。水宮の中心に位置していて、正方形に上から切り抜かれたような形をしているこの中庭は、全37階建ての水宮のどの階からもバルコニーが突き出ていて、通りかかる巫女達の癒しの場となっていた。

 3人の前には、赤く煌くコーヒーの実がどっさりと山を作っている。興味本位で、バルコニーには数え切れたい程の巫女達が現物に来ていた。

「へえ、結構甘いんだねぇ。この実。これがあの苦いコーヒーになるのかい?」

 中庭には、コーヒーに興味のある巫女達が集まっていた。ルナもその一人。ユルも当然のようにそこにいた。

「こら、摘み食いするんじゃない!モカナさん、手伝える事があったら言うんだよ?」

 ユルは、既に巫女服を肘まで捲り上げてやる気十分である。その様子を、微笑ましそうに笑う巫女長もそこにいた。幹部巫女も数名いる。
 
 巫女長始め、幹部巫女揃い踏みともなれば元が姦しい女達。仕事そっちのけで、見物に来るのも無理は無いというものだった。

「力仕事なら任せてくれ」

 見ると、見慣れない男が軽装でジョージの隣に立っている。普段は重装甲の鎧を着けているため、顔が見えないのだが、あの時の凄腕衛兵だった。

「えっと、すみません。お名前聞いてもいいですか?」

 モカナの心遣いで、始めて衛兵は名乗る機会を与えられた。実は、この場にいる誰も彼の名前を知らなかったりする。彼は、名も無き優秀な衛兵。としか思われた事が無かったのだった。
 
「ゴウ=ルゥフという。普段は、巫女長様の警護と会議堂の警備を担当している。この間のコーヒーは美味かった」

 短髪でがっしりとした体型のゴウは、女ばかりの中庭では一際よく目立っていた。筋肉から、日頃の弛まぬトレーニングの成果が見て取れる。

「ありがとうございます!今日はよろしくお願いします」

 ぺこりと行儀良く頭を下げるモカナに、ゴウも笑って礼を交わした。

 これを合図に、モカナの指導の下、コーヒー豆の精製が始まったのだった。

「まずは、枝から実を全部取ってこっちの桶に入れてください」

 そう言いながら、モカナは手際よく枝から赤い実をもぎ取り、ゴウに用意してもらった桶にひょいひょいと投げ入れていく。

「ほいきた。任せときな」

 ジョージを先頭に、コーヒーの実の摘出が始まった。総勢で10人を越える人数で事を進めているため、作業はトントン拍子に進んだ。

 最終的に大きな桶4つに、一粒ずつバラバラになったコーヒーの実がぎゅうぎゅう詰めになった。
 
「次に樽に水を半分程入れて、そこにコーヒーの実を漬けます」

 この辺りは完全に力仕事だ。ゴウとジョージが樽を運び、巫女達が美味しいコーヒーになるよう祈りを捧げながら、水精霊達に水を注がせる。

 20分後、6つの樽に全てのコーヒーの実が漬け終わった。

「うわー、皆さんがいると1日がかりでやる仕事があっという間ですね!お疲れさまでした。今日の作業はこれでおしまいです。丸1日このままふやかして、明日果肉を取り除きます。有難うございました!」

 モカナが次の作業を待ち望む皆に、ペコリと頭を下げると、やる気まんまんだった巫女達は少し肩すかしを食らったような顔をしていた。

「何て顔をしているんだ?ほら、さっさと仕事に戻らないか」

 とはいえ、やる作業が無いのだからできる事も当然無い。ユルのお気に入りの少女の手伝いをするという名目で本来の仕事をサボッっていられた巫女達はユルに促されてすごすごとそれぞれの持ち場に帰っていった。

 修行の合間、リフレールは中庭を訪れ、置きっ放しの樽の上から中を覗きこんだ。ゆらゆらと煌く水面のその奥に、まるで加工したルビーのように艶やかなコーヒーの実がギッシリと詰まっている。

「綺麗……」

 美しい。そこには、賑やかな作業の風景が思い出として結晶化しているかのようだ。一粒一粒の輝きを見守っていると、楽しそうに作業するモカナの顔や、バランスを崩してタルを転がしそうになったジョージの慌てる姿が思い起こされた。
 
 リフレールの心は、ここ数日の荒れ模様が嘘のように落ち着いていた。暖かな日差しの中にいるかのような心地よさを、リフレールは感じていた。
 
 それは、サラクに居た時にはほとんど感じた事の無かったものだった。

 瞑想ができたおかげか、今日のリフレールの修行は順調だった。むしろ、精神統一に関してのみ言うならば熟練の巫女並だとユルに評されていた。
 
 リフレールには集中力があり、持続力があった。めきめきと才能を発揮して行くのは、リフレールにとっても楽しかった。
 
 ふと、頭にジョージの顔が浮かぶ。恥かしい事に、昨日からちょくちょくジョージの顔が脳裏に浮かぶ。

 冷静に分析すると、更に恥かしくなる。そんなことは無い。今はそんな場合じゃないと思い直すよう心がけているが、浮かんでくるものは仕方なかった。
 
 王族だから、当然結婚の話は庶民より早く現実味を帯びてくる。14の頃、最初の縁談があったのだが叔父王が病に倒れて以来混乱していた為縁談は無かったが、家臣達はカリスマ性のある王の不在に大国との縁談を父王に何度も提案していた。

 実際に、隣の軍事大国スヴェルバニアの皇子と見合いをした事もある。軍事大国の皇子であるのに、控えめでおどおどしていた年下の皇子だった。頭の回転も鈍く、会話していてうんざりしてしまったリフレールは、ほとんど口も聞かずに縁談を断った。あのような男では国を滅ぼすと言ったら、父王も納得した。
 
 初恋は、諸国を武者修行中で消息不明となった叔父王の息子だった。文武両道で快活な性格という、リフレールの理想の男性像にピッタリだったこの従兄弟は、叔父王が病に伏せる1年前に武者修行の旅に出ると言ったきり消息を絶っていた。

 ジョージは、リフレールと良く似ていた。策謀に秀で、行動力があり、ユーモアがあり、頭の回転も速い。それだけでなく、思い遣りがあり、可愛げもあった。

 巫女になったばかりの頃は、ジョージを部下に欲しいなと漠然と考えていたリフレールは、今、どうやったらジョージが素直にサラクに来て隣に並んでくれるかを考えるに至っていた。好意を抜きにしても、腹心の部下として欲しい。そう思わせるだけの実力が備わっていると、リフレールは感じていた。

 不意に、ジョージの笑い声が聞こえてきた。
 
 見ると、窓の向こうでモカナを突いているジョージの姿があった。どうやらからかっているようだ。
 
 仲の良い兄妹のように見える。リフレールは、なんだかその様子が微笑ましくて穏やかに笑った。

 次の日、また中庭に集まった一同は、モカナの指導の下果肉を取り除く作業に入った。
 
「こうやって、中の薄皮を破らないように優しく取って下さい」

 ペロリと器用に果肉だけ取り外すモカナ。当然できるものと思ってチャレンジする巫女達だったが、果肉への水の浸透率が個々に違うため、グチャッと果肉が潰れてしまって、取り除けないもの、逆に皮ごと剥げてしまうものなど、意外と上手にできない。

 ユルも力加減が難しいのか、四苦八苦して一生懸命剥いていた。

「…そうだ、私達は巫女なんだから水精霊にやってもらえばいいんだ。ルク、おいで」

 ユルが呼ぶと、ふわりと肩の上にユルの水精霊ルクが現れる。

「果肉だけ取りたいんだ。できるか?」

「……やってみる」

 ルクが手を差し出すと、ぶわっとその手の平から水が噴き出した。

 それは刃のように鋭くなり、コーヒーの実を一閃した。
 
 数人が注目する中、コーヒーの実は地に落ちた。真っ二つに割れて。

 痛い沈黙が辺りを支配した。

「……ルク、手加減しても無理か?」

「これでも、一番弱くした」

「……モカナさん?修行の方向はよく考えないといけない。戦う事ばかり教え込まれると、この程度の事もできなくなる」

 そう言って、ユルはまた指でもくもくと果肉を取り除く作業に戻るのだった。

 何人かの器用な巫女は、水精霊に果肉を取り除かせた。が、やはりかなり集中しないと中のコーヒー豆を傷つけてしまう為、長続きしなかった。
 
「あぎゃぎゃー……」

 しばらく全員がもくもくと地味に作業をしていると、モカナの方の上にドロシーが呼ばれてもいないのに出現していた。
 
「どうしたの?ドロシー」

「美味しそうだねぇ。食べてもいいのかい?」

 おばあさんのような話し方で、ドロシーは目を輝かせながら尋ねた。ドロシーは、妙な話し方をする事で知られていた。時におばあさんのように、時に奇声を上げ、時に男言葉になったりするのだ。
 
「うーん、じゃあ、一つだけ」

 モカナが苦笑いして、一粒のコーヒーの実をドロシーの口元に運ぶ。
 
「がぶっ」

 ドロシーは、モカナの指ごとコーヒーの実にかぶりついた。

 驚いたユルがドロシーに怒ろうとすると、ちゅぽんと音を立ててドロシーの口からモカナの指が抜けた。指に怪我はない。
 
 怪我をさせずに噛み付く方法を編み出したらしかった。

「良~い味だ。あぎゃっ!?」

 途中までまろやかな顔をして美味しそうにコーヒーの実を頬張っていたドロシーだったが、突然苦虫を噛み潰したような顔をして、ペッと何かを吐き捨てた。

「かたい。にぎゃっ!」

 固くて苦いと言いたかったようだった。しかし、それを見たモカナは驚いた。

「ドロシー凄い!果肉だけ綺麗に食べてる!」

「あぎゃ?」

「もっと食べていいよ。美味しくない所は、ここに入れてね」

 と、モカナはドロシーの前に山盛りのコーヒーの実を置いた。
 
「おほぉ!今日はごちそうじゃな」

 ドロシーが、目を輝かせてコーヒーの実の山に齧り付く。頬いっぱいに赤い実を詰め込んだドロシーは、少し透き通ってピンク色に見えた。

 もじゅもじゅとたっぷりと味わうようにして、次々とコーヒー豆を吐き出していくドロシーの姿にヒントを得た巫女達は、我先にと自分の水精霊に同じようにコーヒー豆を食べさせた。
 
 結果、ドロシーの他に果肉だけを食べる事ができる水精霊は2人だけいたのであった。

 あまりにドロシーが美味しそうに食べるので、巫女の中でもつまみ食いをした者がいたりした。コーヒーの実は、甘い。

 果肉を取り除いたコーヒー豆は、天日干しにする。最大の敵は雨だが、幸いここは水の精霊の住処だ。本来なら雨が降る予定でも、水宮の力をもってすれば雨雲を退散するくらいは訳がない。
 
 モカナ、ジョージ、リフレール、ルナ、ゴウの5人はザルに入れたコーヒー豆を手に屋上に向かっていた。

「そういや、水宮って随分階層があるよな。まさか、全部階段じゃないよなぁ?」

 ジョージが当然の疑問を漏らすと、得意げにルナがしゃしゃり出てきた。

「あんた、マルクに住んでてそんな事も知らないのかい?水圧式の昇降機があるのさ。ほら、そこにもある」

 と、ルナが指し示した先には、噴水ようなレリーフの丸い扉があった。

「あいにく、水宮には縁が無かったんでな」

 ジョージは肩をすくめた。

「ま、これは人専用だからうちらみたいに荷物がある場合は、貨物専用のもっと大きなやつを使うんだ。こっちだよ」

 意気揚々と案内するルナ。後に続くリフレールとモカナも、その場所は知らなかった。

 時々、好奇の視線が5人に注がれた。最初は手に持つコーヒー豆かと思っていたが、よくよく見るとジョージとゴウに集まっているのが分かった。
 
「ジョージさん人気者ですね」

 と、モカナがにこやかに話題を振ると、

「女ばっかだから、珍しがってるだけだろ。じゃなきゃ、こっちの筋肉に見とれてるんだ」

 と、親指でゴウを指すジョージ。そのゴウは、何を馬鹿なと良いたげに苦笑した。

「お前がただの衛兵じゃないって噂が流れてるんだがな?キレモノだって評判だそうだ。ジョージ=アレクセント君」

「そうかいそうかい。そりゃ光栄だ、凄腕衛兵のゴウ=ルゥフ君」

 実際には、その両方である。
 
 いつの世も、女性にとって逞しい男は目の保養になるし、ジョージはちょくちょく水宮を訪れている上、リフレールを水宮に受け入れさせた策略家の噂があった。事実ではあるが、ジョージ自身は問われた時は必ず否定する事にしている。変に見込まれて仕事を増やされたくないのだ。

 貨物用、という割りには非常に豪華な昇降機を前に、モカナは固まっていた。

「わぁ、綺麗な彫刻!!水の精霊が沢山彫ってある!」

 と、はしゃいで豪華なレリーフを色んな角度から見回すモカナ。
 
 ジョージが横に手を広げて10人は並べるような巨大な扉。それが、貨物用昇降機の扉だった。

「ここは、最初に水の大精霊を迎える時に作ったらしいからね。やっぱり、それなりに豪勢な作りにしたんじゃないかな」

 と、ルナが脇の扉開閉レバーを下げながら言った。

 レバーが下がると、ザァァァァと水の流れる音がして、扉が下に沈んでいった。
 
(なるほど、水を抜いて下に沈めたのか)

 と、リフレールは静かに感心していた。水の少ないサラクには、当然このような水を用いた仕掛けはないのだ。

「さあ、乗った乗った」

 ルナが先導し、昇降機の中に入ると、そこは随分と広い空間だった。詰めれば500程座れそうな空間だ。
 
 壁の辺りにはベンチが置いてあり、中央部分には円卓と椅子が並んでいる。荷物置きと思わしきカゴもあった。

「なんだぁ?休憩所みたいだな、ここは」

「まあ、ある意味そうかもね。乗りゃあ分かるよ。ほら、閉めるよ?」

 ルナに促されて、5人は揃って巨大な昇降機に乗った。

「じゃ、よろしくね」

 と、ルナは肩の上の水精霊に呟いた。水精霊は頷き、くるりと腕を回した。
 
 すると、四方八方からごぽごぽと水泡が湧き立つ音が聞こえて、がくんと昇降機全体が軽く揺れた。
 
 そして、ゆっくりと昇り始めたのだった。
 
 しゅるしゅる、こぽこぽ、ざぁざぁ
 
 水の奏でる様々な音が、この大きな空間を満たしていた。

 ゆっくり登る。という表現は、全く偽りの無いものだった。
 
 1階あたり2分程の時間がかかるのだ。最上階は37階。単純計算して、1時間14分かかることになる。

 ベンチや椅子があるのも、その間の退屈を紛らわせる為に違いなかった。

「確かに、こんなに大きな物を持ち上げるのは例え精霊の力とはいえ簡単にはいかないでしょうが、こんなに遅くて困らないんですか?」

「急ぐ場合は個人用。あるいは予定を繰り上げさ。まあ、ここを使うって言うと公然と休憩が取れるっていう慣例があってね。それなりに可動するように工夫されてんのさ。ただ、事前に幹部に申請出さなきゃいけないんだけどね」

「そりゃそうだろ。じゃなきゃ不良巫女の溜まり場になっちまう。そしたらルナは間違いなく常連だな」

「言うじゃないか。これでも真面目で通ってんだよ?あたしは」

「見抜く力の無い連中だな」

「・・・・・・こらっ」

 ルナの右手の中指がしなり、ずびしっとジョージの額に炸裂する。いつものやり取りなのだろう。ジョージも避けもしないで受けるのだった。
 
 リフレールは、その様子から幼い頃の二人を思い浮かべた。どちらも、きっと悪童だったに違いない。

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